第34話 リンと人犬一体! 後編
それはとても綺麗な剣だった。
長さ四メートルを超える長剣は、広間に降り注ぐ光苔の灯りを反射し、陶磁器のように滑らかな地肌を晒している。
金属特有の硬質な白銀の色を放つその剣は、本来なら敵を討ち倒す無骨な武器のはずなのに、優美さを醸し出していた。まるで芸術品のようで、私は息を呑んだ。
中世ヨーロッパで騎士が振るった剣――斬る以上に貫くことに重点が置かれたロングソードに酷似している。
ただ一点、人の手が持ちやすいようにされた持ち手が、デコボコにへこんでいるのが違和感だった。私には、それが“私たち用”に見えた。
およそ人が持つには不便な騎士剣が、私とコタロウの前に、虹色の輝きと共に現れる。
「これ、剣だよね? 大っきい!」
「わん」
驚きながら私は見つめた。剣身は三・五メートル、柄も入れれば四メートル以上――ゲームやアニメでしか見たことのない巨大な西洋剣が、地面に突き刺さっている。
「これを使えばいいの? でもどうやって?」
犬のコタロウには無理――普通ならそう思う。だが。
「わん♪」
愛犬がピョンと剣へ飛び上がり、柄を口にくわえると、器用に地面から引き抜いた。奇妙な形の柄が牙にピッタリとはまり、まるでボクシングのマウスピースみたいにがっちり固定される。
ズシン、と着地。大剣を地面と並行に構えるコタロウに、私は思わず笑ってしまう。
「あっ、それならコタロウでも持てるね♪」
「わん♪」
「あれ? 剣を咥えていても、声を出せるの?」
「わう〜ん」
『出せるよ〜』と返事。――口の中にスピーカー、ね。私は妙に感心してしまう。
「コタロウ……これがあれば、腹話術とか簡単にできて便利そう」
「わん♪」
「グギャアァァァァ!」
和気あいあいの空気を引き裂くように、広間にカオスドラゴンの吠え声が轟く。
コタロウの口から横に伸びる巨大な剣――その気配に、竜が本能的な恐れを覚え、振り払うように吼えたのが分かった。
顔を上げると、すでに狂える竜が突進を開始、先制と言わんばかりに凶爪を振り下ろしてくる。だが私は――
「コタロウ!」
「ワン!」
瞬時に軌道を見切り、イメージする。
それは、かつて両親に勧められて見た“ある動画”の動き。私はそれを、犬であるコタロウでも使えるよう最適化し、接続デバイスを通して一気にフィードバックした。
次の瞬間、コタロウは一撃を剣で受け止め、拮抗。私は呼吸を合わせる。
「バインド!」
合図に合わせて、剣の角度をわずかに変えさせる。刀身に沿わせて狂爪を受け流すと、竜の攻撃はあらぬ方向へ弾かれた。
「ワオーン!」
無防備になった胴――コタロウが跳び、口の剣が一閃。斜めに斬り下ろす一撃が、右腕へスッと入る。
熱したナイフがバターを割るみたいに、抵抗がない。ウロコも肉も骨も、音もなく断たれた。
あまりにも速く鋭いせいで、リアクティブアーマーの爆発は、斬り飛ばされてから遅れて起きる。
コタロウは振り抜きざまに後方へ抜け、空中でクルッと向きを変えて、滑るように着地。頭を振って、剣の血を払った。
「グァァァァァッ!」
血飛沫。悲鳴。
――でも、いつもなら即座に再生が始まるはずの竜が、傷口を押さえて悶えている。
「爆発する前に攻撃が終わっていたから、跳ね返されなかった? ……なら!」
私のイメージに呼応し、コタロウは頭を低く、地を這う姿勢で加速。背後から迫る地響き――苦し紛れの尻尾。
「コタロウ!」
太く強靭な一撃。だが怖れない。私の合図で跳び、斬り上げる。
尻尾が宙を舞い、遅れて爆発の衝撃が来る。私は避けない、ハンドルを離さない。コタロウを信じているから。
【フレキシブル・テール・シールド起動】
渦巻く柴尾が瞬時に盾へ。私を包み、爆風を受け止める。私は短く息を吐く。
「まだだよ!」
コタロウは流れに逆らわず回転着地、そのまま竜の脇を駆け抜ける。すり抜けざまに剣線、爆発、散弾のようなウロコ――でももう、私たちは射程外だ。
距離を取り、再び構える。
「グォォォォ!」
連撃の痛みに、竜が吼えた。
「グァァァァァッ!」
「コタロウの攻撃が効いている。傷も再生されないし……この剣でなら倒せるかも」
「わん!」
『いけるよ!』の声に、私は頷き、アクセルを握る手に力を込める。
「いくよ! コタロウ!」
「ワオォォォン!」
雄叫び。対する竜は、大きく息を吸い始めた。
爪も尻尾もダメ、爆発のカウンターも通じない。なら――ブレス。
たとえ装甲と盾があっても、熱ならば溶かせる、と。
「やばい、ブレスがくる! リン避けて! いくら装甲が厚くても、熱で溶かされるかもしれない!」
ハルカの叫びが飛ぶ。けれど私はスロットルを回した。躊躇はない。コタロウも、同じだ。
【アニマドライブ……リミッター解除】
モニターが告げ、体内で何かが激しく鳴動する。装甲の隙間から虹色の光が溢れ、口の剣も七色に肥大化する。
【ドライブ臨界点へ、カウントスタート 60、59、58……】
「これって……」
「わん!」
私は目を見張り、コタロウは吼える。
胸の中で、熱い確信が灯る。
「やろう! コタロウと一緒なら、なんだってやれそう」
「ワオーン!」
コタロウが天へ声を放ち、私の気持ちを押し上げる。
「グォォォォ!」
左目は潰し、左腕も尻尾も失わせた。首元と脇腹には大きな傷。
全身を灼く痛みよりも、前から走る私たちへの怒りが、竜を駆動させる。
限界まで吸い込まれた息が――白い炎になって吐き出された。
赤でも黄でもない、星のような白。
炎の色温度。赤は約1500度、黄は約3500度、白は約6500度。世界一融点の高いタングステンですら3500度。
つまり――この白は、すべての金属を溶かす温度。
迫る灼熱の白。だけど、私たちは止まらない。
(立ち止まって防御しちゃダメ! 今から方向転換しても、広範囲のブレスは避けきれない。なら……前に進むしかない!)
私は道筋――イメージを見た。
頭を低く、コタロウに体を貼り付け、アクセル全開。炎の中へ飛び込む。
触れれば灰――そんな熱が目の前に迫る。
フレキシブル・テイル・シールドが起動、私の頭上から覆いかぶさる。最初からそう設計されていたみたいに、隙間なく背へ収まり、私を機内へ収容した。
白い炎が装甲を赤熱させる。けれどコタロウは止まらない。
私のイメージ通り、最速最短で。装甲を溶かされながらも、突っ切る!
そして――足元へ踊り出る。
「グァァァ!」
不意を突かれた竜のわずかな空白。
背を覆うシールドが跳ね上がり、私はハンドルを握ったまま身を起こす。
「コタロウ!」
「ワオーン!」
【ドライブ臨界点まで残り……10、9、8】
虹の光がさらに強くなり、視界が白む。眩しさに目を細めながら、私は叫ぶ。
「これで終わりだよ!」
「ワン!」
コタロウが首を捻り、剣を振りかぶって跳ぶ。
【ドライブ臨界点まで残り……3、2、1】
狙うは首元に露出した黒い結晶体。
虹色の騎士剣が吸い込まれるように斬り裂いた――その瞬間。
「ドライブ臨界点まで残り……1、0 リミットブレイク!】
世界が、虹に染まった。
3/3
「グギャアァァァァッ……」
眩い光が音をも呑み、すべてを焼き尽くす勢いで膨張する。
触れた竜の肉体が、蒸発するみたいに消えていくのを、私はただ見つめるしかなかった。
やがて光が引き、黒く焼け焦げた地面だけが残る。広間には、私とコタロウの影しかない。と、その時――
【ドライブ限界突破……強制リミッターオン、機体冷却のため、強制お座りモードへ移行】
表示と同時に、コタロウの装甲が『ガバッ』と開き、お座り。内部の排気口から白い蒸気が勢いよく噴き出した。
「か、勝ったのかな?」
「わう〜ん……」
「そうだ、クエストメニュー!」
終わったか確認しようと、私はメニューを呼び出そうとして――
「フォッ、フォッ、フォッ、カオスドラゴンを討ち倒すとは重畳じゃ。だが、せっかく別世界から連れてきた奴を簡単に使い潰すのはもったいないの〜」
――知らない“老人の声”が、私の頭の中に響いた。
「えっ? こ、この声、誰?」
「グッゥゥ!」
コタロウが低く唸り、強制お座りから無理やり立ち上がる。各部から嫌な異音。
『強制冷却中断……警告、冷却が不十分なため、運動性能は低下します』
「飼い主を守るために命を捨てるか?……ふむ、いいことを思いついたぞ。さあ猟犬よ、ワシを楽しませておくれ」
「な、何? 猟犬? コタロウのこと?」
私は戸惑いを隠せない。
「ウゥゥゥ、ワン!」
「ホッホッホッ、そう怒るでない。これで最後じゃよ。そうさな……よし、特別じゃ。もしこれに勝てたのなら、この娘たちが望むアイテムをプレゼントしてやろう。悪い話ではなかろう。まあ、勝てたらの話じゃがな。ハッハッハッハッハッ!」
無邪気な笑いに背筋が冷たくなる。そこにあるのは、他人を害しても何とも思わない“悪意”だ――と、本能が告げた。
「さあ、ワシを楽しませてみろ!」
老人の声が頭の中で反響するのと同時に、広間の中央に虹色の魔方陣が浮かび上がる。
「な、今度はなに⁈」
「グゥゥゥ!」
コタロウは魔方陣――いや、その中から“上がってくるもの”に向けて、敵意を剥き出しに吠えた。
鼻を刺す異臭。腐りただれながら蠢く影。私は歯を食いしばる。
「ワン!」
「まさか、これって⁈」
虹色の魔方陣から現れた姿を見て、私は顔をしかめる。
……さっきまで死闘を繰り広げた、あの狂える竜。腐り果てた――カオスドラゴンゾンビ。
……To be continued『リンと灼熱の騎士 前編』




