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織田信長の行動記録  作者: 楠乃小玉
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明智光秀がなぜ織田信長を恨んだかは公然の事実

明智光秀の常識と織田信長の常識は違っていた。

明智光秀には京都奉行という警察官の立場の人間が

いくら横領が横行した戦国時代でも

横領することは社会通念上許されないことを理解していなかった。

よく、あれほど織田信長に感謝する書状を書いていた明智光秀が

なぜ織田信長を恨むようになったか「謎」だって言われていますけれども、

あれは謎でも何でもないわけです。


当時の一次資料を見ると、明智光秀は京都奉行職になったにも関わらず、

公然と横領を繰り返し、天皇から勅使が二度も発せられる事態となっている。


よく、当時は横領が横行していたから、明智光秀の行動は何も悪いことではないと

贔屓の引き倒しをする人がいますが、

勅使が発せられるほどの大事になって、いいわけがないのです。


現代の例で考えてみましょう。


現在、セクハラやパワハラはかなり多発しています。

それでも、それは内々の組織では公然とされていたとしても、

公になったらまずいのです。


たとえば、日大タックル事件。

あのように世間に知れ渡って報道されたら、火消ししないととんでもないことになるのです。


これは、木曽義仲が京都に入場したとき、傍若無人を繰り返し、

治安が乱れても放置し、天皇からの治安維持の要請も無視したために、

源義経により討伐されたように、

信長が天皇の勅使を無視したらやばいことになるわけです。

政権崩壊の危機です。


当時、横領が横行していたからといって、警察官の立場である京都奉行が

そんな事を大っぴらにしてはならないのです。


織田も昔横領していたという人がいますが、小勢力のうちは見逃されているのです。

天下を掌握する権力者側がそれをやると、これはもう、支配者としての信用を失い、

破滅への道を突き進むことになる。


だから、織田信長としては気が気ではない。


しかし、明智光秀はそういう政権側に立ったことがない立場の低い者から出た人間なので、

「なんだよ、横領なんて誰でもやっているだろ」的な感覚なわけです。

天皇に対する敬意もない。

だから、天皇からの勅使も気にしない。

事の重大さを理解していなかったのです。


これは丹波の所領でも同じで、当地民たちからは慕われていましたが、

丹波の寺院から信長に多くの寺領横領の訴えが届いている。

そうなると、信長はやばいと思うわけです。

「やばい、このまま寺院が多い丹波に光秀はおいておけない」

だからこそ、日向守の官位を与えたのです。

それは「将来、お前は日向の領地に移転させるよ」という告知なのです。

だから、突然、丹波を取り上げたわけではないのです。

これは、秀吉も筑前守の官位をもらっているわけです。

秀吉も将来、近江の所領を取り上げられて、筑前の領地を与えられることはわかっていたことなのです。


だから、そのことで切れることはない。


でも、日向というのはキリシタンが跋扈して寺社仏閣を破壊して放火して回り、

略奪してまわっていた土地なのです。

寺社仏閣不毛の地なのです。


信長が光秀を日向守にしたのも光秀の寺社仏閣からの横領を抑止する意味もあったのです。

これに対して、光秀は切れるわけです。「寺社仏閣から横領できんじゃないか!」

そして信長に恨みを持つわけです。


これは、一次資料として織田信長が何度も光秀に対して寺社の所領の横領をやめるよう、

書簡で通知を出しているわけです。


それにも関わらず、光秀は横領をやめない。


そして、二回も天皇から勅使が出される。


天皇から勅使が出される事態というのは、

すでに状況としてアウトなわけです。


日大タックル事件で、当該生徒が「先生がやれと命令しました」と記者会見を開き、

マスコミで大々的に報道されている状況的にやばいのです。


だから信長は必死に光秀にやめるよう書簡を送っているのに、光秀はやめず、

天皇から二回目の勅使が出された。


だからこそ、信長は切れて光秀を殴ったわけです。

「おまえ、ええかがんにしろよ、命令を無視しつづけやがって!我慢の限界だよ!」

それが丹波の領地取り上げにつながったのです。

領地を取り上げないと、どれだけ寺院の領地を横領するかわからないから。

坂本なんてもう、寺院の塊みたいなもんですから、相当やばいわけです。


では、なぜ、江戸時代の公式文書に明智光秀の領地横領の件がまったく書かれていないのか。


それは、春日局が江戸幕府内で莫大な権力を誇っていたからです。

徳川家は、織田家勢力が盛り返すことを恐れ、明智勢力を積極的に

徳川政権の中枢に居れた。

明智の発言権を増すことで

「徳川は織田から政権を簒奪したんじゃないですよ、私たちは明智と一緒で

かわいそうな被害者なんですよ」


という発言を自分じゃなくて明智がせっせとやってくれる。

そういう背景で「明智軍記」が発行されることとなったのです。


だから、織田家の一次資料を読んでいれば、織田信長が明智光秀に、何度も横領をやめるよう

命令していること、光秀がそれを無視しつづけていることは分かるわけです。


そして、切れた信長に光秀が殴られ、領地を取り上げられる。

光秀は成り上がりもので、そういう支配階層の教養がある人物ではないので、

「なんや!横領なんて誰でもやってるやんけ!」

と自分だけが恣意的に信長からイジメられていると曲解して信長を恨むわけです。

光秀は「自分も佐久間信盛のように追放されるかもしれない」という発言をしていたという

逸話が残っていますが、

これは、織田信長はめったな事では家臣を追放しないが、唯一、

織田信長の目的である「信用貨幣取引を社会に啓蒙する」という目的を邪魔する者は

容赦なく追放することを光秀が知っていたことを意味します。

自分がやった横領によって信長政権の信用が失墜し、

信長は自分の存在が邪魔だと考えて追放するかもしれない。

そう光秀が考えていたことを意味します。


よって、スキをついて、信長から政権を簒奪しよう。

と考えたという可能性が強いと思われます。



織田信長と明智光秀の関係が決定的に悪化したのは、

明智光秀が権力を利用して自分の領土の寺社の所領を横領しまくったから。

光秀は、「戦国時代は横領が横行してるんだから自分も同じことをして何がわるい」

と当初考えていたが、あとに、その自分の行為が織田信長が推し進める信用貨幣経済を破壊する

行為であると気づく。

頭がいいだけに、同じ理由で佐久間信盛ほどの大物が追放されたことを理解し、

次は自分だと考える。

よって、追放されるくらいなら、信長を殺しちゃって、自分が全部奪ってしまおうと考えた。

と考えられる。

信長が光秀に何度も「横領やめろ」と通告する書簡は一時資料として残っている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 非常に納得した。 それプラス信長がほぼ丸腰で本能寺にいる。 ならば、今、殺そうと魔が差しても仕方ない。 魔が差した説も納得していたけど、この説とセットになると、さらに納得出来る。
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