憤慨する美少女魔術師と困惑する魔法使い
***
「……ほえ?」
疑問の声もつかの間、即座にその指先から伝わるのは、とても小さな火の粉が当たったかのような微弱な痛み。
大したものではない、けれど何か良くないものが額に染みついた、というのだけは理解ができた。
……お客さんである、俺と同じような魔法使い帽子を被った可愛らしい女の子は肩を震わせると。
「―――ふ、ふふ……うふふふ!!ちょろい、ちょろいわ!こんな簡単に呪いにかけてしまえるなんて!やっぱり魔法使いなんて私の敵じゃないのよ~!」
と、笑い始めたのであった。
ええっとこれ、どう反応したらいいんだろうか。いきなり扉を開けたら呪いをかけられました、なんてこう。
こう―――ラノベタイトルにでも出てきそうな展開なんでしょうか!ありそうだよね、『異世界の扉を開けたら呪いにかけられましたが、何か?』みたいなの!
いやそれはどうでもいいね。うん、すごくどうでもいい。というかラノベとかこの世界に来てから読めていないのだし。……だからこそ欲求が加速しちゃったかな?反省反省。
うーむ、普通の感性として考えてみれば何をするんだと怒るところだろう。いや、そもそも呪いをかけられたことに気が付かないかな?
正直この呪いは、俺にとっては特に気にする必要もないものなので怒るも何もないわけなのだが。
「さあ魔法使い!本当の姿を現しなさい!」
「ええっと……」
本当の姿といわれましても。あ、男の姿に戻れということだろうか!
……うん、まあ。是非とも戻りたいですけどね。残念だけれど他のものに変身できても、本来の……というには随分と遠く、懐かしい姿のように感じるんだけど……あの姿に戻る事だけは出来ないんだよね。
この世界においてあの肉体は千夜の魔女のものとして同化、消滅……或いは融合?してしまっているからなのかもしれない。
こればかりは魔女の知識を使っても対処方法が分からないのである。
身体を乗っ取られたというのは分かっているんだけれど、本当に細かいメカニズムとでもいうべきものは分からないままなのだ。
呪いも中断されていたわけだし、実際は最早、誰にも理解することは出来ないのかもね。
と、それはともかくとして……額に手を当てて、手の甲で汚れを拭うようにして呪いをはぎ取る。
―――あー、成程……ガンドかあ。
指を向けるだけで発動する、簡単な呪い。とはいえ、その効力が弱いというわけではない。
熟練した魔術師ならばそれこそ、指を向けるだけで重病に罹らせたりすることだってできるだろう。
今回の呪いの場合は、加護や祝福と呼ばれるものを問答無用で吹き飛ばすもののようで、普通の人にかけられればものすごく運が低下する呪いとなるだろうね。
ちなみに魔術師や魔法使いに使った場合は、自分にかけている秘術が剥がされる、といった効果になるだろうか。
俺の身体の変化は祝福や加護ではなくただのとっても、とお~っても重い呪いなので、意味がないのである。寧ろこれくらいの呪いじゃただの魔力源です、はい。
仮に普通の魔法をかけていたとしても、効くかどうかは微妙なところではあったのだけれどね。
「んぅ。うんうん、凄く甘い魔力だね」
「―――?!」
手の甲を舌で舐める。甲に残っている魔力がもったいないので、折角なので美味しく頂いてしまおうと思ったのですよ。
うん。とても美味だ。蜂蜜みたいな若い魔力、相当きちんと訓練し、研鑽しないとこうはいかないだろう。
……蜂蜜に近い風味とはいえ、当然完全に自然のものじゃない。俺みたいに魔法使いでありながら自身で魔力を生み出せる―――あちらさんに近い存在というわけでもない。まあ正真正銘の人間なのだから当たり前だ。
となると、魔法使いでもあちらさんでもないのに魔なる秘儀を扱ったこの娘は魔術師ということである。
つまり、玄関をあける前に漂ってきた不思議な匂いは魔術師の匂いだったわけだ。シルラーズさんとは大きく匂いが異なるから分からなかったよ。
魔術師によって匂いって異なるんだね。一つ勉強になりました。
当然ではあるけどね、それ。ミーアちゃんとミールちゃんという、双子ですら匂いが違うわけだし。
「な、なんで魔術が効かないのよ!」
「何故と言われてもなあ……生半な呪いじゃ俺は呪えないよ」
なにせ大抵の呪いは俺を覆い潰す呪いにしてみれば赤子のようなものだからね。別にメリットではないです。
世界そのものに呪いを振りまいた千夜の魔女直々の呪いだ、そりゃもうその凶悪さ、強さや解呪の不可能性については折り紙付きですよ。
逆にいえばそれだけの、いわば劇薬なので同レベルの呪いじゃないと俺の身体をこれ以上蝕むことは出来ないわけで。それ故にガンドくらいでは飴のようなものになってしまうというわけである。
同レベルの呪いなんてそうそう見ないけどね。世界を押し潰せる規模の呪いなんて誰がやるんだろうか。誰にも得がないもの。
「そもそも、このガンドの魔術の根底にあるのは、偽りの姿と魔女の権能を引き剥がすヘンルーダの呪いだし。姿を偽ってない俺には意味ないよ?」
―――『生きている限り、この日を悔い続けるがいい』。
この言葉自体は、他者からの害を受けた場合に、ヘンルーダを投げつけると同時に唱えることで発動する小さな呪いだ。
本来ヘンルーダが持つ、魔女を見破り、魔物やそれに類するものから自らを守るためのお守りはまた別の方法である。
けれど、呪いとしてこの後者の効果を発揮する……魔術として、呪いであるガンドとして打ち出すことならば……まあ、相当腕のいい魔術師ならば可能だろう。
呪いと祝福は実際のところ大差がない。過程は同じ、魔力を変換するという作業であり、その結果がいい方向に働くか否か、結局はその程度だからね。方法はもちろん、違うんだけれど。
うん、だから何が言いたいかといえば。
この目の前の少女はいい腕をした魔術師だ、というわけだ。あ、シルラーズさんとは比べちゃいけない。あの人は色々とおかしいから。
「偽って、ない。……偽ってない?え、本当に偽ってないの?それ、本当の姿?」
「疑問符が多いねっ!うん、そうだよ―――あれ?どこか俺の顔って変なのかな」
むにぃーっと頬を引っ張ってみる。うーん、あんまり自分の容姿に興味がないんだよねぇ。
女性……女の子の姿に変わってしまった時から時間も経って、この姿にも随分となれてしまったから、今更特に何を思うわけでもないのだ。
最初の頃はきちんと羞恥心があったんだけどなあ……でもトイレとかお風呂とか何回も行っていれば慣れちゃうんだよねぇ……。
結局日常と肉体からは逃げられないのである。逃げるという思考自体変だけれど。
「―――な。なななな!!??うそでしょ、ミーシェちゃんより可愛い女の子が存在するなんて!こんな、こんな……」
「いきなり身体震えだしたけど大丈夫?もしかして寒いのかな。あ、立ち話もなんだし家にはいろうか」
「ふ。……ふふ。……ふふふふふ」
「えっ」
手を取って家の中に案内しようとしたら、さらに肩が大きく震えた。
ついでに笑い声も聞こえてきたんだけど、いやこれなんでしょうねこれ。ちょっと……いやかなり怖いんですが。
……本能的な、とかいうやつじゃなくてどちらかというとミーアちゃんが俺の胸を見て、怖い顔をしているときに近い。
うん。言葉としたらそう―――貞操の危機っていうのに近いのかも……あれ、これだとミーアちゃんは俺の胸を見て、俺の貞操を奪おうとしていると思っているというこ、と……?
これは考えないでおこう。いや、仮にミーアちゃんが俺を、その。あの。そっちの意味で襲いたいっていうのであれば、ですね。
多分、拒否はしないんだろうけど……って何を考えているんだろうね、俺……。
「魔法使いなんていう時代遅れの存在なのに、生意気~!!??」
「じだ……い……おくれ……」
確かに昔よりも魔法使いというものは減ったようけれど、別に化石というわけではないんだよ?!
「お爺さんお婆さんかと思ったら無駄に可愛いし!全然お洒落じゃないのに素材だけでミーシェちゃん超えてるとか、ホントに生意気すぎるんですけど!!」
「お洒落じゃない……?!」
確かに可愛いブローチやリボンに、配色を考えて着飾っている目の前の女の子……えと、ミーシェちゃん?からしてみれば、ただの魔法使いのとしての装束と簡単なワンピースを着ているだけの俺はお洒落じゃないだろうけど!
あなた凄く服ダサいですよ、とか面と向かって言われると流石にちょっと傷つく。しかも本当に素で出てきた言葉だし……。
あ、あれ?俺は別に男なんだから、女の子の服を着ている所をダサいって言われたところで傷つかないのが普通なのでは。おかしいな、どんどん思考が染まってきているなあ。
「自分を磨かないありのままの才能とか滅びればいいのよ!気に入らないわ!」
「み、磨いていないわけでは……」
魔法の勉強とかはしっかりとしているんだけどなあ、と弁解しつつもそれもミーシェちゃんからすればどうでもいい事のようで。
「無駄に綺麗で可愛いのが尚更腹立つー!自然体とかふざけろー!色々と考えて日々過ごしてるミーシェちゃんの気持ちを分かれ~!!」
「ああごめんごめんごめんなさい!だから髪引っ張らないで胸掴まないでお尻触らないで!」
セクハラですよ!!??いや逆セクハラ……傍から見れば同性なんだけどややこしいなもう!
「まって、パンツ見えちゃう。スカート、スカート引っ張るのも駄目ぇええ!!」
「仕草一つ一つが可愛いのもむかつくー!!ああもう!」
ああもうって言いたいのはこっちなんですけど!?
「次会いに来るときはあなたよりも綺麗になって、呪いだってかけてやるんだから!憶えてなさーい!」
「え。あ。……あ、はい……」
「それからちゃんといい服着るのよ!あなたレベルならもはや化粧はいらないにしても、いい素材をより生かさないなんて世界に対しての冒涜なんだからね~?!」
「冒涜……」
そこまでいいますか。俺男なんだけど―――。
「返事はー?!」
「う、うん」
「あ、そもそもあなた名前は?」
「……マツリです」
「そう。じゃあねマツリ!次は絶対に呪ってやるんだからー!」
……そういって、まさに嵐か、いやむしろ竜巻か何かのように。
急に現れた少女は同じく急に去っていってしまったのだった。
「結局なんだったんだろう……」
無意味にセクハラされて終わったんだけど。
でもあれだけ興奮していても口調が崩れることも仕草に育ちの悪さが出ることもなかった……胸やらお尻やらを触られたことは除く……から、実はいいところ出身の女の子なのかもしれない。
去り際にきちんと名前聞いて行ったしねえ。あれ?というかあの子、また来るの?
何となく、双子にあったらもっとややこしいことになりそうだなぁ、という予感があるけれど、間違いなく出会うだろうなあという確信もあった。
……とりあえず、服でもきちんと見繕うことにしようか。
そう思い、結局お客人の通らなかった扉をゆっくりと閉めたのであった。
―――なんだかんだ、近いうちに再会しそうだなぁなどと思いながら。