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織田信長の行動記録  作者: 楠乃小玉
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織田信長の態度

織田信長はどのような態度をとっていたのか

前に、織田信長の内心は非常にネガティブだと書きましたが、

それは信長文書の研究に残っている書状で、

織田信長が常に心配しているからです。

心配して、少しずつ手を打って、状況を改善しようとしてゆく。

短期的、中期的に目標を定め、それを小さな行動で少しずつ埋めていく。


それが織田信長の内心面です。


しかし、信長公記やその他の文献を見ますと、

織田信長は非常に明るくふるまっています。

身分の低い者にも親しく接し、そのため、

民衆からは絶大な人気があったようです。

人がいる場所では絶対に暗い顔をせず、

明るくふるまいます。


信長の性格1、

家臣の前ではいつも明るく笑い飛ばしている。


驚くべき点は、自分たちが確実に全滅するであろう状況でも

冗談を飛ばし、笑っている。

桶狭間の合戦の時、熱田神宮に集合し、

そこで待っていた熱田加藤家の加藤順盛を見つけると

「加藤が居たから、今日はきっと勝とうぞ」

と冗談を言っている。


そのほかにも、近江でうどんをごちそうになると、

「負ける奴は運が鈍になって食われてしまうのだ」

と言って冗談をとばしている。


2、

ものすごく共感力がある。

木下藤吉郎の妻、ねねが信長に、夫の浮気の愚痴を言ったとき、

「あなたのような素敵な女性はあの禿ネズミにはもったいない。

でも、あんな男でもどうか支えてあげてほしい」

と言ってねねを励ましている。


当時の常識から考えると、国主に家臣の妻がこんな事を言ったら無礼として大問題になり、下手をすると

無礼打ちになりかねない。


また村木砦の戦いで、大勢の近臣が亡くなったため、一人一人見回って、涙を流している。

現代人の中には「これは同情を引くための芝居だ」という人もいるが、

当時の常識では、男が人前で泣くことは見苦しいことで、弱いとみられる行為である。

殺すか殺されるかの戦国時代において、これは極めて危険な行為である。

当時の常識では、国主や自分の主人からほどこしをうけて、感動して泣くことは許されても、

悲しいから泣くということは、弱さの表れとされた。

むしろ、ここでは信長の「うつけぶり」「奇行」を表すエピソードとなっている。

これは信長公記に記録されている逸話であるが、現代人で信長公記は時の権力者によって

描かれているから、わざと織田信長を美化している。という人がいるが、

そういう人は、実際の信長公記の内容を読んでいない。

信長公記は、織田信長が死んだあとに描かれており、丹羽長秀、豊臣秀吉に仕え、

そこに媚びる形で書かれているので、

信長の幼少期を「うつけ」と呼んでいたり、進んで信長の奇行を書いている。

また、自分が理解できない信長の行動を「お狂い」と呼んで、狂っているとまで書いている。

はては、後期になると信長公とさえ書かず、「信長」と呼び捨てに書いている部分もある。

よって、これらの行為は、信長が本当に行った行為であると思われる。

また、山中で障碍者を見つけ、村の者に高価な反物を渡し、

これでこそ障碍者を養ってほしいとお願いしたりもしている。

有名な「山中の猿」の章である。

織田信長がかわいがった「猿」という小者は、おそらくこの障碍者の事である。

秀吉は「禿ネズミ」と呼ばれていた。


また、信長が行軍中、百姓が寝ているのを家臣が見つけ、

無礼だから切り捨てましょうと言うも、

「百姓が昼寝をしていられるような国を作ることが我が夢である」と言って

殺すのと止めた逸話がある。


安土城の美しい内装を近所の百姓たちに見せている。


世間一般の大名からしたら、まったく無価値な庶民に対して、非常に共感している場面が

多数存在する。


3、これが信長最大の特徴であるが、

よく人の話を聞く。


小説では独断専行で人の話を聞かない人物として描かれているが、

実際は多くの人の意見を聞いている。


武井夕庵は信長に何度も諫言をしているが信長がそれに怒った記録はない。


佐久間信盛も織田信長が機内の寺社からキリシタンが悪行を働いていると訴えを聞いて

激怒し、キリシタンを罰しようとしたとき、「それは濡れ衣である」と訴えて、

信長の処罰を撤回させている。

実際にはルイス・フロイスの記述にもあるように四天王寺を焼き討ちしたり、

高山右近が高槻や明石で寺社仏閣を破却したりしているので、寺社の訴えは

事実であった。

このことも、佐久間信盛の評価を下げた一因と思われる。


4、他人に対して非情に低姿勢。

家臣から竹20本を送られたことに、極めて丁寧な返礼の書を送っている書簡が残っている。

また、本来敵視していた武田信玄や上杉謙信にも極めて礼儀正しくふるまい、

贈り物もしている。

武田信玄は織田信長からもらった漆塗りの器を刀で削り、漆が何層にも重ねて塗られていることを

たしかめ、

この人物の誠意は本物だと判断している。

上杉謙信には洛中洛外図屏風を送っているが、

その中には上洛した上杉謙信が描かれており、

信長の細かい配慮がうかがえる。


また相手が身分が低いものであっても、他人には「貴様」(あなた様、貴殿の意味)と呼んで、

敬語で話した。

ルイスフロイスら宣教師が謁見に来た時には、遠路はるばる来たことに同情し、

自分が自ら、宣教師の食事の膳を運んでもってきている。


この、信長が本来敬語である「貴様」を誰に対しても使ったことを真似して

庶民も相手を貴様と呼ぶようになった。

このため、本来丁寧語であるはずの「貴様」が乱暴な言葉のように認識されるようになった。


5、他人をねぎらい、家臣をほめる。


織田信長は事あるごとに家臣をほめている。

佐久間信盛への折檻状でさえ、

家臣をよくほめ、特に明智光秀の功績を高く評価している。

よって、明智光秀が「我々も苦労したかいがあった」と言うと

信長が「お前が何を苦労したというのか、すべて我の手柄だ」

と言って明智光秀を折檻したという逸話は、事実とは思えない。

織田信長は自ら、自分で明智光秀を高く評価する文書を書いている。

一次資料である。




また、よくご機嫌になると笑う記述が多くでてきて、

人前では非常に朗らかであったことがうかがえる。

このため、一部の部下や女官にはなめられていた状況があり、

安土城で女官たちが信長の命令を無視して勝手に遊びにいってしまったりしている。

この件でも、ルイス・フロイスなどの記述では女官と尼僧を虐殺したと記録されているが、

実際の寺の記録を見ると、虐殺されたはずの尼僧はその後も生きている。

これは誤情報が伝わったものと考えられる。


ただ、信長はただただ家臣を甘やかすだけではない。

長男の織田信忠に対して、人の心を掴む方法として、

まず、部下をかわいがり、感謝させ、親しませるが、

部下が何か褒美を要望した場合、馬を欲しがれば刀を与え、領土を欲しがれば、茶器を与え、

茶器を欲しがれば位を与えるなどして、

相手を不安にさせ、こちらが何を考えているかわからないと思わせておいて、

また優しく声をかけ親しくし、信頼させる。という話をしたという逸話が残っている。

つまり、あげておいて、一旦、下げ、相手を不安にさせ、それで、もう一度安堵させ、

ひきつけるというあげて下げて、あげる、というような事を述べている。

ただ、これは、信長ほど機転のきく人間がやるからできることであって、

ふつうの人がやると、相手に「ああ、こいつ、俺をコントロールしようとしている」と

見透かされたり、やりすぎてしまって、相手が恨みに凝り固まってしまう事もあるので、

私たち一般人には真似はできなさそうだ。


ただ、信長は、自分が何を考えているかわからない、

得体のしれない存在であると家臣に思わせるために、色々と演出をしていたようで、

ただ単にお人よしの指導者というわけではなかったようだ。


6、

分かりやすいスローガンをかかげ、自分がどの方向を目指しているか、

家臣たちに日頃から説明し、知らしめる。


織田信長は天下布武の理想をかかげ、信用通貨制度を全国に普及させようとした。

またそのことを家臣たちに理解せようと説明した。


それだけではなく、教養のない庶民には、初期の頃には自分が自ら天人に扮して、

劇で物語として、民衆に自分の意図を伝えようとした。












まとめ

いつも明るく笑い飛ばしていた。

とくに、自分たちが皆殺しにされることが、かなり確実な場面などでは、よけいに

明るくふるまい、冗談をとばしていた。


本来、君主にとって、まったく無価値である相手であっても、

共感し、時に涙を流し、はげまし、援助した。

それは、当時顧みられることのなかった、女や障碍者や下層民に対してもおなじように明るくふるまい、

援助し、声をかけ、はげました。

当時としては考えられないほど破格の共感性を天然でもっていた。


人の話をよく聞く。

むしろ、家臣に分からないことは積極的に質問するよう要請する。

また、イエスマンにならず、自分の頭で考えることが大切だと家臣に言い聞かせていた。


他人に対して非情に丁寧。

自分と本来敵対しているような相手にも心づくしの品を陰ひなたなく渡している。

武田信玄がそれを確認して感心している。


5他人や家臣をほめる。

よく家臣の行動を観察し、

どこがよいか具体例をあげてほめる。


6理想をかかげ、それを家臣は民が理解しやすいよう説明することに心がけた。


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