第30話 リンと新たなる体……ライドオン! 中編
「グギュァァァァァ!」
我は、感じたことのない感情に戸惑っていた。我の爪も牙も、あの小さな者には当たらない。ならば――全身のウロコを赤く発光させる。点ではなく面で薙ぎ払う、大爆発の全方位攻撃。再びそれを行おうと、体内の起爆鱗へ順に火を入れ始めた。
この攻撃のチャージには時間が掛かる。だが、今の状況なら問題はない。我を攻撃できる者は皆無だ。
さきほどは、あの犬とクマを警戒し、復活しても死んだ振りをしながらチャージを進めていた。あの二匹のうち一匹は死に、もう一匹も瀕死。今なら、チャージで無防備な姿を晒しても問題はない。
あの二匹ですら瀕死に追い込んだこの攻撃なら、目の前の者が何であろうと葬れる。しかも、こいつは動けない者を放ったまま、ひとりで逃げることはない。必ず庇って攻撃を受ける――我はそう読んでいる。
「ギャッ♪」
勝利を確信し笑いが堪えきれなくなる。
「させないよ!」
私は短剣を構えると、振りかぶりながら距離を取ったカオスドラゴンへ駆け出していた。
足が勝手に伸び、地面の石粒が後ろへ流れていく。普段の私からは想像もつかないスピード――自分の体が少し怖いくらい速い。
ゾーンに至ることで、私の意識は加速し、目にした
最初の間合いで、私は竜の喉下の鱗列を狙って踏み込み、斜め下から切り上げるふりをして、直前で刃を寝かせ、リアクティブアーマーの継ぎ目に短剣の腹を当ててそっと撫でた。次の瞬間、当該鱗が遅延起爆して「ドン」と弾け、私は衝撃波に背を向けて飛ぶ。爆風に押し出され、ちょうど竜の死角――前脚の肘裏へ転がり込めた。(一撃目:爆発を“踏み台”にする)
竜の爪が地面を抉る音。私は起き上がりざま、足元の砕けた鱗片をつま先で蹴り上げ、それを囮にして視線を上へ誘う。竜の顎が僅かに上がった瞬間、私は短剣の柄頭で顎関節の外側を「コン」と叩き、起爆鱗の信号が届きやすい部位へ注意をずらす。叩いた反動で身を沈め、後方の崩落石へ飛び移る。すぐに顎の側面で小爆発――破片の雨が私の背中を追い越していった。(二撃目:視線誘導→遠隔起爆誘発)
竜が怒って胴を捻る。私は岩陰を盾にしながら、爆発タイミングの癖を読む。点火から爆ぜるまで、ほんのコンマ数――一定の遅れ。そこで私は、竜の胴の右側面の鱗へ刃先を軽く触れて離脱、カウント「1・2」で岩陰へ滑り込む。直後に「ボフッ」と面爆。私は爆圧の背中押しで斜め前へ転がり出て、竜の反対側の足首へ到達。ここで足首の不規則な補強鱗を親指で弾き、微細な起爆を連鎖させて牽制する。竜の体勢が崩れ、膝が半歩沈む。(三撃目:遅延を逆利用→位置取りの加速)
呼吸を合わせる。私は大きく吸って、吐く拍で地面の砂利を一握り払って舞わせ、砂の幕を作る。視界が曇る一瞬、私は自分の影を爆風で引き延ばすように立ち回る。さっきまでに私が触れておいた二箇所――肘裏と脇腹の継ぎ目――がほぼ同時に「ドッ」「ドッ」と鳴り、竜の巨体が反射的に身を引いた。私は爆風の“引き”を背に受け、体を弓のようにしならせて首根っこへ跳び上がる。短剣の刃が喉元の柔らかい帯へ届く――あと少し。(四撃目:二点同時誘爆→強制後退→首へ)
竜がビクリと痙攣し、喉奥で熱が高鳴る。私は喉帯を断ち切る決定打の角度を作るため、刃を半回転させ――その瞬間、全身を駆け巡る信号が多すぎて、脚と腕の指令が交差した。私は自分の体の“速さ”に追いつけない。視界の端が虹色に滲み、時間が伸びる。
それでも踏み切る。私の踵が岩角を掠め、体の軸がわずかに傾く。狙いの芯がズレるのを、歯を食いしばって力で合わせにいく。
「『グサッ!』」
LUK極振りによる必殺のクリティカルヒット!
――のはずだった。だが、その攻撃は明後日の方向を攻撃し、空振りに終わってしまう。喉帯ではなく、厚い鱗の縁を掻いただけ。甲高い金属音が洞窟に跳ね返った。
「なんで、当たらないの⁈」
空を切った反動で私はバランスを崩し、カオスドラゴンの前で前のめりに転倒した。すぐに立ち上がろうとする。けれど、体が思うように動かない。腕と脚が別々のリズムで暴れて、床に膝を突いたまま、立ち上がることすらできなくなる。
「お願い、動いて!」
焦りが胸を灼く。脳から出る信号はさらに加速し、私の神経の“道”で渋滞を起こしているのが自分でもわかる。合図が遅れて到着するたび、体は意思に反して変な方向へ跳ねた。
「ダメ、リン! 元に戻れなくなる!」
「どうして、なんで……こんな時まで、わたし鈍臭いの。悔しい……悔しいよ。みんなと一緒に楽しく遊びたいだけなのに……なんで!」
はーちゃんの声は遠い。私は、はーちゃんと似て異なる意識状態――ゾーンの淵に、深く踏み込みすぎていた。
「まずい。脳から出る電気信号が渋滞を引き起こして、体がまともに動かなくなっている。このままじゃ取り返しのつかないことに……」
はーちゃんは知っている。私の異常にまで発達した運動神経は、ゾーンで凄まじい運動能力を発揮することを。代償として、脳が発する電気信号の量と速度に体がついていけなくなり、まともに動かせなくなることを。
止めに来てくれるはずのはーちゃんも、今は立ち上がれない。指一本も――。
「リン、お願い、ゾーンを解いて! だれかリンを助けて!」
「く、ま~」
その呼び声に、ボロボロのクマ吉が答えた。匍匐で砂をかく音がすぐそばに来る。私は仰向けのまま、彼の影に包まれる。
「クマ吉……」
「くま~」
クマ吉は瀕死の体で私に覆いかぶさる。彼のHPは1。攻撃を受ければ消えてしまう、それでも離れない。
「だめ、クマ吉! もうHPがないんだよ? 逃げて!」
「く、くまくま~」
“だいじょうぶ”――震える声。それがゲームの声に聞こえなくて、胸の奥が痛む。
私はもがく。今動けなければ、クマ吉が。だから動いて、と体に命令する。けれど信号は詰まり、遅れて届いた命令に体がメチャクチャに痙攣するばかり。
「グッギャッ♪ ギャッ♪ ギャッ♪」
私がイモムシみたいにジタバタするのを、竜は勝利の笑いでなぶる。
「なんで動いてくれないの……どうして……くやしいよ。私にもコタロウやクマ吉みたいに自由に動く体があったら……」
神経の渋滞は完全にパンク。私はうごめくことすらできなくなり、天井を見上げたまま、視界が涙で滲む。
「くやしいよ……」
温かいものが頬を伝い、床石に落ちた――
『ワオーン!』
――頭の中で、はっきりとコタロウの声が鳴った。
「コタロウ⁈」
私の涙が、虹色の輝きを帯びて床へ染み込んでいく。次の瞬間、涙の跡を中心に、巨大な虹色の魔方陣が浮き上がった。
「これって……召喚の魔方陣?」
直径十メートルを越える光の輪は、私とはーちゃんの足元まで広がる。
「なに、これ……リン……てっ! 体が動く⁈ なんで?」
さっきまで指一本動かせなかったはーちゃんが、光を浴びた途端、嘘みたいに体を取り戻している。
「この光、回復してる? じゃあ、リンも⁈」
はーちゃんが立ち上がって私を探す。のそり、と隣で赤い大きな影が起き上がった。
「クマ吉!」
クマ吉の頭上のHPバーが、みるみる満ちていく。やっぱり、この光は回復だ。だったら――!
はーちゃんが視線を巡らせるのと同時に、私も体を起こす。温かい光が神経の渋滞をほどいていくみたいに、手足が素直に動く。
「か、体が動く? これって?」
確かめるように指を握ったり開いたりする。動く。間に合う――。
「クマー!」
復活したクマ吉が「来るよ!」と身構える。
「グォォォォォォッ」
竜が異常を察知した。ブレスのチャージが終わるや否や、咆哮とともに大爆発へ移ろうと立ち上がる。私の視界に、虹色の文字が浮かんだ――『神獣召喚』。
「……⁈」
直感する。誰が来るのか。私が困ったとき、必ず助けてくれる存在。
「コタロウ~!」
迷いなく名を呼び、私はボタンを押した。
「ワオォォン!」
「グギャー!」
狂える竜の咆哮が広間を満たし、身体中の**爆発反応装甲**が一斉に弾け飛ぶ、その同時――虹色の魔方陣から“それ”が飛び出した。
爆炎とウロコが空間をズタズタに裂く中、現れた巨大で硬質な影は、私を破壊の奔流から守るように前へ出る。
次々にぶつかる爆炎とウロコ。けれど鈍い銀色を帯びたメタルボディはものともせず、衝撃も爆風も、圧倒的な質量の前で無意味に変わる。分厚い装甲は傷ひとつ許さず、ガッチガチの硬さがすべてを弾き返す。
洞窟の至るところが崩れ落ちるのに、私たちの立つ一角だけが無傷のまま残った。
やがて破壊の奔流が止み、静寂が戻る。彼は平然とこちらを振り向き――
鋼鉄の硬さだった肉球をガッチガチに!
鋼鉄のようにたくましかった足もガッチガチ!
鋼鉄の鋭さをもった牙までガッチガチ!
鋼鉄みたいに頑強だったメタリックボディも、やっぱりガッチガチ!
赤柴犬特有の明るい茶と白のツートーンはそのままに、背中にはバイクみたいなハンドルバー《操縦桿》とシートを備えた、巨大な犬がお座りしていた。
「コ、コタロウ⁈」
「ワン♪」
私は息を呑み、涙をこぼした。
だってそこにいたのは、鋼鉄を超えた神獣。
バイクのようなハンドルとシートを背中に備えた、巨大な赤柴犬――。
私の、大好きな愛犬だった。
……To be continued『リンと新たなる体……ライドオン! 後編』




