NHK大河ドラマ「宮本武蔵」を訴えた7人の侍の子供たち
NHK大河ドラマ「宮本武蔵」の中で七人の侍の中で演じられていたシーンと酷似した
内容が放送されてしまいました。
激怒した七人の侍の権利を持っているひとたちは裁判を起こしました。
さて、どうなることやら。
吉川英治原作:NHK大河ドラマ「宮本武蔵」のワンシーンに映画、七人の侍を
丸パクリしたシーンがあるとして、七人の侍を製作した黒澤明監督の子供たちの世代の方たち、
権利を持ってる人たちがNHK側を告訴する騒動がありました。
これ、親の黒澤明が生きてたら絶対にやらなかったであろう事件です。
そもそも、七人の侍に出てくるようなオドオドと怯えた農村なんて戦国時代には
存在しなかったわけです。
乱世の戦国時代、
国人衆という武装農民の集まりは、ガチムチの武装手段で、お公家様や寺社から
農地を略奪して横領して自分のものにしてしまった人たちですから、
元々根性が座っているわけです。
ただし、そのまま盗んだままだと「略奪者」として討伐されてしまいます。
周囲の武装勢力も他人の土地を安全に奪える「大義名分」が得られるわけですから、
周囲が連合を組んで、幕府に申請してよってたかって簒奪できる恰好の餌食になるわけです。
そこで、公家や寺社仏閣から領地を奪った国人衆は「自分たちは略奪者じゃないですよ、
天皇陛下の子孫の方の大義名分にしたがって、悪い公家や寺社が天皇様から奪った土地を
奪い返したんですよ」という大義名分を立てなければならないわけです。
それが「武士」の始まりです。
天皇陛下の皇子様たちの落としだねの源氏や平氏を「旗頭」として立てて
「我わは天皇陛下の子孫様を奉り、正義のために悪い公家や寺社が天皇様から奪った土地を
奪い返したのだ!」
とう大義名分を立てて公家や寺社から土地をぶんどるわけです。
相手が本物の天皇陛下の子孫なので、周囲の国人勢力も下手に手を出すと自分たちが
逆賊扱いされかねない。
だから、自分たちも天皇陛下の子孫「源氏」や「平家」などを旗頭にして戦うわけです。
そこで武士と国人衆の武家の武装集団が登場してくるわけです。
尾張で典型的なのが津島の津島南朝十五党で、
その旗頭が、大橋氏なのです。
大橋氏はもともと平家ですが、その上に
後醍醐天皇の皇子良王親王嫡子を養子として跡取りとしてたために、
きわめて御皇室の血筋の強いお家柄となったわけです。
そのため、巨大勢力である幕府直轄の斯波家に頑強に抵抗します。
しかし、大橋重一の時代になって、跡取りがなく、
養子を迎えるわけですが、名前は残っているものの、後醍醐天皇直系の
お血筋はそこで途絶えるわけです。
このため、津島衆の結束の弱体化を恐れた養子の大橋重長は織田信秀の娘、
蔵を嫁に迎え、織田の傘下に入ったのです。
これが織田家躍進の原動力になります。
そういう状況なので、七人の侍に描かれていたようなビクビクと卑屈な農民など
実際には存在しない。
しかし、それならば、なぜ、歴史をよく調べている小説家吉川英治氏の宮本武蔵にも
同じようなシーンがあったのか?
実は、七人の侍という映画、自分たちで歴史は研究せず、色々な歴史的権威が
調べ上げた歴史上の事実のエピソードを大量に転用して映画の中に入れているわけです。
映画の中で子供を人質にとった強盗に対して頭の毛を剃って僧侶のふりをして
相手を安心させて強盗に近づき、子供を取り返すシーンは
上泉信綱が実際に行ったエピソードを転用しているのです。
このように七人の侍は戦国時代に実際に起こったことを大量に転用しているので
ものすごくリアリティがある。
怯える農民たちを守って、少数の侍が野党と闘うシーン、
これも、宮本武蔵が実際に行った事実なのです。
なぜ、こんな怯えた農民たちが誕生したかというと、それは
私のこの文書の質問コーナーにも質問があった、
「走り者」なのです。
走り者に関しては、
著書、
逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦 (中公新書) 新書 – 2002/2
宮崎 克則 (著)
が詳しいです。
つまり、自分たちの農地を捨てて逃散した流浪農民の寄せ集めなわけです。
そういう「走り者」を集めて領主が宮本武蔵に森林を伐採して農地の新規開拓を任せたわけです。
当然、よそから逃げてきた寄せ集め者で、地域コミュニティも知らず、敵が攻めてきたら
逃げたらいいやと思っている連中ですので団結力もなく、卑しく、ビクビクしてるわけです。
そういう弱い連中ですから、日頃はガチムチの農民に歯が立たない野伏せりたちも
「あれ?これ俺たちでもいけんじゃね?」と思って襲ってくるわけです。
宮本武蔵も農民たちからご飯一杯で雇われたわけではなく、ちゃんと領主から依頼を受けて、
それ相応の報酬を受け取って農地の新規開拓を行っていたのです。
でも、たったごはん一杯で人を殺す傭兵
加世者も実際には存在していたわけです。
人々が食い詰めている状況ですから、たった一杯の目の前のごはんが食べられるだけで、
戦争に参加する傭兵は実際に存在したわけです。
ですから、乱世においては、桃太郎が「キビ団子食べ放題」を提示したら
猿や犬やキジが「傭兵になるっす!鬼を殺しまくるっす!」と二つ返事で
引き受けるのは当時の常識としては極めて全うな取引だったわけです。
そういう風に、七人の侍製作サイドは所詮歴史の専門家ではなく、
一本の映画を作るためにありとあらゆる場所から情報を転用してきた
フリーライダーであったからこそ、
現象としては正しい現象を描いていても
事の本質においては「おらたち日本の百姓はみじめで卑怯で平気で人を裏切って逃げるクソ野郎ですだよ~」
みたいな頓珍漢な思想になってしまうのです。
実際に自分で歴史の研究をせず、他人が長年研究した成果の上澄みだけを救って転載する
フリーライダーには、たびたび、本質論においてこういうトンチンカンな現象が起こるので
注意が必要です。
そんな事実を知らない次世代の人たちは目の前で放送されているNHK の大河ドラマ「宮本武蔵」
の中で七人の侍とまったく同じシーンが演じられていることに激高し
「おらたちゆるせねえだ!裁判所様、裁いてくださいまし!」と裁判を起こしたわけです。
当然、七人の侍側は敗訴。
そりゃ、もともと、吉川英治の小説の側が元ネタなんですからね。
当然です。
自分で実際に研究せず、他人の成果だけを取ってきて、
自分のもののように主張する人たち、
フリーライダーには
時として、
現象としては正しくても、本質論の解釈としてトンチンカンな事を行ってしまう
ことが時々あるという事例でした。




