そんな私はめろめろパンチ!
「めろめろパンチだね」
私の頼れる生徒会長、爽香さんはビシッと提案しました。いつも自信満々の笑みは私の悩みを受けても一ミリも揺らがず私を導いたのです。
よくわからない方向に。
「はい?」
「だーかーら、めろめろパンチだよ。知らない?聡明で冷静なオトコノコに一発食らわせればあら不思議、本当に好きな女の子にデレデレになっちゃう便利パンチだよ!」
「不勉強なもので知りませんでした……そのようなものがあるのですね」
「まあ仕方ないよ、恋愛道は奥が深い。めろめろパンチはその集大成の一つなんだよ。あまねく男の子を振り向かせるワザはあれど、聡明で冷静なオトコノコを振り向かせるならやっぱりめろめろパンチでしょ」
すごいです。まるで通販番組のようなその解説は、話しているのが生徒会長でなければ絶対に信用できない荒唐無稽なものでした。
「なんといっても英明は人呼んで『氷の貴公子』。効果は保障されたね」
「はい!英明さんは聡明で冷静な人ですから。でも、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だよ。きみの悩みは英明に振り向いて欲しい、もっと積極的になって欲しい。そうなんだろう?」
そうです。
私、白鷺友希は最上英明というお付き合いしている人がおります。お家の関係で交際しているのですが、私はその人に一目惚れしています。お付き合い当初は少女漫画のように抱っこ、いえ頭を撫でられてしまうんじゃと緊張したものですが、結果は惨敗。どうも無関心のようでした。政略的な交際であるのは確かですが、一時期は拗ねたものです。
なんとか振り向かせようと勉学にお稽古にと頑張りましたが、英明さんは一貫して冷ややかな無表情でして、なんともしょっぱい反応なのです。
なんとかして笑顔くらいは引き出したい!
それが専らの望みになってしまいました。
私は強く頷きます。
その望みが叶うなら、生徒会長に魂くらいは売り渡してみせましょう!
「爽香さん、私にその秘伝、めろめろパンチをご教授ください!」
「うんうんいいよいいよ!可愛い女の子の望みは叶えて差し上げよう。私もあの英明には一度ぎゃふんといって欲しかったからね」
「ぎゃふん!なんて甘美な響きでしょう。では早速!」
「うん、まずは基本のポーズだね!これは……」
このあと私はみっちりと生徒会長からめろめろパンチを教わりました。
さあ、決行日は明日なのです!
決行日当日、私は英明さんの家にお邪魔していました。家といっても彼は一人暮らしですから、マンションの一室です。
密室に男女二人という心ときめくシュチュエーションですが、英明さんは紳士ですので大丈夫です。ということを英明さんに言ったらすごく困った顔をされてしまいました。でも気にしません。
『まずは、観察だ。立っているところを狙うのは愚の極み。座りながら何かをしているーーたとえば読書中が狙い目だ。逃げられないからな』
爽香さんの言葉を思い出し、慎重にことを運びます。
英明さんは今ソファで読書中です。
本来ならば読書の邪魔などありえないのですが(何より私が読書の邪魔をされるのが嫌です)、ちょうど英明さんの本は章終わりに近づいています。
しかも小説ではなく学校から課せられた課題図書。内容は把握済みですから、章同士の関わりが薄いのもそんなに面白くないのもわかっています。英明さんも退屈そうです。
そう、チャンスはこれっきりなのです。
『まずは英明に近付くんだ。いつもよりずっと近くへ。あいつは確実に何をしていようときみの方へ顔を向けることだろう』
私はそっと英明さんの隣に腰掛け、偶然を装って距離を縮めます。肩が触れるくらいに。
「……?」
英明さんは不思議そうにこちらを見ます。当たり前です。生徒会長の言う通り、これまでは恥ずかしくてそんな距離まで近づいたことなどありませんから。
ちょうど本は章終わり。英明さんはこれを機に本を閉じました。爽香さんの予想通りです。ナイスです爽香さん。なぜわかるんですか。
「どうかした?」
「…………」
こちらを向いた英明さん。かっこいいです。相変わらずの無表情が素晴らしいです。私の顔が赤らむのを感じます。
『一言声をかけてくるまで待つんだ。恥ずかしいだろうが我慢だ。むしろその恥ずかしさを糧にするんだ』
今こそ踏み出さなければなりません。虎穴に入らずんば英明さんは得られないのです。
『英明を見つめろ。そしてくりだすんだ』
私は英明さんの方へ体ごと向け、じっと目を見つめ、右手を軽く握りました。緊張しすぎて蒸発しそうです。
そして、
「め、めろめろパァ〜ンチ」
こつんと、英明さんの胸元に握りこぶしを当てます。ちょっと噛んでしまいました。恥ずかしくて死にそうです。思わず目をそらしかけて、ぐっと我慢しました。一生分の勇気を使った気がします。
英明さんは無表情のまま、無反応です。
いえ、持っていた課題図書がばさりと床に落ちました。どうしたんでしょう。
英明さんはこちらを穴が開くほど見つめています。無表情で。黒曜石を思わせるほど黒い瞳がじっと、私を見つめているのです。
私はハッとしました。
これは、めろめろパンチ失敗?
そうです、めろめろパンチは本来『本当に』好きな女の子にしかその効果を発揮されない伝説のパンチ。生徒会長はその効果を絶賛、保証しましたがその実、英明さんの無表情を揺るがすことができていません。辛すぎます。
「え、えへへ」
絶望のあまり笑いが漏れてしまいます。虎穴に入った招かれざる客である私はあっけなく千尋の谷に転落してしまったのです。ショックのあまり涙も出ません。
ならば、と私は火照った頬とは裏腹に冷えた頭で思考します。
何としても現状を打破、そしてごまかして夢泡沫同然に記憶の彼方へと吹き飛ばす必要があります。
記憶に関してはお稽古で習った空手が役立つことでしょう。心は痛みますが師匠を打ち倒した手刀で首のあたりを処置すればうまい具合に夢の世界へと旅立たせることができるはずです。なぜ寝てしまったかについては課題図書のつまらなさ加減を主張すれば大丈夫です。
では、手刀を打ち込むべく距離をとりましょう。しかしここで座っていることがここで仇になってしまいました。まさか生徒会長は失敗するとは思っていませんから私が逃げる必要など考えていないのも当然です。完全な不覚です。
「友希、」
「な、なんちゃって」
ごまかす術に関しては全くの無為無策ですから、王道の『なんちゃって』を選択!
このまま冗談であることを位置づけるべく距離をーーーー
この間0.3秒。
身を引きかけた私はなぜか引き寄せられました。気づかないうちに腰に腕が、回されています。英明さんの、腕が。
驚いて目の前を見ればそこには英明さんの微笑みーー微笑み!?
混乱のあまりぽかんとした私はあまりにも隙だらけでした。
よって、次の瞬間の言葉は私に深くぶっ刺さりました。会心の一撃です。
「友希、好きだよ」
ずきゅぅぅぅぅん。
心が弾け飛ぶ音が聞こえ、心臓が停止します。
ユキスキダヨ。
ゆきすきだよ。
友希、すきだよ。
言葉がいっそ滑稽なほどくるくるとリフレインします。
「ーーーーっ!」
大ダメージどころか心ごと雲散霧消させた私は、さながら抜け殻のようでしょう。
ショック死しなかったのは奇跡です。
少女漫画のキュン死は全てズキュン死の略称であることを強制的に理解しました。英明さんの顔の周りにキラキラとした光の残滓が見えます。幻覚でしょうか。
私の動揺をよそに、英明さんは未だ優しく微笑みながら、私の頰へ手を添え、軽く口づけました。
くちづけられました。
当然、初ちゅーです。
「ふぁ」
思わず息が漏れます。
夢を見ているのは私でしょうか。
めろめろパンチは放った私には効かないはずです。でも今、私のファーストなキスは奪われて、いやむしろ捧げられてしまったのです。ほんの少し前の失敗を危惧していた自分が馬鹿のようです。効果抜群すぎて余波で死にそうです。
心臓も破れそうなほど脈打っています。先ほどの驚きで停止していたと思ったのですが、キスで心臓マッサージされたようです。さすが英明さん。
「そんな赤くなって、俺が照れちゃうよ」
英明さんの柔らかな微笑みが深まります。かっこいいを通り越してなんだか神々しく感じます。至近距離すぎて浄化されそうです。言葉が頭を素通りしていきます。かっこいいという概念はここまで暴力的なものだとは知りませんでした。
「俺を照れさせたいの?友希はかわいいな」
「か、かわっ……いくなんて」
「友希はかわいいよ、真っ赤な頰はりんごみたいだ。食べちゃいたいな」
「ひぇ」
たべちゃいたい……食べて欲しいですと反射的に返しそうになって慌てて飲み込みました。人間は食べられません。
心臓はもう鼓動がきゅんきゅんしています。毎秒です。爆発しそうです。
「友希」
「ひゃい」
噛み噛みなのは許して欲しいです。英明さんの神々アタックに筋肉が動きません。心筋は元気ですが。
「友希、我慢させてごめんな」
「めっそうも、ない、です」
我慢とはなんのことだがわかりませんが、気を遣わせていたのはこちらですし、めろめろパンチという奥義を放ったのもこちらです。謝るべきは英明さんではありません。
と、いう謝罪は口の端から出る前に英明さんに塞がれてしまいました。口で。
せ、セカンドちゅーが!
思わずかちんこちんに体が固まり、それを見透かしたように背中を撫でられてしまいました。思わず伸びる背筋。明日は筋肉痛かもしれません。
英明さんは申し訳なさそうに眉を下げています。かっこいいです。思考回路が停止しそうです。
「友希のしてほしいこと、なんでもする」
なんでもする……なんでも!?
そんな最強カードを切ってもいいんですか!?
思わずまばたきしてしまう。
「なんでも……」
「何、してほしい?」
なんでもとは。
あらゆる全てを指すんでしょうか。
ならば、微笑み以上を望んでもいいんでしょうか。
私の頭の中では先ほど二回ちゅーをしたことは綺麗さっぱり忘れています。
まるで少女漫画です。
私は頑張って喉から言葉を絞り出します。がんばれ、私の咽喉。
「また、こうして……抱きよせてください……」
「うん、いいよ」
「し、週に一度、ほど」
あまりのあっさりした了承に思わず付け加えました。あり得ないことかもしれませんがまさか毎日とか毎時間とかやられたら死んでしまいます。死因は心不全です。さすがに幸せに殺されてしまっては本末転倒です。
しかし、英明さんは私の三枚上手でした。
「週に一度と言わず、友希が望むときにしよう。友希が我慢しなくなるくらい、可愛がってあげるから」
我慢しなくなるほど可愛がるとは一体。
どっくんと心臓がやたら大きく脈うつ音が聞こえました。
今まで散々キュン死の淵をさまよいましたが、これまでのようです。
「え!?友希!友希!」
これまた珍しい英明さんの焦った声をうっすら聞きながら、私は静かに気を失いました。
英明さんはかっこいいです。
そして私は、幸せに殺されました。
「友希!起きろ!」
「ひゃっ!」
「大丈夫か?」
「英明さん……やっぱり夢だったんですね」
「夢じゃないんだけど」(にっこり)
「ひゃううう」