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歴史のアロハ  作者: にんべん
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戦場のメリークリスマス 1566

戦場のメリークリスマス 1566


宗教の力の凄さを思わせる事例の一つに、「クリスマス休戦」という習慣がある。1914年・第一次世界大戦でのイギリス・ドイツ間での出来事だ。他にも、ベトナム戦争の時にもあったという。こうした例は欧米のものかと思っていたが、意外にも戦国時代の日本にも存在した記録が残っている。

1566年、三好三人衆と松永久秀軍がにらみ合いをしていた最中のことらしい。どちらも堺の町に大軍を連れて対陣していたのだが、両軍ともキリシタンが多くいた(しかも幹部クラスの家臣にも)ために、クリスマスは集会場を借りてミサを行ったという。驚くのは両軍、別々にいたのではなく合同ミサを開き、料理を持ち寄って宣教師の説教に耳を傾けて聖夜を過ごしたのだという。その数は70人を越えるとある。

同じキリシタンでも、発言力の無い一般兵だけなら実現は無かったことだろうから、本当に偶然が重なった結果なのだとは思う。だが、たとえまぐれの一夜でも、昨日までの敵同士が同じように心を安んじて夜を過ごすことができるのだと思うと、平和というやつはあながち妄想だけの代物ではないのかも・・・そんなふうに感じ入るものがある。

残念ながら、翌日には再び敵同士となり、戦は続けられたのだが、彼らの心の中に少し虚しさは無かったかと想像してしまう。


ここまでで話を終えてもいいが、少し勘ぐった話もしてみよう。

今回両軍を率いる三好三人衆・松永久秀は共に、裏切りを繰り返して勢力を広げた、いわば“謀将”である。額面通りのクリスマスでなかったとしたら・・・・両軍の幹部クラスが一同に会する機会を、みすみす無策で終わらせるような人間とはちょっと思えない。実はそこは激しいスパイ合戦、あるいは暗殺の機会を両軍窺いながら、顔だけ笑って過ごしてたのではないだろうか・・・

また、この記録の出どころは“宣教師”ルイス・フロイスの「日本史」に記されているものだ。資料として信憑性が高いとされる「日本史」ではあるが、キリスト教の人間がキリスト教を貶めるような「自分のミサが血なまぐさかった」事を記録するだろうか?仮にフロイスの筆に嘘はないとしても、両軍の機密に触れることのできる立場でないことは事実である。あくまで表面的な記録という見方は外せない。

そう考えると、そこには「奇跡の一日」というドラマとは別の「超高度な謀略戦」という裏のドラマがあったのかもしれない。



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