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アイドライズ・マトリクス ~隔離アイドル空間の女の子たち(とぼく)~

〈アイドライズド・マトリクス〉――略称〈アイクス〉。

 それは女の子たちがアイドルになれるもう一つの世界。

 想いのままにライブし、ファンの心を魅了せよ!



 ……というのが〈アイクス〉のキャッチフレーズだが、一つだけ間違いがある。

 それは、女の子(平均年齢十三歳)でなくともアイドルになれるという事実だ。


 ぼくの名前はレイ。銀髪ポニーテールのパンツスタイルコーデがよく似合う美少女である。

 ただし、それは〈アイクス〉でのアバターであって、リアルは別だ。

 ここだけの話、ぼくは男で二十代前半。それでもアイドル活動を細々とやっていける程度には、〈アイクス〉のシステム管理者は寛容なのである。



 しかし、和気藹々(わきあいあい)とした女の子たち(おっさん含む)のアイドル活動は、突如として終焉を迎えるのだった。

 初めに異変に気づいたのは、現実世界へと帰ろうとした女の子たちだった。


「あれ、ポータルが動かないよ?」

「私も出られない……故障かな?」


 騒ぎが広場のほうまで伝わってきたときだった。

 アナウンス係のお姉さん、アナ姉の放送が始まる。


《ぴんぽんぱんぽーん。ポータルの機能停止はこちらの意図によるものです。復旧することはありませーん》


 どよめきがさらに広がった。

 アナ姉は〈アイクス〉というシステムの中で生きているキャラクターだ。各地に遍在する彼女に意志はない。では、誰の意図だというのか。

 こちらに一切の説明もないまま、アナ姉は涼しげな笑顔で締め括った。


《今この時をもって、〈アイドライズド・マトリクス〉、本当の始まりです。ぱんぱかぱーん! この記念すべき瞬間に居合わせたみなさんはとても運のいいアイドルです! 以上、アナ姉からアナタへ送るアナウンスでしたー》


 最後まで狂ったように陽気な声のまま、放送は打ち切られた。


 女の子たちは戸惑いがちに近くにいる子と顔を見合わせる。そうすれば、自分たちが求めている答えが見つかるとでも思ったかのように。

 誰にも答えなんて分かるはずがないと知ると、弾かれたようにポータルを見る。

 一人がポータルへ駆け出すと、その錯乱は一気に伝染していった。


 狭いポータルに大勢がひしめき、押し合い、我先に装置へ触れ、帰還を試みようとする。

 しかし、無駄だ。誰も現実世界に戻れない。


 ぼくは茫然とパニックを眺めながら、思案を巡らせていた。

 キャラクターに過ぎないアナ姉が、誰の言葉を代弁していたのか。

〈アイクス〉の本当の始まり……?


「あうっ」


 女の子の悲鳴で、ぼくは我に返った。

 パニックの群衆に弾かれて、黒髪ぱっつんの女の子が石畳に転んだのだ。

 ぼくは女の子に駆け寄って声をかけた。


「大丈夫かい?」

「は、はい……」


 手を差し出すと、女の子は心なしかほっとした面持ちで掴まった。大丈夫、ここでぼくは『レイ』というキャラクターだ。事案にはならない。

 ぼくのかなりずれた心配事を知る(よし)もない女の子は、群衆に悲しげな視線を送る。


「みんな、さっきまで楽しくお喋りしてたのに……」

「帰る家があるから、〈アイクス〉って仮想空間を楽しめるのさ」


 女の子は少し驚いたように、ぼくを見上げた。一方のぼくは、現実と違って女の子との身長差がさほどないことに違和感を覚える。


「落ち着いているんですね」

「まあね。慌てたところで、どうにもならないし」


 ……言えない。絶賛一人暮らし中、帰りを待つ家族なんていないなんて!

 あははと笑って誤魔化そうとすると、女の子はますます熱のある眼差しを浮かべた。

 とはいえ、笑ってばかりもいられない。


「この混乱を収めないとね」

「でも、どうしたら……」


 ああだこうだ言って、冷静になれるはずがない。

 見つめ合っていると、女の子が気恥ずかしげに呟いた。


「子守歌……」

「歌?」

「あ、はい。幼稚園のころ、よくお母さんに歌を歌ってもらったんです。そしたら、なんだかすやーってなっちゃって。なんて、ダメですよね……」


 幼稚園のころ。ううむ、何とも子供っぽいエピソードである。

 ぼくは子守歌なんて歌ってもらった記憶はないな、と思いつつ。


「……名案だよ!」

「え、こ、子守歌がですか?」

「うん。えっと、きみの名前は?」

「か、カナエです」

「ぼくはレイ。ありがとう、何とかしてみるよ」


 カナエちゃんと握手を交わしたぼくは、広場の噴水ステージまで走って戻った。

 そして、手を高々と空に掲げて宣言する。


「ライブシステム、オン!」

《アクセス承認。ステージ起動》


 システムボイスとともに、〈アイクス〉の世界がライブモードに切り替わる。

 突然薄暗くなった世界に、ポータルへ詰めかけていた女の子も、立ち尽くすことしかできなかった女の子も、何事かとこちらを見た。


 前フリは不要。ぼくは指ぱっちんと共に演奏を始めさせる。

 何度も練習したダンスを演じながら、女の子たちの顔を見渡した。

 アイドルは、今、この瞬間にかけるもの。持てる全力でライブを贈る。

 そう意気込み、歌い出しに備えて呼吸を整る。


 曲目は『ニュー・ワールド・フォー・ユー』のクールアレンジバージョン。

 誰もが最初から使えるチュートリアルソングだ――



 サビの中で、魂の輝きとなるスペシャルパフォーマンスを決めたあたりで、ぼくは観客の雰囲気が変わりつつあることに気づいた。

 前列にいる女の子たちがサイリウムを振っているのだ。

 その中に、カナエちゃんの姿もあった――



 最後の最後まで踊り終え、曲が終了する。

 ライブモードがオフになったことで、〈アイクス〉の明るさが元に戻った。


 そのときにはもう、ポータルを巡る争いは収束し、大勢の観客がぼくの周囲に集まっていた。

 全身汗だくのへとへとだということを悟られないように、ぼくは普段どおりの笑みを浮かべることに努めた。


「怪我をしている子はいないかい?」

『いませーん!』


 おお、〈アイクス〉であまり目立っていなかったぼくが、未だかつて経験したことのないノリだ。

 とにかく、大事になっていないことに安堵したぼくは、マイクパフォーマンスを続けた。


「一人ずつ順番に、ポータルを試してみよう。一応、食事はカフェでできるし、いざとなったらホテルに泊まればいい。慌てることはないよ」


 女の子たちが口々に「確かに……」「さっきはごめん」「閉じ込められちゃったのはみんな一緒だもんね」と言い合う。うむ、友情は美しきかな。


「それから、外との連絡は遮断されていないかもしれない」


 その一言で、女の子たちがポーチからスマートデバイスを取り出した。すっかり忘れていたようである。

 ぼくもステージから降りて、ベルトポーチから端末を出す。

 電波は――


「あれ、三本立っている」


 呟き型SNSにアクセスしてみると、〈アイクス〉の本体である量子コンピューターと肉体変換装置が外部の干渉を受けつけない状態になっていると、ニュースになっていた。

 その中で、気になる呟きを見つけてしまう。


《今のライブ、よかったねー》

《あのレイって子、めちゃくちゃ落ち着いてる!》

《VRMMOモノなら黒幕だな!》


 ぼくは唖然として、〈アイクス〉放送局ビルの巨大モニターを見上げた。ライブのリプレイが何度も再生されている。

 ま、まさか、全国ネットで中継されていたのか……?


「レイさん、お疲れ様です!」


 ぼくに声をかけようとしながらも遠巻きに見つめる女の子たちの中から、カナエちゃんが一歩を踏み出してくれた。


「ど、どうぞっ」


 と、差し出してくれたのは、タオルだ。

 ぼくは「ありがとう」と受け取り、額の汗を拭った。


「カナエちゃんのアイディアのおかげで、とりあえずうまくいったよ」

「い、いえ、私はただ思いつきを言っただけで……」

「そんなことないそんなことない」


 手を拭いてから、黒髪をぽんと撫でる。

 すると、カナエちゃんの顔が真っ赤に染まった。


「あ、あわわ……」

「…………(やばい。調子に乗りすぎた、通報される)」



 とまあ、仮想世界に閉じ込められたぼくたちができることといえば――

 食べて寝て。

 歌って踊る。

 そう、まさにアナ姉が言ったように、アイドルの世界〈アイクス〉の始まりだった。


   〇


 なんやかんやあって。


   〇


「グランプリ最後のライブね! 行くわよ、二人とも!」


 控室で、金髪ツインテのラキちゃんが勢いよく立ち上がる。

 最初のライブの後から妙につっかかってきて、気づいたらトリオユニット〈レイニー・ヘヴン〉を結成する仲になっていた、そんな勝気な女の子である。


 もう一人のユニットメンバーはもちろん、


「はいっ!」


 今やアイドルの中のアイドルとして名高い存在となったカナエちゃんだ。

 二人は「にひー」と笑い合ったが、椅子から立ち上がらないぼくを見て、怪訝そうな表情を浮かべた。


「何よ、レイ。大舞台にびびっちゃったの?」

「……二人に話さなきゃいけないことがあるんだ」


 真剣な声色に、ラキちゃんも眉をひそめた。

 ぼくは二人の顔を交互に見比べて、全てを告白した。


「ぼくは……本当は女の子じゃない。はたち過ぎの男なんだ」


 最終ライブ直前にするような話ではないことは分かっている。何度も言おうとして、でも、二人の笑顔を前にすると、どうしても言い出せなかったのだ。だけど、嘘をついたままで、本当の仲間と言えるだろうか。いいや、言えない。


 一瞬だったかもしれないが、ぼくにとっては痛いほど長く思える静寂が過ぎた。

 カナエちゃんとラキちゃんは顔を見合わせると、くすくすと笑いだす。


「レイさん。覚えてますか? ドリアン大食いコンテストのこと」

「え? ああ……」

「あの時、私たち、何度も諦めかけてたのに、レイさんだけは諦めずにドリアンを食べるマシーンになってました。それも観客のみんなにファンサービスをしながら」


 ラキちゃんは苦笑いを浮かべた。


「最高にクサかったわ。でも、あんたたちと一緒に食べたドリアンは最高においしかった。それって、あたしたち、最高のトリオだってことでしょ?」


 ……ごめん、その理屈はちょっとどうかと思う。ドリアンって『キング・オブ・フルーツ』って呼ばれているくらいだし。

 そもそもどうして思い出話がドリアンから始まったのだろう。そんなにあの匂いが無意識に深く刻み込まれていたのだろうか。


 そうは思いつつも、二人の優しさは伝わって、ぼくは不覚にもうるっと来てしまうのだ。

 雰囲気に流されやすいラキちゃんも少し目が潤んでいる。


「ホントのことを言うとね、あたしも不安で仕方なかったの。でも、あの時、あんたのライブを見て――ゆ、勇気をもらったの。それに負けたくないって思った。あんたがいなかったら、このトップアイドル、『らきらきラッキースター』のラキちゃんは存在しなかったかもしんないわ」


 そこへ『頭を撫でてあげたいアイドルNo.1』のカナエちゃんが、なんとぼくの頭をよしよしと撫でてくれたではないか。


「私、レイさんから大切なこと教わりました。心がアイドルなら、後はライブをするだけって」


 そんなことをいつ言ったかは覚えていないけど――

 ぼくは二人に改めて問い質した。


「本当にぼくがユニットメンバーでいいのかい?」

「今さらでしょ!」


 ラキちゃんが「ばーん!」と自分で声を当てて、控室の扉を開けた。


「行くわよ、レイ! ファンのみんながあたしたちのライブを待ってるわ!」

「行きましょう、レイさん。世界中のみんなに、私たちはここにいるって歌いましょう」

「……ああ!」


 ファンに涙は見せられない。

 ぼくは目元を(ぬぐ)って、立ち上がった。



 ライブステージの空気はいつになく重々しかった。

 それもそのはず、〈アイクス〉の神と呼ぶべき存在がこのライブを観ているというのだ。閉鎖された世界を解放することができるかもしれない。

 グランプリ優勝の座を獲得したぼくたちは、即ち、全アイドルの運命を背負っていることになる。


 にもかかわらず、ラキちゃんの第一声は華やかだった。


「みんなー! おっまたせー!」

『ラっキちゃーん!』


 真っ先に声を上げてくれたのは、〈レイニー・ヘヴン〉最初のライバル、〈マンサ・ラリー〉の三人娘だった。なお、全員、ぼくと同じくおっさんだということが判明している。


 この明るい入りで、観客の緊張は解けた。

 次にカナエちゃんがスポットライトを浴びる。


「私たちのライブ、楽しんでください!」

『カナエちゃーん!』


 アイドルでありながらファンクラブという組織を確立した〈ホワイトリリー〉の子たちがカナエちゃんの名前をコールする。

 センターは恥ずかしながら、ぼくだ。


「力の限り歌おう。『マトリクス・ホライズン』」

『きゃああ、レイ様ー!』


 ステージ、暗転。

 ぼくたちのライブが今、幕を開ける――



 異変が起きたのは、スペシャルパフォーマンス『ドリアンパッション』を完璧にキメたときだった。

 ステージドームの上から、翼の生えた女性が舞い降りてきたのだ。

 あれは……アナ姉!?


《何度もシミュレートしても、人類の破滅は免れない――絶望していた私に、あなたたちは示してくれました。それは未来へ差す『光』。アイドルがもたらす『希望』》


 何だかもっともらしいことを語り出したアナ姉が両手を広げると、ぼくたちの前に鍵のような形をしたマイクスタンドを創造した。


《さあ、受け取ってください。〈キー・オブ・ザ・ライト〉を!》


 ぼくたち三人は頷き合い、マイクを鍵に装着、さらなる熱唱を続けた――



 楽園は一時のものだ。

 閉鎖されたポータルにやってきたぼくたちは、鍵穴が三つあることに初めて気づいた。


「いっせーの!」


 同時に〈キー・オブ・ザ・ライト〉と差し込むと、ポータルに光が宿る。

 そして扉は開かれた。


 女の子たちはぼくたちに握手を求めてから現実世界へと帰っていくので、何だか握手会みたいになってしまった。

 だけど、ファンの子たちがばらばらになっていくことを思うと、寂しくもある。

 今まで火花を散らしてきた強力なライバルたちも去り、後にはぼくたち三人が残った。


 カナエちゃんが迷いながらもぼくの左手を握った。


「現実世界でのレイさんにも会いに行っちゃ……ダメですか?」

「え? い、いいけど……このアバターと違って、本当に、どこにでもいる男だからね?」

「私が好きになったのは、レイさんって人だから――て、な、何言ってるんだろう、私……」


 ラキちゃんがぷくーと頬を膨らませ、ぼくの右手を取る。


「折角だから、リアルでも可愛い可愛いラキちゃんが、レイに会いに行ってあげるわ!」

「あ、あはは、そりゃあ楽しみだなあ……」

「こ、こ、こ、恋しちゃっても知らないんだからねっ!」


 さすがの非モテ男子なぼくも、二人の気持ちには気づいているわけで、それって吊り橋効果なんじゃないのと思わなくもないけれど、今だけは幸せを噛み締めたっていいはずだ。



〈アイドライズド・マトリクス〉――通称、〈アイクス〉。

 それは女の子たちがアイドルになれるもう一つの世界。



 そして、ぼくたち〈レイニー・ヘヴン〉は、同時に現実世界へと帰った。


   〇


 ここで〈アイクス〉の物語は終わりだ。

 だけど、ぼくたちの物語は終わっていない。


「夢の……武道館ライブっ! いぇい!」


 控室で、ラキちゃんがぐっと握った拳を高く突き上げた。

 一流アイドルの風格を纏ったカナエちゃんは、控室に招き入れた人々を見渡した。


「みなさんのおかげですっ」


 いつもの円陣が始まる。裏方スタッフ、二人の美少女アイドル、そして、至福にもその間に挟まれるぼく――〈アイクス〉で大活躍したアイドルをサポートするマネージャー。

 音頭を取るのは、カナエちゃんだ。


「ファンのみなさんを天国に連れていきましょう!」

『わっしょい!』




〈了〉

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