聖なる夜の恩返し~海の塩は何処に?~
「だから、何故魚を仕入れないんだと言っている」
眼の前の棚をバンバンと叩きながら、私は店主を威嚇した。
「無理言うなって、セイヤちゃん。そんなの仕入れても誰も買わないんだから」
彼はその屈強な体を萎縮させていた。
店主は当初、その体格のように横柄な態度をとっていた。しかし、客商売に向かぬ姿勢を続ける彼を許せなくて、一度言い負かしてからはずいぶんと大人しくなったように思える。
確かに、この町の食文化に魚はない。そもそも、海からも川からも遠く離れていては食べる機会もなかっただろう。
私だって、トオヤから「魚を用意できればいいんだけど」などと言われなければ、そんな食材の存在を知ることもなかっただろう。
「私が買うと言っているだろう。それと、塩だ、塩。品揃えが悪すぎる」
「えぇ~、どれも良い塩だよ」
「みんな、岩塩だろ。私は海の塩が欲しいんだ」
我ながら無茶を言ってることはわかっている。先程の理屈であれば、海塩だって用意は難しいだろう。それでも、私にだって譲れない思いはある。
どうにか、トオヤに故郷に近い味を食べさせたかった。それなのに欲しい食材はおろか、調味料すら見つからないのだ。ショーユ、ミソとやらは仕方ないにしても塩すら無いのかと落胆する。
岩塩でなく、海塩を使うだけで味が変わるというのに。ずっと探し回っているが、どの店も取り扱っていない。
都に行けば手に入りそうだが、私の足では何日かかるか。
「仕入れてもいいけど、数が少ないから高いぞ。あんたのところの学生さん、そんな贅沢できる身分なのかね」
「むっ」
懐事情を問われると、こちらも言い返せなくなってしまう。トオヤは故郷の支援者に十分な資金をもらっているものの、常に慎ましく暮らしている。支援してもらっているからこそ、気持ちを引き締めなければと考えているのだ。
その姿を好ましいと思うのだが、それと同時に祝いの席ぐらい豪勢に振る舞ってほしいとも思っているのだ。
私の葛藤を見越して、店主は妥協案を示してくる。
「今度、安く仕入れそうなのがあったら確保しておくよ」
「……お願いする。その時は教えてほしい」
気遣いができるようになった店主の優しい譲歩。今度は私が小さくなる番であった。
「まぁ、安くて良い肉が手に入ったから良しとしよう」
紙袋を抱えて私は走る。今夜はお祝いだ。
同居人のトオヤから、学校の品評会で初めて自分の絵に値段がついたと聞かされた。嬉しくなった私は、今日彼にご馳走を用意しようと思っている。
今こそ、こっそり仕事して貯めたお金を使うときだと張り切っていたのだが、先程の店主の一言で少し冷めた。
それでも、喜ばしい気持ちに変わりはない。これまでのトオヤの苦労を知っているから、まるで自分のことのように誇らしい。
(おや)
すれ違った青年に見覚えがあって、立ち止まった。恋人だろうか、隣の女性を熱心に褒め称えている。
「ふふん、その唇は愛を語るようになったか」
昔は、汚い言葉しか使ってなかったというのに。私の姿を見かけては、石を投げつけ罵ってきたものだ。
おまえがいると皆が不幸になる、とか。夜な夜な人を食ってるんだろ、とか。
「あながち、間違いではないな。こうして人間の姿をとってる『化物』なんだから」
そう、私は人間ではない。
あの青年が生まれるよりずっと前には、この町に住み着いていた猫だ。トオヤの生まれ故郷では『猫又』と私のような存在を呼ぶらしいと、彼が持ち込んだ資料で初めて知った。
この町に後から入ってきた人間は、私のような黒い毛をした猫を嫌っていた。近づくだけで蔑視してくるものだから居心地が悪かった。直接的な暴力もある。
もう潮時か。そう思い始めていた時に、追い払われて怪我をした私を助けてくれたのがトオヤだ。
彼の温かい手と、その時名付けてくれた名前を初めて聞いた時の感動は今でも忘れない。
人間の唇は、呪詛のような言葉だけでなく、あれほど暖かい歌を紡ぎ出すのだ。それまで、あまり人間に興味を持っていなかった私は彼から初めて教えられた。
「セイヤとは、偉人が生まれた記念すべき日の夜のことだったな。うん、私の毛並みにぴったりじゃないか」
彼との馴れ初めを思い出すとにやけてくるが、ちょっと油断すると隠している耳が出てきてしまう。私は首を振って気合を入れ直した。
「それにしても」
記憶を整理していくと、柔らかな感情だけでなく苛立ちも生まれてくる。
「トオヤはいつ、私が私だと気づくんだろうな」
長く生きてきたが、もうすぐ寿命が尽きそうなことは分かっていた。その最後の刻を、彼の為に使おうと考えた私は人の姿に化ける。
どうしても力不足で少女の姿にしかなれなかったので、彼の前に困っているふりをして飛び出てみた。案の定、トオヤは手助けしようと手を差し伸べる。しいては、大家に頼み込んで部屋まで私に貸し与えてくれた。
「こんな得体の知れない子どもを受け入れる度量の大きさは認めるが」
あまりのお人好しぶりに呆れる。あれでは、この町では生きづらいだろうし、実際に彼は苦労していた。トオヤの身の回りの世話をするようになったのは、それからだ。
「それにしても気づかれないものだ」
別に正体がバレて泡になるといった童話のような話はないから、必死に隠していることはない。しかも最初は、わざわざ、彼の名付けた名前を名乗った。
それなのに、良い名だねとトオヤは私に笑いかけるだけだった。ああ、何という自画自賛。
こうなってくると、自分から正体を明かすのは癪だ。彼が気づくまで、私は隠し切ることを決めた。
その時は、さすがに気味が悪いと罵られるか。まぁ、それならそれで私は構わない。
「それまでに、トオヤを支える伴侶でも探してあげなければな」
彼は一人では行きられないだろう、芸術家というのはそういうものなのだ。
段々と日が落ちてくる。黒い夜がやってくる。昔は、あまり好きではなかった時間帯だが、夜を意味する名を与えられてからはワクワクする時間になっていた。
「今夜はステーキだ」
彼と一緒に食事をするだけで胸が高鳴る。ずっと、孤独だったから今の時間がとてつもなく愛おしい。
いつか、トオヤの故郷の料理を振る舞う日を夢見て走る。
私は、自分の尻尾が出ていたことに家に着いてから気づいたのであった。
お題に沿って書くイベントで書いてみたものです。
お題をこなすというよりも、思いついたものの使うことなく温めているキャラクターを使う方向にシフトしていました。