第四話 鏡合わせの神殿
暗い廊下が等間隔に設置された柱の燭台で、仄かに灯されている。
黒猫が歩いて行く。奥へ、奥へ向かって。
「パール」
奥から、まだ幼さが残る少女が呼びかける声。
「にゃー」と、応えて鳴く猫。
灯りの灯る部屋が有った。広大な部屋だ。天井など恐ろしく高い。
ペースを変えず、黒猫が歩んでいく。
白い艶のある石を積み重ねた壁は大理石。通路と同じ等間隔の蝋燭が燭台で灯る。
黒猫がまだあどけない少女の元に辿り着き、抱かれる。
「待っていた時が、来ますよ」
少女の口元には、笑みが浮かんでいた。
その声から暫くして、虹色の光が部屋の中央で輝く。
光の収束。
そこには、光り輝く赤子を抱いた少女。黒髪を腰まで伸ばした美しい少女が立っていた。
「お帰りなさいませ。神様方」
黒猫を抱いた少女が、赤子を抱いた少女に。語り掛けた。それに対する答えが紡がれる。
「貴女、私達が分かるの?」
やや、警戒した声。
「はい。お名前は存じませんが美しい方。貴女様は、新しい神様ですね」
ミディアムヘアに、知的でいてまだ幼さが残る印象の少女。貫頭衣タイプの服。黒猫を抱いていて愛らしい。と、ケルベロスちゃんは思った。
「ここはかつて、旧き神々に創られた地。地球。アトランティスと呼ばれる場所です」
ケルベロスちゃんが辺りを見回す。
(これは、異世界転移?)
「地球・・・。アトランティス? 私はケルベロス。こ、ここはもしかして?」
凄く見覚えの有る造りだ。
「はい。ここは、この地の冥界神殿なのです。同じなのではないですか? お久しぶりです。旧き神、メティス様」
ケルベロスちゃんの手をニギニギと握って、遊んでいる赤子が声に反応してそちらを見る。
「かつて、貴方様がこの地の守護に残した巫女。ファウナでございます」
赤子が光の中、嬉しそうに笑った。
巫女ファウナが、その笑顔に笑顔を返してから、ちょっと思案気に、
「身体を滅ぼされてしまわれたのですね。この異世界に転移されたのは、追われている? なるほど」
ある程度、状況が通じているらしいファウナの言。
ケルベロスちゃんが悲しそうに俯く。
「うん。機械仕掛けの亜神デウス・エクス・マキナにやられた。メティス様の財宝が狙われているの」
「その神も新しい神ですね。メティス様に土を付けるとは、やりますね」
ファウナが憤りながらも感心し、人差し指を顎に当てる。
「ううん! 本当ならメティス様、あんなの敵じゃなかったの! 魔法すら、ほとんど使わなかったもの! なのに、わ、私を庇って・・・」
「・・・大事にされているのですね。でも、永遠を生きる神様とて、滅びる事は有るものです。貴女様はメティス様にとって、心の支えだったのでしょう」
黒猫パールが瞳をファウナに向ける。
ケルベロスちゃんは、幼い容姿の巫女との会話で危機的状況を色々思い出した。
赤ん坊がそんなケルベロスちゃんをじっと見る。
「ケルベロスちゃん?」
「え?」
ファウナに懐かしいフレーズで呼ばれた。
「私も、神様をケルベロスちゃんとお呼びしても良いですか?」
「良い」
照れたような答えになった。
「ありがとうございます」
花が咲く様な少女の微笑みに、ケルベロスちゃんも和む。
この巫女の女の子は、今、自分とメティスにとって無くてはならない存在だと分かる。
(しかも、私を気遣ってくれてるんだ)
(この世界に付いて、私は何も分からない。アトランティスの巫女ファウナ。助けてもらおう)
ケルベロスちゃんは、巫女に助力を求めた。
「助けて欲しい。これから、どうしたら良いだろう?」
「兎も角、メティス様は受肉された方が良いでしょう。神様と言えども、神霊の状態では余りに心細い」
「え!? メティス様の今の状態は!? 転生してはいないの?」
ファウナがコクリと頷く。
「残念ながら、まだ」
「どうしたら良い?」
自身を見つめ、ファウナが答える。
「ここには、幸い母体が2つ有りますが。私の幼い肢体では。」
「だ、だったら? わ、私? 私がメティス様を産めば良い?!」
ケルベロスちゃんの、それも辞さないといった感情の籠る言に、輝く赤子、メティスが悲しそうな顔をした。
勿論、冥界神の巫女を務めるファウナは気付く。
「駄目ですよ。メティス様は、ケルベロスちゃんを愛していらっしゃる様です」
「えっ!? 私を?!」
「ええ。そんな方を、メティス様は母とは呼びたく無いでしょう?」
ケルベロスちゃんは頬を染めてあたふたした。
(メ、メティス様が私を!?)
いつも仲良しだったメティスとケルベロスちゃん。偉大な冥界神に対して不敬では?
(で、でもメティスさまが! 嬉しい)
メティスを理解しているらしいファウナの言は、信じられる気がするのだ。
ケルベロスちゃんは、巫女の言葉に幸せを感じてしまった。頬がほんのり朱に染まる。
だが。
誰か母親を買って出てくれるだろうか。
ファウナがポンと、虚空に触れるとそこに映像が映し出された。
白尽くめの四角い部屋に有るベットに横たわって、妙齢の女性が目に涙を溜めている。その顔は悲壮。何かを決意した者の顔だった。
「何度でもお願いします。私はどうなっても良いです。お願いです。神様が居るならばお腹の赤ちゃんだけでも助けて下さい」
祈りの言葉。
「これは?」
ケルベロスちゃんが、メティスを抱いて、映像に歩み寄る。
「この方は、生まれつき身体が弱いですね。ですが、愛する方との子を、望みを持って身ごもりました。神々の血を、僅かに継いでいます。よろしいのでは?」
女性のお腹はもうかなり大きい。
「このままでは、この方が赤ちゃんを無事に産むのは無理。母子共に命を落とすでしょう」
ファウナの言葉を聴き、赤子の状態のメティスが食い入るように映像の女性を見つめる。
悲しみに絶望する中、一縷の望みを神に懸けた女性。
そして・・・。不思議なことが起きる。メティスが映像の中の女性のお腹に触れた。
メティス神は、そのまま映像の中。女性のお腹に吸い込まれていく。そして、ケルベロスちゃんの腕から消えた。
「・・・メティス様」
「冥界神メティス様と、かの女性との間に、契約が交わされました」
「神霊と、彼女のお腹の赤ん坊の魂は融合。一つの肉体を得るでしょう」
表情から感情を消し、ファウナが厳かに告げる。
「メティス様は、何処に行かれたの」
ケルベロスちゃんは事態を見守る気になっていた。
「日本と言う人間の国です。四つの季節、四季の有る、平和と、おもてなしの国。地球上では、かなり治安の行き届いた美しい国ですね」
「日本・・・」
その女性には、輝く赤ちゃんがお腹に入って来るのが見えた。奇跡的な光景。神様に、自分の祈りが聞き届けられたのだろうか?
そして、それは夢か現か分らぬまま出産の日を迎え。
分娩室に赤ん坊の泣き声が響いた。
「生まれましたよ! 元気な男の子です!」
「ああ! 神様!」
歓喜の涙。母親となった美しい女性。父親となった優し気な男性も、瞳を輝かせて涙を堪えている。
母子共に無事。母子の生存を絶望視した中、懸命に手を尽くした病院の医療スタッフ達と夫は、奇跡だと喜び、女性と、産まれたての赤ん坊を祝福した。
父親の名は甲斐秋一。母は蛍。赤ん坊は後日、空と名付けられた。
冥界神メティスは、日本人、甲斐 空として2度目の生を受け、育っていく事となったのだ。