織田信長に関する虚偽記載
織田信長の母親に関して、現代、二人の名前があがっています。
その原因について記述します。
よく、織田信長の母は土田氏か小嶋氏かという議論になることがありますが、
織田信長の母が土田氏であるという記述は武功夜話という虚偽文書に記載されているものです。
私は生駒氏の子孫である生駒英夫氏に取材しましたが、
この土田氏の出現は昭和になってからであり、
地元有力者である土田氏と武功夜話、前野家文書の創作者との関係を指摘されておられました。
元々、武功夜話は、作者の方が生駒氏のお父様の所に取材にこられ、
「小説を書くから資料を提供してほしい」
という話で生駒家から資料と情報提供を受けている。
生駒氏から直に詳細な情報を得ているので、武功夜話に詳細な事実情報が
断片的に記載されていることは当然のことです。
武功夜話の罪状は、信長の身辺や生駒氏の素性の改変にとどまらず、
一向一揆を貧しい農民の集団であると記述してしまったことです。
実際はルイスフロイスの書簡など一次資料に、
当時一向宗は日本国内でも有数の大金持ちであったことか記載されており、
本業は金貸し業であったことがわかっています。
その一向宗が勢力を拡大したのは、細川晴元との闘争に勝利し、
徳政令が発令されても一向宗は従わなくてもよいという特権を勝ち得て以降です。
当時、寺内町で売春が行われていたことはルイスフロイスの書簡にも記載さており、
売春、賭博で散財させ、金を貸して利殖を図る方法で莫大な富を手に入れていたようです。
それが、武功夜話が「貧しい農民の集まり」と書いてしまったことにより、
世間一般に大きな誤解が広がりました。
実際に地元の古豪や旧家、子孫のお家を一軒ずつ訪ねて取材しれいれば、
簡単に武功夜話が本物か偽物かわかることであって、
それが分からないのは、他人が足で丹念に足で探し出して提出した資料を
右から左に転載するだけで文書を書いているからです。
生駒氏によると地元有力者の土田氏が選挙に立候補するにあたり、
自分の広報活動の一環として、武功夜話の著者に、自分の名前である
土田氏を織田信長の血族として登場させてくれるよう要請したことが
はじまりのようです。
かくして、本来、創作物であったはずの武功夜話は、実際の文献であると
喧伝されることとなった。
生駒英夫さんからは、そのように伺いました。
生駒氏が一番懸念しておられたことは、
織田信長の母親の件だけでなく、本来藤原氏の名門である名家生駒氏が、
地元の商人にされてしまったことです。
生駒氏は本来、織田氏よりも家格が高い名門であり、藤原氏の一族です。
地元の商家ではありません。
その点、強調しておかねばなりません。
これは、私自身しらべて、実際に生駒氏が藤原家の名門であることは事実であると断言しておきます。
この武功夜話以外にも
昭和になってからの逸話で
「童子切」は織田信長が幼子を試し切りに使った刀だから童子切りだという
言説です。
戦国時代、家に仕える子供は「稚児」といいました。
当時、「童子」というのは鬼の事でした。
「童子切安綱」の名前は、源頼光が大江山の鬼の首魁、酒呑童子の首を切ったとの
逸話から童子切とされたものです。
おそらく、昭和時代の連想と信長保有ということで、「織田信長が子供を切った」
と安直に風説が流布されたものと思われます。
今回のまとめ
武功夜話の作者は、
最初に生駒英夫さんの家に「小説を書くから資料を提供してほしい」
と言ってやってきて、生駒家から詳細な資料を入手した。
政治家に立候補したい地元の有力者土田氏の意向で、状況が変化し、
実際の古文書であるとウソが喧伝されることとなった。
武功夜話が喧伝するような生駒家は地元の商人ではなく、
藤原氏の血統の名門である。
生駒吉乃という名前は武功夜話の創作であり、実際は名前は分かっていない。
生駒家の意向としては
戒名である久菴桂昌大禅定尼から
久菴と呼んでほしいとのこと。




