かみさまと夜のよりみち
夜の神社はかみさまたちの時間
「今夜は冷えるな」
「そうですね」
僕とかみさまは他愛もない話をしながら夜道を歩く。
それが当たり前になっていることを、僕はまだ誰にも話していない。
——始まりは、偶然だった。
中学校の裏にあるその小さな稲荷神社を訪れたことだった。
神社にはあまり人が訪れない。
それは近寄りがたい雰囲気というか、昼までも暗いからだ。
子供たちの遊び場にするには、あまりにも暗すぎる社だった。
よくある迷信やうわさ話で、夜になると人々に話しかけたり、狐の置物が動き出したり、驚かせたりするとかしないとか。そんな話は噂で終わる。そもそも、あの神社に近づく人はいない。
僕の家は中学校から少し離れたところにある。学校は普通だった。
中学二年の頃から駅前の塾に通っている。
いつも通りに塾の帰り道にその神社の横を通り過ぎるはずだった。
自転車のチェーンが乾いた音を立てる。月が雲に隠れたり現れたりする夜道を、ペダルを踏んでいた。
突然、僕の目の前に白い何かが道路に飛び出してきて、自転車のブレーキを思いっきりかけた。
キキーッと大きな音がした。
「あっぶな!」
僕はとっさに声を出してしまった。
僕の前に飛び出してきたのは、白い動物だった。
「え!?犬?猫?」
耳がピンと立っていて、大きな尻尾に、口先がとがっていた。
目は細く、狐のような犬だなというのが第一印象だった。
白い犬はこちらを見て、まわりを見渡してから深呼吸をして話しかけてきた。
「こんばんは」
普通に考えて動物が言葉をはなせるはずがない。
僕は驚きつつも、冷静な声で答えてみた。
「こんばんは」
白い犬は特に顔の表情を変えずに細い目をしながら近寄ってきた。
「少年、少し時間はあるか?」
白い犬の声と話し方が、上から目線というか、ずいぶん年配の話し方で、僕の口は、はいとしか答えることができなかった。
塾は十時まで、現在十時二十分。
家までは十分くらいでつくが、たまにコンビニや本屋によることがあるので帰りが遅くなるときもある。もし遅くなったとしても親に何か言われることは滅多にない。
白い犬は神社の方へと歩き出したので、その後を自転車を押しながらついていってみた。
「こっちだ」
白い犬は命令口調で僕を呼んだ。
暗がりの中、階段を上がると境内が見えてきた。
昼間も静かで暗い場所だが、夜は不気味な場所だ。
鳥居をくぐり、お賽銭箱を通り過ぎ、社の扉を開いた。
ギィィィと古びた木の扉が開く。
社の扉が開いた瞬間、目の前が光につつまれた。
白い犬が何か言っていたが、あまりの光の眩しさにきこえなかった。
光がおさまり、あたりが真っ暗になった頃、目を開いてみると白い犬は消えていた。
神社はいつも通りの静けさで不気味な社に戻っていた。
しばらく真っ暗な社の前にたたずんでいた。
「何だったんだ?帰ろ」
僕は家路につくまで狐に化かされたのか?と思いながら自転車をこいでいた。
一週間後、いつもどおりの塾帰り、神社の横を自転車で通り過ぎるとあの白い犬がいた。
(またいる)
白い犬は一週間前のことを覚えていたようで、声をかけてきた。
「少年。この間は悪かったな」
「あの、あなたは一体何者ですか?」
「お前に、お願いがある。ついてきてくれ」
白い犬は僕の答えを待たずに神社の鳥居をくぐり、階段を上っていってしまった。
僕も後を追いかけた。
夜の神社は木々のささやきや虫の鳴き声でとても不気味だ。
だが、今宵はなぜか心地よいささやきに聞こえた。
社にたどりついて、白い犬は扉を開けたが、この間のようなまばゆい光はなかった。
「で、ようするに、あなたはかみさまで、僕にこの神社の周辺をパトロールしてほしいということですか?」
「そういうことだ、お前は私の姿が見えるようだし、普通に話もできる。そして怖がらない」
「はじめは白い犬が喋ったときは驚きましたが、別に怖いとかありません」
「ちなみに私は犬ではなく、狐だ。まぁよい。そうか、じゃあきまりだな」
白い狐は小さく笑って言うと、一瞬で大人の男の姿に化けた。
「えっ、狐?それに、人間にも化けられるんですか?」
「お前はずっと犬だと思っていたのか。まぁよい。人の姿の方が、人にはあやしまれないだろう」
狐は化けた自分の姿をひとまわりみてから私に声をかけた。
「さあ、いくぞ」
そうして狐のかみさまと一緒にパトロールすることになった。
かみさまは白い袴を着た大人の人間の姿にばけている。
神社の神主と学生の僕が歩いている。不思議な二人連れに思える。
これは、誰かに見られても怪しくないと言えるのだろうか。
「お前の名前は?」
狐がふと尋ねてきた。
「ゆきです。男なのに女の名前みたいですよね」
「ゆきか、いい名だな。名前に男も女も関係ない」
狐のかみさまは特に気にすることもなく、あたりを見回しながら歩いていく。
空を見上げると今夜は三日月だった。
心地よい風が吹いている。
もうすぐ夏休みがはじまるが、塾の夏期講習で朝から晩まで塾で勉強する予定だ。
勉強は好きだし、分からないことは塾の先生に聞けば教えてくれるので困っていることはない。このまま志望校である兄と同じ高校に通えればいいなと思っている。
ふと、大人の男に化けているかみさまが足を止めた。
「何かいるな」
「えっ、何がいるんですか?」
僕はいきなりの何かの出現を言われ、かみさまの袖をつかみ、後ろにかくれた。
ふりかえると、お地蔵様がいた。
「え、お地蔵様?」
「こんばんは」
お地蔵様はかみさまと僕に向かって挨拶をしているようだ。
「こんばんは」
僕は不思議な感じがしたが、いつもどおりに挨拶をした。
というのも、このお地蔵様の前を通る時、いつも挨拶をしていたのだ。
「少年、今日はまためずらしいお方と一緒にいるもんだ」
「最近、いろいろなものがいるから気をつけなさい」
お地蔵様は何も言わずにゆっくりと歩いていってしまった。
星一つない寒空の下、神社についた。
「そろそろ帰らないと」
僕はかみさまに告げた。
「ああ、今日はこのくらいだな。ありがとう、ゆき。また明日」
「え、明日もですか?」
かみさまは返事もせずに消えてしまった。
今日も塾からの帰り道、僕は神社の階段を登っていた。
「こんばんは、ゆき」
僕の後ろで声がした。
「こんばんは」
僕は人間の姿をしたかみさまを見上げながら挨拶をした。
「さて、ではいくぞ」
パトロールが終わり、社に戻ると、いつもと雰囲気が違う気がした。
「何やら騒がしいにおいがするな」
かみさまが険しい目と声で神社の方向を見ていた。
「神社で何かあったのでしょうか」
いつもならこの時間は暗くて静かな場所なのに、今は薄ぼんやりとあかるい光が見える。
「あれは一体」
かみさまはしばし考え事をしているように見えた。
「ゆき、私のそばをはなれるでないぞ」
「はい」
冷たい風が頬をなでた。僕は鳥肌が立つのを自覚し、そばから離れまいと少し近づいた。
薄ぼんやりとした光が僕達に近づいてくる。
狐は鋭い目つきをさらに鋭くして光を睨んでいる。
「おや、うわさにはきいていたが、かわいい少年ではないか」
光から声が聞こえる。しばらくすると、光は女の人に姿をかえ、かみさまと僕の前にあらわれた。
「ほたる。一体何をしにきたのだ」
「いや、近くまできたから、どうしているかと思ったのよ」
「わたしは暇ではないのだ。さっさと帰れ」
「あいかわらず冷たいな」
ほたる、というあやかしは知り合いらしい。
二人が話している間、僕は境内の周りに3つうすぼんやりと光っているものに近づいてみた。
「かわいい子ね」
「近づくと火傷するわよ」
三つの光から小さな声で女の人たちがおしゃべりをしているのがきこえる。
「あの、みなさんあやかしなんですよね」
「そうよ、私たちはほたるのあやかしよ。狐と話しているのは私たちの姉さんよ。狐とは長い付き合いみたい。あなたはあの狐がこわくないの?」
言われてみて、初めて気づいた。
僕は一度も、足を引き返そうとは思わなかった。
「はい、こわくないです」
僕はほたるたちと他愛のない話をしていた。
「もうそろそろ時間ね。あなたたち、帰るわよ」
「はーい」
かみさまと話をしていたほたるが再び光となって、消えていった。
「じゃあね。またおはなししましょ」
「ばいばい」
「はい。さようなら」
僕もほたるたちに別れを告げ、かみさまのもとへとむかった。
「お前、気に入られたな」
「えっ。そうなんですか」
「あいつらはおしゃべりだからな、時間を忘れていつの間にか朝になってしまうぞ」
「あ、もうこんな時間。帰ります」
「送る」
「ありがとうございます」
かみさまは少し不満そうな顔をしていた。 一瞬で家のちかくまで移動した。
「ゆき、しばらくパトロールは休みだ。学問と睡眠を大事にしろ。また連絡する」
「わかりました」
かみさまはまた一瞬で消えてしまった。
家にはいると、母さんが僕のためにご飯を温めてくれていた。
先にお風呂に入り、ご飯を食べてから自分の部屋へいった。
明日の定期試験の勉強をして、ベッドに潜り込んだ。
「ゆき、お前、高校どこにするんだ?」
「塾先にも言われてるこというなよなぁ」
学校の教室でクラスメイトと進学先の話をしながら、
僕はかみさまのことを考えていた。
あの時、僕の目の前にあらわれたのは偶然だったんだよな。
あやかしとの交流とか、クラスメイトや友達にも言えることではない。
そして今日もパトロールに出かける。
塾にも行っている。親や兄弟、友人にもなぜかばれていない。
これから僕は高校生になって、バイトや塾や友達と遊んだり社会人にもなったりするのだろうけれど、かみさまはずっとパトロールを続けていくのだろうか。
僕はいつまでかみさまと一緒にいられるのだろうか。いろいろ考えてしまった。
「おい」
「へっ、あっ、びっくりした。こんばんは」
「さっきから声をかけていたのだが、気づかなかったのか。どこか具合でもわるいのか」
「いや、僕は元気です。気づかなくてすみませんでした」
「何か考え事か。もうすぐお前も高校生だもんな」
「そうですね。塾もピリピリしてきましたね」
「希望の学校には行けそうなのか」
「今のところは、たぶん大丈夫だと思います」
「そうか、それはよかった。このパトロールが原因で希望の学校にいけなくなったら親御さんに顔向けできないからな」
かみさまはいつもどおりの上から目線だが、僕のことを心配してくれていると感じた。
その一方で、僕は体のだるさを覚えていた。
成長痛だったり、親には言えない思春期だったりするのだと勝手に思って放置していた。 そのうち治るだろうって。それが、かみさまとの別れになるとも知らず。
ある日、僕は風邪をひいて熱を出してしまい、約束の日にパトロールにいけなくなってしまった。週末、喉の調子が良くなかったのだが、放っておいてしまったのがいけなかったようで夜から熱がでてしまい、ベッドでうなされていた。全身がまるで自分の体ではないような重みに耐えられず、汗もびっしょりで気持ちが悪かった。母親も心配で夜中に部屋をのぞいたりしていたようだが全く気が付かないくらいうなされていたようだ。
夢の中でかみさまがでてきて、僕の看病をしてくれていたのだ。
不思議な夢だった。
水枕をかえてくれたり、水をのませてくれたり、いつもとは違って、お母さんのような安心感があった。
「ゆき、ゆっくり休むといい。巻き込んでしまってすまなかったな」
ふと、かみさまの声が耳元で聞こえた気がして目を覚ました。
目覚めてわかったことは、風邪はすっかりよくなった。
昨日までうなされていたのがうそのようだ。
夢の中で看病してくれたおかげなのだろうか。
あれは本当に夢だったのか?
元気にはなったが、体力がおちたまま学校にいくのはしんどいだろうとのことで、母は今日まで学校を休みにしてくれた。
朝ごはんを食べて、散歩と運動がてら近くのコンビニに行ってくると、家をでて神社に向かうことにした。
なぜか、かみさまに会えなくなるような、遠くに行ってしまうようなそんな気がしたからだ。
神社の前までくると、昼間なのにやはり静かな社だった。
階段を登り、社の前まできてから小さな声で呼んでみた。
「かみさま、いますか?」
返事はなかった。しばらく待ってみたが、誰もこないし、なにも反応がなかった。
本当に静かで暗いいつもの神社。
夜になってから再び訪れることにして、社をあとにした。
「また、きます」
それから塾の帰りや休みの日も神社へいったが、かみさまは一向に現れなかった。
もしかして、僕が寝込んでしまったからもう僕と一緒にパトロールするのはやめてしまったのかもしれない。別の誰かと一緒にパトロールしているのかもしれない。こんな形でさよならするなんて想像もしていなかったので、処理が追いつかない。やっぱり夢だったのかな。そう思うようになっていた。
ある夜、かみさまの呼ぶ声が聞こえた。
「ゆき」
声は消えてしまいそうなくらい小さい。
「僕はここにいます」
僕は夢なのか現実なのかぼんやりとした頭でかみさまに話しかける。
しかし、かみさまは僕の名前を呼ぶだけで返事はしてくれない。
そんな夢を何度も見た。
そして、僕は高校生になった。
結局、狐のかみさまとは会えずじまいだった。
夢でも見ていたのかもしれない。
お地蔵様やほたるとのやりとりもすべて僕が作り出した夢だったのかもしれない。
そう思うことにした。
神社を訪れることはなくなったが、会いたいという気持ちはなくなっていなかった。
高校生活は部活も勉強もバイトもそれなりにこなした。
この春から俺は大学生だ。
木蓮がまた咲き始める。
冬から春になる音がする。
いつもどおりの日常。
その日も同じ自転車に乗り、駅へ向かっていた。
信号待ちをしていたとき、一陣の風が吹いた。
ふと、本当に、ふと感じたのだ。
今、神社にいる気がした。
急いでUターンをし、自転車を神社へと走らせる。
神社を訪れるのは本当に久しぶりだ。
何も変わっていなかった。
少し暗いが、ほたるがいたにぎやかな社が蘇る。
「狐」
俺は小さな声で囁いた。その時、大きな風がいきなり吹き、目を閉じた。
そして目を開けると、そこにいた。狐のかみさまが。
「ゆき」
俺の名前を小さくつぶやき、微笑んでいた。
また会えたことにびっくりして言葉がでてこなかった。
「ゆき、大きくなったな。元気だったか?」
狐は、あの頃と同じだった。だが、俺は、もうあの頃の子供じゃない。
言われて気がついたが、俺は狐と同じくらいの身長になっていた。
「ゆき、かみさまとは呼ばぬのか」
「あんたは、狐だろ」
「なぁ、俺が熱を出してしまったから姿を消したのか?」
「ゆき、すまなかった」
「謝るのは俺のほうだ」
「二度と会わぬつもりだった。だが——もう一度会えてよかった。これで、手放せる」
「それって、また姿を消すんですか?せっかく会えたのに、もう俺の前には現れないつもりか?」
「私はお前に干渉しすぎた。人とあやかしは、本来もっと遠い。あの夜、私は境を越えた。
——お前の熱は、人のものではなかった」
「それでも、俺はあんたの隣に立ちたい。今度は、自分で選ぶ」
俺は目を離さなかった。
「ゆき、手をだせ」
俺の言葉を聞いて、狐は少しだけ何かを唱え、小さな袋を差し出した。
何か、お守り袋のような和柄生地の小袋。
手にとった瞬間、胸の奥がひやりとした。温かいはずなのに、どこか冷たい。
一瞬立ちくらみしそうになり目を閉じて体が倒れないようにふんばった。
「これは」
「お守りだ。もしもお前に何かあった時、役に立つかもしれない。もしも」
狐はそこまで言って、後ろを向いてしまった。
「ありがとう。大事にする」
くすっと少し笑ったように聞こえたが、後ろ姿だったのでどんな顔をしていたのかわからない。
「またパトロール、しないか?」
「あの夜、私はお前の時間を削った。神と近くにいるということは」
「狐。俺は、もう子供じゃない」
「……知っている」
「……今度は、距離を守る」
狐はそう言って、ほんの一瞬だけ俺を見た。
俺は狐の隣に立った。夜の神社は、変わらず静かだった。




