週末ホスピタル
「菊地さん、開けますよ。」
優しい声が聞こえる。
カーテンの隙間から明るい光が漏れて、思わず顔を背けた。
純白に身を包んだ天使はクリップボードを持ちながら、どうぞと体温計を渡してきた。
「具合はどう?痛みはまだある?」
いつ聞いても落ち着く声だ。やはり聞き慣れた声は安心する。
「だいぶ楽になりました。確かに少しは痛むけど、リハビリも出来ているので。」
看護師こと天使の野辺さんは、「そう。良かった。」と言って使用済みのタオルを片付けた。
「今日退院なんだもの。そうじゃなくちゃね!」
「そっすね。でもやっと病院生活に慣れてきたんで、なんだかもったいない気もします。」
「じゃ、まだ入院する?」
「帰ります。」
野辺さんは「ふふふ」と笑って、俺から受け取った体温計を手持ちのボードに書き写す。
こんな会話も楽しかったんだけどなぁ。
この病院はとても居心地が良い。病院の人達もみんな優しいし、相部屋の3人もいい人に恵まれた。少し特殊なのは、みんな退院する日は決まって週末だったこと。
でも本当に素敵な病院だから、別に変なことだと思わなかった。
唯一欠点があるとしたら、ーーーーーーーーーーーーことだ。
ただそんなの本当に関係ないくらい、病院生活は充実していた。
「おい、菊地」
隣から声をかけられた。相部屋で唯一同い年の白木だ。
カーテン越しの黒いシルエット、上半身はすでに起き上がっていた。
「おはよ白木。今日は寝坊しないんだな。」
「馬鹿にすんなよ。俺だってやるときゃやるんだ。そもそもお前、今朝退院しちまうんだろ?」
「ああ。正直、居心地が良すぎてまだ入院していたい気分だ。週末だってのによ。」
「だろうよ。なんだか寂しくなるなぁ。お前以外に同い年の奴がいねぇんだよ。」
「そりゃなかなか来ないだろうな、こんな病院なんか。
ああでも、次は丁度、俺達と同い年の奴が入ってくるかもしれないって野辺さんから聞いたぜ。」
「ほんとか?でも野辺さんが言うなら合ってるな。楽しみだ。」
そんなたわいもない話を続けていると、「菊地さん、菊地さん」と野辺さんが、服やら何やら荷物を持ってきた。どうやらもう時間のようだ。
「もう時間か。なんだか変な感じだな。お前との病院生活楽しかったよ。“また”会おうな。」
「ああ、“また”な。」
準備を終えた俺は、白木と相部屋の2人にも別れを告げ、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
野辺さんの後を追いかけながら静かな廊下を進む。
窓からの暖かい光が廊下を照らして、前後左右どこを向いても真っ白でキラキラしている。
「綺麗ですね。」
「そうねぇ。ここはいつだって綺麗よ。」
「この風景を見るとほんとにそうなんだと思えてきますよ。」
野辺さんは前を向いたまま答える。
「野辺さん。」
「はい、なあに?」
「次はいつ、太陽の光を直接浴びられるんですか?」
野辺さんは前を向いたままパタリと足を止めた。
「・・・数分後かもしれないし、何年後かもしれない。
誰にもわからないの。でもきっと菊地さんなら、また前を向けるし、暖かい太陽の光を浴びられるわ」
そう言うと野辺さんは俺の方へ振り返った。
「でもね、すぐにここへ戻って来てはいけない。まっすぐ生きなさい。
貴方の罪は、貴方自身の命を奪ったこと。次に私と会うことは絶対に無いように。約束して。」
力強く言ったその一言と目で、野辺さんが今までどんな思いで人を送り出してきたのか、わかったような気がした。
自分の身体に目線を合わせた。真っ白な廊下と真っ白な衣装、真っ白な肌が輝いて見えた。
俺はもう、行かなくちゃ、逝かなくちゃいけない。
元の世界にいつ戻れるかわからない。元の世界すらまだ少し怖い。
でも俺はもう、本当に死ぬんだ。ずっと望んでいたことじゃないか。
俺だけじゃない、白木も相部屋の2人も、ここに入院しているみんなも!
なのに何故怖いんだ。屋上から飛び降りた時、ちっとも怖くなんてなかったんだ。
残酷だ。そのまま死ねると思ったのに、この病院を知ってしまった。
野辺さん、俺は約束を守れるのかわからない。
「...着きましたよ。さあ、どうかもう、ここへは来ないでくださいね。」
『この病院はとても居心地が良い。病院の人達もみんな優しいし、相部屋の3人もいい人に恵まれた。少し特殊なのは、みんな退院する日は決まって週末だったこと。』
ここは終末ホスピタル。
『唯一欠点があるとしたら、次もまたこの場所を求めてしまうことだ。』
「よい終末を」
・・・・
「糸繰さん、開けますよ。」
優しい声が聞こえる。
カーテンの隙間から明るい光が漏れて、思わず顔を背けた。
純白に身を包んだ“天使”はクリップボードを持ちながら、どうぞと体温計を渡してきた。
なんだか長い夢を見ていた気がする。
「具合はどう?痛みはまだある?」
いつ聞いても落ち着く声だ。やはり“聞き慣れた声”は安心する。