織田信長を一番悩ませたこと
織田信長は家臣に対して再三にわたって「自分の頭で考えて行動せよ」と言い聞かせている。
そして、自分の頭で考えて、人から言われる前に行動した家臣を
その都度、褒めている逸話の残っている。
織田信長を一番悩ませたことは、日本人の大多数が計算ができない事です。
非常に情緒的で、何かを拝んでいたら問題を解決できると信じていたこと。
特に信長を悩ませたのが一向宗です。
彼らのトップはちゃんと計算ができて、打算で行動していて、
計算によって人を動かしているんですが、末端の信者には「阿弥陀仏を拝んでいたら、すべて解決する」
と教えているわけです。
末端の信者は、実際、目の前に問題があっても「南無阿弥陀仏」と拝んでいるだけなんです。
たとえば、川の堤が老朽化して修理しないといけないのに、本願寺様にお金をみつぎ続ける。
信長が「いや、本願寺なんかに金を献上してる余裕ないだろ、先に堤を修繕しろよ。と言っても
「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」と拝んで思考敵視に陥っているわけです。
それで、信長が無理やり矢銭として金を取り上げて、それで堤を修繕したりすると、
「仏敵だー!」と言って叫んで転がりまわるわけです。
「仏の金を取り上げた!謝罪と賠償を要求する!」と
「お前らのためにやってやっているんだ」と論理的に説明しても理解できない。
「堤なんて壊れてないじゃないか!金の無駄使いをした!」と叫ぶわけです。
「いや、今は大丈夫に見えても、経年劣化の計算をしたら、今から工事しないと間に合わないから」
と言っても理解できない。それで、信長が無理やり修理すると、「やっぱり何も起こらなかったじゃないか」と起こる。
僧侶というのは、やり方が違うわけです。
ちゃんと堤が崩壊するのが分かっていて、
「〇〇から何年たつと、あそこの堤に祟りが神が降臨する。雨が降ったら逃げなされ」
と言って、実際、何年かたったら堤が崩壊して村が無茶苦茶になる。
「ああ、大僧正様の予言が当たっただ!」と言って村人は坊主を崇拝する。
僧侶はショックドクトリンをとるわけです。
わざと大災害が起こることを想定しておいて、人々を殺して、
ショックを与えておいて、そのあと、長年農民から巻き上げた金から少しだけ金を出して、
農民たちを救う。
寄付金の大部分を自分のポケットに入れておいて、ほんの数パーセントだけ慈善事業に使う
人権団体みたいな。
織田信長はちゃんと計算して、その出資率を見ていて、「こら、お前ら、大部分を自分の袖の下に
入れているじゃないか、ふざけんな詐欺師が!」
と言って僧侶に激怒する。
農民からしたら「大恩人の僧侶様が攻撃されてるだ!一揆だべ!」となるわけです。
朝倉攻めでも、織田信長は再三にわたって、論理的に信長がこう動けば、朝倉はこういう風に
崩壊するからと説明しているにも拘わらず、家臣は「そんなうまくいくはずがない」と放置して
信長の言った通りになって信長から激怒され、叱られるわけです。
自分たちが論理的に行動できなかったために、叱られてるのに、佐久間信盛などは
「自分たちほど優秀な家臣はおりませんぞ!」と信長に食ってかかるわけです。
信長は、家臣たちが論理的に思考できずに、論理的に思考すれば当然、当たり前に予測できることを
予測できなかった事を怒っているのに、感情的になって怒鳴り返す。
信長が悩まされたのは当時の日本人のそういう部分です。
そういう状況下で、インテリの僧侶たちは統計学や数学を使って状況を予測し、
あえて被害を放置して、大惨事が起こったあとに民衆を救う。
「あそこで数年後災害が起ころう、逃げなされ!」「狛犬の目が真っ赤になったら洪水が起こる!」
とか昔ばなしに逸話が残っていますが、そういう事を言うわけです。
それは、堤を修繕補修すれば避けられることなのに、それをしない。
放置して、災害が起こったら、民衆を救う。
彼らはインテリなので、大災害が起こることを理解しているし、それを防止する策も理解しているのに、
自分たちの人気取りのために、あえて災害を放置し、多数の人をしなせる。
織田信長はそういう僧侶たちに怒りを感じていたのです。
だから、僧侶に対して非情に厳しく当たった。
織田信長が安土城の石垣の非常に目立つ階段の踏むところにあえて、石仏を大量に埋め込み、
現在でもそれを見ることができるのは、
「冷静に考えたら、石仏なんて踏んでも何の祟りもないんだよ、お前ら、祟りとか因縁解脱とか
言ってる僧侶たちに騙されているんだよ」と
比叡山のおひざ元の民衆の知らせる意図があったのです。
そうじゃなくて、災害を事前に予測して土木事業をする。
金持ちになりたかったら、お寺にお参りにいってお祓いしてもらうんじゃなくて、
道路を作って、物流の効率化をはかる。とかちゃんと計算して
事前に危機を察知することが大事なんだ。と織田信長は再三にわたって民衆に言い聞かせているんです。
それで、面白いのは、
そういう織田信長の書いた書簡と信長公記を読み合わせると、
織田信長が論理的に家臣たちに説明している時期に信長公記に
「織田信長公、お狂いになられ、鬱を散じさせそうろう」と書いてあるわけです。
家臣たちは信長が言っていることを「わけのわからない事を言って、気晴らしをしている」
と受け取っていたのがよくわかります。
それでも、信長は、論理的に話し、それを日本人に根づかせようとしたのです。
織田信長が民衆に臨んだことは、
人が言ったことをうのみにせず、
自分の頭で考えて判断すること。




