現代日本の本当の闇
闇は深い
ここからが本当の本番なんですが、
私が次作小説を書けなくなったことにも関わってくるわけですが、
織田信長が本当にやめさせようとした事について書きます。
日本には人柱という制度があったのです。
土木工事をするとき、人を埋める。
これは、もともと、日本人というのは優しいので、
村で障碍者が生まれたら、村抱えで育てていたわけです。
それでも、大災害が起こると、もう養うことができない。
健常者も餓死してしまう究極の状況で、
今まで育ててきた障碍者を埋めて殺してしまう。
それが本来の人柱だったのです。
このあたりは出雲の国譲りの中の説話にも影響らしき物語がありますが。
それで、埋めて殺してしまうかわりに、今後、ずっとお前を神様としてまつるからな、
みんなが生き残るために犠牲になったことに感謝しつづけるぞ!
という意味で神様として祀るわけです。
それがヒルコ神なわけです。
だから、蛭子様は富を授けてくださる神様なわけです。
そういう残酷なお話なのです。
しかしですね、農業革命が起こって、あの、足で押す水車が室町時代頃に開発されたわけです。
あの足でクルクル水車を回して低い土地の水を高いところにあげられる技術。
こんな簡単な事ですが、これで飛躍的に水田耕作地が広がった。
それでもう、そんな障碍者を埋め殺すような事はする必要がなくなったわけです。
神道的には。
しかしですね、その時代になると仏教が広がっていて、仏教的価値観が
蔓延していたわけです。
それだけならいいのです。
しかし、そこに利権が発生したのですね。
人柱を埋める。それを年に一度、慰霊のために供養しなければならない。
それが犯土聖なのです。
仏教の僧侶がその供養祭をして村人からお金を貰う。
本来は、神道で、村の犠牲になってくれた人への感謝の気持ちだったものが、
わざと、必要もないのに、人を埋めて、寺の利権のために人を殺す
利権ビジネスになってしまったのです。
しかもですね、
その供養祭をしないと坊主は「祟りがあるぞ!」と脅すわけです。
そうやって、土俗的心霊スポットというのが全国に続々できてくるわけですね。
「お前らは土木事業をやって人柱で人を殺した!自分たちが災害にあいたくないから、
私利私欲で人柱をたてた!そのせいで、殺された人が呪っている!
お前らは加害者だ!俺たちエライ坊様が供養するから被害者様は我慢してくださるんだ!
さあ、謝罪と賠償を永遠に払いつづけろ!」
という被害者ビジネスです。
そういう被害者ビジネスのテンプレートがすでに室町時代から存在していたんですね。
だから、織田信長は神道の家系で、そんなものは嘘っぱちだとわかっていたので、
腹が立ってしかたがなかった。
それこそが織田信長の行動原理なのです。
だから、そこが分かっていると、
織田信長の行動が理解できるわけです。
現代人が見て、織田信長の行動が狂気にしか見えなかったことが、
なぜ、そんな事をしたのかわかってくるわけです。
城の下に大量の地蔵を埋める。
これは人柱を使わずに代わりに石の地蔵を入れる。
ほら、人間を入れなかったから祟りはないぞ、クソ坊主に毎年、
供養祭りの金なんて払わなくていいぞ、合理的じゃないか!
これは、実際の発掘調査で、織田信長が直接指揮した城郭から
人柱の人骨が発見されていないことから分かっている事実です。
織田信長が指揮した城郭からは一つも発見されていません。
しかし、それをやられると、寺院としては大きな収入源を失うわけです。
それで、全国に説法に回っている辻説法の坊主たちに織田信長の悪口を言って回らせるわけです。
「織田信長は残虐だ!非人道的だ!被害者様をないがしろにしている!」
かくして、織田信長と寺院が無茶無茶対立することになるわけです。
そういう構図を見ると、
なぜ、織田信長が
村人から「あいつは先祖が悪い事をしたので、因果応報で身体障碍者になったんだ!」
と言われて、村で放置されていた障碍者、山中の猿に対して高級反物を村人に渡して
「これであの障碍者を助けてほしい」
と織田信長はわざわざ山中の猿を助けたのかわかるのです。
「いや、因縁で祟りとかウソやから。それ寺の坊主の被害者ビジネスやから」
という織田信長の確固たる信念に裏打ちされた行動なのです。
こういう経緯があるからこそ、
江戸時代はあえて、
それを逆手に取ったわけです。
神道の神官の地位をさげて、
坊主の地位をあげ、
檀家制度をつくって民衆全員を仏教の支配下に置く。
「織田信長は残忍だ~」と仏教の僧侶に説法でいいまわらせる。
そうして暗に織田信長配下だった武将たちに「お前らも加害者側だぞ~永遠に謝罪し、
贖罪し、服従しつづけろ~」
と言いまわって織田復活とか徳川への反抗とかさせる気力を奪ったのです。
そうやって、「神道はだめ~織田は残虐~」
と坊主が300年言い続けてきた抑圧のはけ口、爆発こそが
「廃仏毀釈」なわけです。
だからこそ、仏教の抑圧支配から解放された民衆が進んで、仏教寺院を破壊して回ったのです。
これも、意味がないことではないのです。
そして明治になって建勲神社が建てられ、織田信長は神としてあがめらえたのです。
これ、現代の出版界のタブーで、これ書きたいって言っていくつか、それ以降、
メール送っても返信がかえってこなくなった出版関係者がいる。
本当の事なのにねえ。
何で書いたらいかんのだろうか。
これ、出版社からは絶対本が出せない。
やるとしたら、自費出版しないと。




