なぜ、佐久間信盛は追放されたのか?
現代人と戦国時代では価値観が全くちがった。
佐久間信盛の追放に関して、
過去の信盛の過ちを詳細に記述して叱責している点が、しつこい、執着心が強いとして
非常に嫌がる現代人は多いです。
織田信長の特徴として、過去の事をいつまでも忘れない。
ずっと記憶しているという点があります。
過去に部下が失敗して、それを指摘して直さないと、いつまでも言い続け、
それでも直さないと追放まで至ります。
そのやり方に憤慨する現代人が非常に多い。
現代社会においては、過去の事は水に流す、失敗しても忘れることが
良い事だとされていますが、
織田信長は問題点が解決されるまでいつまでも指摘し続けます。
その考え方の根本には神道の考えがあります。
神道は、神道といい、神教とはいいません。
道の概念があります。
道とはずっと続いているもので、
神道の考えでは過去からの知識を集積し、それを少しずつマイナーチェンジしているという
発想が根本にあります。
蓄積と改善、という神道の根本思想を持っているがゆえに、
過去の事実関係はずっと蓄積し、間違いは常に正そうとします。
そういう点が、人間関係を重視し、瑕疵があっても見てみないふりをするのが
寛大な上司というような人間関係重視の現代人から見たら、異様に見えるのかもしれません。
戦後日本の社会的通年からみると、こういう信長の、組織の問題点をいつまでも改善されるまで
指摘しつづける態度というのは執念深く、異常で不寛容な上司に見えるのでしょう。
現代の戦後レジュームの考え方から見ると、織田信長は不寛容で
執念深く見えますが、戦国時代の価値観から見れば、
織田信長という存在は、極めて寛容な存在でした。
それは、龍野神社から出てきた脇坂家文書において
豊臣秀吉が「織田信長は寛容すぎた」と批判しているように、
現代人から見たら執拗で衆根深く、不寛容に見えても、当時の価値観からすれば
とても寛容な人物に見えていたようです。
その寛容さとは、価値観の多様性の抱擁です。
現代人は、右翼か左翼か、とか信仰者化、無神論者か、とか
もっと卑近なことなら、野球派かサッカー派か、アウトドアか、インドアか、
パリピかオタクか、みたいに、思想的カテゴリーで集まり、思想が違うものを
排斥する傾向がありますが、
織田信長は、どのような思想でも受け入れました。
敵対している本願寺の一向宗に関しても、自分に従順な尾張の一向宗に対しては
非常に寛容でした。
キリスト教も、禅宗も受け入れました。
自分は座を守る神道の立場ですが、美濃や近江の楽市楽座も、
伝統的にやっている場所では、それを容認、追認しました。
この行為が、何でも思想統一しないと気がすまない現代人の目から見ると
織田信長は新自由主義者だ、という誤解を与えたのですが、
実際は、織田信長は思想に固執せず、自由に各自の価値観を容認したのです。
それは、婦女子の価値観にまで及び、
木下藤吉郎の妻が夫の浮気の愚痴を信長にしたとき、
信長は、その話に途中で口をさしはさまず、
最後まで聞いています。しかも、相手に説教せず、
妻をほめたたえています。
これは、当時の男性としては異例な行動で、
戦国武将からすれば、まったく意味もないような
家臣の女房の愚痴を文句も言わず、最後まで聞き、しかも相手を持ち上げている。
そういう点において織田信長は戦国時代としては異例な、人の話を聞く人物でした。
織田信長が部下のキリシタンを罰しようとしたとき、佐久間信盛が異論をはさみ、
それを中止したこともあります。
斎藤利三が不穏な動きをしているとして、切腹を命じようとしたとき、
猪子平助が諫言し、それを中止したこともあります。
そんな織田信長をして、
佐久間信盛を追放した最大の原因は、
信長がいくら改善を求めても佐久間信盛が言うことを聞かなかったこともありますが、
それとともに、
自分の部下に対して「真綿の中に針をしのばせているようなやり方をする」
といって叱責しています。
部下の意見を聞かず、圧力をかけて黙らせるような行為に非常に腹を立てているのです。
自分のもっとも近い腹心であったからこそ、
織田信長は自分と同じように佐久間信盛にも部下の話を聞くように求めた。
その話を聞くということは、物理的に話を聞くだけではなく、
相手が本音を話せる環境を提供することであったのです。
しかし、佐久間信盛の場合は、部下が本音を話した場合、表面上は温厚に聞きながら
半面「真綿の中に針をしのばせるようなことをした」つまり歪曲的に圧力をかけて
黙らせたのです。
この事に、織田信長は非常に激怒したのです。
織田信長は婦女子でさえ、夫の浮気の愚痴を言うほど、家臣やその妻からも
本音を聞くよう努め、その環境を整備した。
しかし、佐久間信盛は部下に対して、自分の考えに従うよう圧力をかけた。
現代人は、むしろ、この佐久間信盛に共感する人が多いです。
それは、思想的に、自分の組織に所属するものは、無条件に
自分の組織に何も考えずに服従することが正義であるという
戦後レジュームに頭がそまっているからです。
自分の頭では考えず、上から命令されたことを無条件に信じ、
服従し、実行する。それが正義。
それが戦後レジュームの日本の考え方です。
当然ながら、戦国時代にそんな考え方はないですから、
個々が個人で価値観を持っており、
自分の存在意義のために生きることがもっとも大事であり、
その自分の存在意義や価値観を認めてくれる上司こそ至上であったのです。
そうした現代と違う、戦国時代の価値観からすれば
織田信長は理想の上司であり、
現代日本のように、組織防衛のためなら自分の組織に不備や不正にも目をつぶる。
思想こそ大事で異論は認めない、といった集団主義とはまったく違った価値観を
戦国時代の人たちは持っていたのです。
しかし、それはアメリカという支配者が巨大であったため、
その支配者に何も考えずに服従していれば繁栄できた、
まさに戦後レジュームであればこそ、成立した価値観であり、
今後、アメリカの弱体化とともに、その結束が乱れ、
乱世の状況が蔓延してくると、自分の頭で考えられない者、
自分の価値観をもっていない者は次々と淘汰されていくでしょうから、
これからの若者は織田信長と近い価値観をもっていなければ、
生き残っていけないでしょう。
織田信長も佐久間信盛に対して、
自分で何もしなくても、後々織田信長の威光によってなんとか解決するだろうと
甘いことを考えていたのだろうが、世の中とはそんな甘いものではない、と
叱責しています。
今後の日本は大きなレジュームチェンジの時期をむかえており、
これまでの価値観から脱却できない人々は次々と滅びていくでしょう。
団塊の世代は、たとえ、過去の価値観に固執していたとしても、
ぎりぎりで日本社会を混乱させ、ガタガタにした状態で定年を迎えて逃げ切りです。
現代人は、食べるものや金、衣食住、金など物質がもっとも大切なものであったが、
戦国時代の人がもっとも尊んだものは、自分の存在意義であり、
価値観であった。
戦国時代の人間にとって、自分の価値観を認め、自分の話を真剣に聞いてくれる織田信長は、
たとえ、命をさしだしてもいいどほ尊い存在であった。
衣食住、金など物質的な豊かさこそ価値の最優先である現代人には、
当時の戦国時代の人間の価値観はなかなか理解できない。




