30 階層ボス
ランタンの灯りが十階層の全容を照らし出す。
逆に言えば十階層はランタンの明かりで全てを照らし切れる程度の規模しかないのだ。
ワンフロアのみで、敵も一体。
ただしその敵は此れまでの階層の敵よりも、或いは単体の力のみで比較するなら此れ以降の階層の敵よりも、更に手強い存在である。
ガチャリと音を鳴らして、十階層の主、巨躯の鎧騎士が此方に向かって一歩を踏み出す。
だがその重厚な鎧に包まれた胴の上に頭は無く、脇に抱える兜の中に、赤い燐光が二つ見えた。
つまりあの兜は中身入りで、本来頭の上に置くべき物を脇に抱えているのだろう。
その特徴だけで正体がわかる。そんな事をする魔物は、我の知る限りでは一種しか存在しない。
十階層を守るボスはデュラハンと呼ばれる魔物だった。
デュラハンは人型をしている事から死霊騎士、アンデッドの一種と誤認されがちだが、性質は妖精族が魔物化して発生したと言われる邪妖精等に近い。
魔物が人里を襲う時は無差別に皆殺しが当たり前だが、デュラハンは少し違う。
主と同じく首なしの馬が引く馬車を操って、どこからともなく現れると、何処かの家の前で馬車を停める。
その家の中には死が近い者、或いは死すべき定めの者がおり、デュラハンはその者のみの命を狩る為に現れるのだ。
無論その行為を妨げようとした者には容赦なく死を与えるが、邪魔さえしなければ他の者に手を出す事はしない。
けれど命を奪わんと見込んだ者だけは、例え何処に逃げようとも必ず追いかけて来ると言う。
邪妖精の中にも、己が姿を見た者は何処までも追いかけて殺すといった、執念深さの域を越えたルールを持つ種がいるので、その点でもデュラハンは邪妖精等に近いとされていた。
「一度デュラハンに見込まれたなら、助かる方法は唯一つよな」
其れは相手を消滅させる事。
我はリリーを抱えたまま、メイスを握って前に出る。あちらも頭を抱えたままなのでバランス的に丁度良いだろう。
首なし馬が引く馬車に乗って出て来たのなら、我もガルに乗せてもらう必要があっただろうが、この十階層のフロアには馬車が駆け回れる程の広さは無かった。
デュラハンの得物は本来ならば両手持ちだろうグレートソードを、右手一本で携えている。
闇とデュラハンの鎧の隙間から洩れる黒く冷たい瘴気が一体となって、物理的な圧力を伴って押し寄せて来るが、此方も高めた魔力を放出して圧し返す。
様子見は不要だろう。
一気に駆け寄り、武器をぶつける。
我は戦士でも闘士でも騎士でも剣士でも無いので、情緒も感傷も流儀も技も必要は無い。
魔王たる我は、圧倒する力で相手を喰らい尽すのみだ。
無論其れで上回れないなら色々と小細工も弄するが、今回の相手に其れは不要。
思い切りぶつけたメイスに、其れを受けたグレートソードが弾かれ、武器を手放しこそしなかったがデュラハンの体勢が大きく崩れる。
そしてがら空きとなったデュラハンの胸元に、我の前蹴りが炸裂した。
抱えたリリーがキャッキャッと歓声をあげる。
このダンジョンに入ってからだが、少しずつだが確実にリリーが声を発する回数や、声自体の明瞭さは増していると思う。
喉の使い方に慣れたのか、或いは戦いや魔力の吸収によって徐々に成長してるのか、どちらにせよ声が言葉を成すのも恐らくそう遠くは無い。
大きく宙を飛ばされ、地を転がったデュラハンだったが、しかしすかさず起き上がり武器を構え直す姿に対したダメージは見当たらなかった。
多少強化魔術を使ったが、力比べは我の勝ちで良いだろう。
けれども手元のメイスに目を落とせば、僅かだが確実に歪みが見て取れる。
頑丈な造りの黒鉄のメイスではあったのだけど、徐々に我の出力に付いて来れなくなって来たのだ。
一方、打ち負けたとは言えデュラハンの真っ直ぐに構えられたグレートソードには傷も歪みも無さそうで、其れに少しばかり腹が立つ。
膂力のぶつけ合いだと、敵を倒し切る前に此方の武器が壊れる可能性は高かった。
力攻めを行わないなら、魔術を主として戦うより他は無い。
幸い十階層に降りる前にぐっすり休んだ御蔭で、体内に魔力は満ちている。
まあ満ちて無くても魔王銀行の中には使い切れないほどの貯蓄があるのだが、手持ちで足りるならば『貯金』は崩したくないと、何故だか不思議とそう思ってしまうのだ。
利息の存在を知ってるが故の吝嗇だろうか?
次に動いたのはデュラハンだった。
膝を僅かにたわませたかと思うと、ぶわっと宙を裂いて大きく飛び上がる。
重たい金属の全身鎧を身に纏っているとは思えぬ軽やかな跳躍からの、けれどもやはり己が質量と勢いを活かした上段からの斬り下ろし、或いは叩き付け。
恐らくデュラハンの繰り出せる最大威力の一撃なのだろう。
此方もメイスを使った振り上げ攻撃で対抗するが、グレートソードと噛み合ったメイスは一瞬拮抗する物の、受け止めた威力と込められすぎた魔力に先端が内側から弾け飛び、遮る物の無くなったグレートソードはそのまま我の額に食い込む。
たらと流れた血が、額から鼻梁の脇を通り、唇を濡らして顎までを伝う。
皮一枚。メイスが犠牲となって威力を減らした一撃は、我が皮一枚を切り裂いたのみ。
だがそれでも血は流れた。その報いは受けさせねばならない。
我は額に刃を咥えたまま一歩前に出て、間近にあったデュラハンの、グレートソードを握るその手を掴み、力任せに捩じ切った。
音としては聞こえないが、空気を震わせる何かを発して、デュラハンは大きく飛び退る。
声にならない悲鳴という奴だろうか?
しかし其処で退くならば、我に魔術を扱う暇を与えるのなら、この戦いも此れまでだ。
ガランとグレートソードと、主を失った手首から先がちに転がった。
属性は火。球形に出でて我が敵を燃やせ。作用範囲は直径三メートルの球体、射程は我が視界内。効果は焼却。
術文を組むという隙を晒しても、腕をもがれた事態に動揺したデュラハンは動けない。
『焔よ、我が敵を喰らえ』
意と言葉に従い出現した巨大な火球が、デュラハンを飲み込み焼き尽くす。身体も、頭も。
後に残るはデュラハンの右手首と、其れの握っていたグレートソード、そしてボスを倒した事によって出現したのであろう宝箱とダンジョンの入り口に帰還する魔法陣だ。
……メイスを失った我には有り難いと言えば有り難いが、迷宮内の通路ではグレートソードの様に巨大な武器は使いにくい。
一応使うかと手を伸ばしてグレートソードを拾おうとした時、顎にくすぐったさを感じて我は思わず頭を振る。
何事かと思って見たならば、抱えていたリリーが首を伸ばして我の顎、正確には滴っていた血を舐めとったのだ。
一瞬はしたない真似をした事を注意すべきかと悩んだが、満足気にきゃらきゃら笑っていたリリーの身体が急に光に包まれたので大慌てて抱え直す。
何が起きたのかには心当たりが在った。進化である。
リリーはこのダンジョンに潜ってから、少しずつ成長していた。
我やガルにとっては下位や中位の魔物は今更大した糧にならぬが、生まれ落ちて然程も経たぬリリーには違ったのだ。
或いはリリーは特殊な魔物故、我が戦いの際に発した魔力を吸って成長していた可能性もある。
どちらにせよデュラハンと我の戦いの魔力を間近で浴びて成長限界に達していたリリーは、我の血を進化の切っ掛けに選んだのだろう。
食事休憩の時になればどうせ魔水を与えるのだから、其れを進化の切っ掛けにすれば良い物を、そんなに早く進化したかったのか。
リリーの手足が伸びて行く。
一回り、二回り大きくなったリリーは、人間の幼子で言わば一、二歳児から五、六歳児程度の大きさへの成長を遂げて進化を終えた。
「パパ! 大きく、なった!」
パパでは無い、魔王である。
大きくなった喜びに顔いっぱいの笑みを浮かべてしがみ付いて来るリリーに、我は彼女を撫でながら内心溜息を吐く。
深刻な問題だった。
リリーの成長其の物が、では無い。其れは喜ばしい事だ。
しかし此処は迷宮で、成長によって破れたリリーの服の替わりが、どうやっても調達出来ない。
此処で帰還してしまうのも、其れは其れで面倒である。
ガルが進化した時もそうだったし、リリーが植木鉢から出て来た時もそうだったが、我は魔物仲間の服に悩まされてばかりだった。
「……ガルよ、上着を貸してくれ。灯りは我が持つから、すまんが暫く狼で頼む」
こんな事ならブラッディボアの皮を放置せずに拾っておけば良かったと思いながら、罠を確認する為に宝箱に蹴りを入れる。