逢魔が時
***
雑踏の中、ステップを踏むように歩く魔法使い帽子の少女の影が一つ。
物珍しい筈のその帽子に何故か、意識を向ける者が少ない現状を当たり前のように受け止め、身軽に、そして気軽に歩みを続ける。
しかし、その軽快な歩調は時たま止まる……どうやら彼女は周囲の言葉に耳を傾けながら、何かを探しているようであった。
「ん~、いい音しないなあ。これはあれかなー、魔法使いじゃなくて、魔法使いと関係があった人を探した方が速いかな~」
結果は芳しくないようで、即座に方法を切り替えるその少女こそは、先ほどまで領主代理の護衛を務めていた魔術師、ミーシェであった。
そんなミーシェが先ほどから何をそんなに苦心しているのかといえば―――件の、話題に上がった魔法使いを探し出す……というものであった訳だが。
「ほほ~、こっちに切り替えれば結構いろんなところから音が響いているね。……一番大きいのはこっちの方角かな」
街の中央に位置するこの街の領主の家から、南の大通りへと移動して数分。
天才である大魔術師ミーシェちゃんは、そんなこんなでこの、綺麗なオルゴールのような音色を微かに響かせる女の子に出会ったのであった。
いや、正確には二人組かな。
少女と、大人の男性という珍しい組み合わせだ。男性の方がずっと年上なのだが、主導権は少女の方が握っているらしく、服や食べ方、ついには歩き方まで口を出していた。
普通はそれだけ言われれば口煩いだとか、静かにしてほしいだとか思いそうなものだが、大人の男性はそれに文句を言うでもなく小さく微笑んでいた。
……変わった組み合わせだけど、男の方には用事はないのである。
私が話しかけたいのは、小さいけれど音を―――魔力の名残を持つ少女の方なのだ。
「ごめんね~、ちょっといい?」
「え、はい?」
「ん?……どうかしたかな」
―――大人の男性の方が、そっと少女を庇うようにして前に出た。
へえ、ふーん?やるじゃないの、おじさん。
なよなよした雰囲気から、ヘタレ気質じゃないかと思っていたんだけど意外や意外、これは上方修正ね。こういうタイプってやるときはやるのよ。
でもま、今はあなたの方に用はないの。
「実は私、腕のいい魔法使いを探しているんだけど―――知ってるかな?」
「魔法使い……?」
「えっ……あ、まあ。はい。知ってはいますけど」
「良かったら教えてくれないかな~、ちょっと困りごとがあってどうしても魔法使いじゃないと解決できなさそうなの~!」
「な、なるほど?」
両手を合わせてのおねだりポーズ。困りごと、と聞いてちょっとは警戒を解いてくれたらしい。
そこで私は指を鳴らして、小さな魔術を使用した。
……ちょっとだけ人をおしゃべりにする魔術。これが地味に使えるのよね。
「魔法使いさんは、街の南側……この大通りから抜けて、川の近くの道を歩くと見えてきますよ」
「なるほどなるほど。どんな魔法使いが住んでるのかな?」
「えっと―――うーん」
頬に指を当てて考え込む少女。この魔術を使ってでも考え込むというのは、相当言葉にしにくいという証拠だったりする。
やっぱりゲテモノキワモノの類いなんだろう。物語での魔法使いなんてそんなものばっかりだって聞くし。
そもそも、妖精なんていう存在と仲良くできている時点で変わり者としか言いようがない。
―――とんだ偏屈頑固老人でもいるのだろうか、或いは一見すれば魔女のような老婆だろうか。どちらにしても、ミーシェちゃんの敵じゃないもんね。
……そう思い、にこやかに次の言葉を待っていると、
「……すっごく綺麗な女の子、ですかね」
ようやく絞り出された、その言葉に凍りついた。
この魔術は、人の感情に働きかけて、本心に近い思ったことをそのまま話させる魔術だ。
しかし、そんな魔術の支配下においてですら深く悩むということは、それだけその特徴が顕著で……直感的、直情的以外の言葉で何とか表現しようと思うほどの箇所であるという事に他ならないのである。
溜めて溜めて、ようやく出た言葉が、綺麗という言葉なのだとしたら……。
「あと、あれです。―――悩み事があるなら、絶対に解決すると思います。なので、安心してください!」
「な……?!」
な、な、な……なんということなの?!
綺麗だけではなく、腕を保証する言葉まで続くなんて!
これはつまり、この娘は本心からその魔法使いのことを綺麗だと思っていて、腕がいいと思っているってこと示しているから……ぐぬぬぬ。これは、この目で確かめないといけない!
「フィリちゃん、そろそろ行こうか」
「あ、そうですね」
「……それじゃあ、僕たちはこれで失礼するよ」
―――男性の方にはずっと警戒されていたらしいが、そんなことには一切気が付かず。
私の心の中は、まだ見ぬ魔法使いへの対抗心でいっぱいになっていたのであった。
……待ってなさいよ、魔法使い!!このミーシェちゃんがコテンパンに倒してやるんだから!
教えてもらったその魔法使いの住む家まで、一直線に駆けて行ったのであった。
***
「ん~……、ふう。アハ・イシカの生態について調べてみたけど、難しいなあ……」
この場合の難しいというのは、アハ・イシカというあちらさんの生態そのものではなく、このあちらさんが持つ人食いの性質についてだ。
あちらさんもまた千差万別なので、種によっては人を襲うあちらさんも多いんだけれど、アハ・イシカは総じてほとんどが人を食べるのだ。
……まあ、率先して食べに行くわけではなく、テリトリーに侵入してきたものを退治する一環で捕食するって感じに近いけどね。
本来アハ・イシカには人を食べる理由もないから、ほとんど趣味というか娯楽というか……珍味みたいな扱いなのだろう。
美味しいから折角なら食べてしまおう、みたいな。獰猛なる水棲馬というあだ名こそついているが、普段は明確に人間に敵意をむき出しにしているわけではないのだ。
さて、そんなわけで。人を食べることができるあちらさんとなると、不用意に人に近づかせることもできないわけで。
元々が魔術師に傷つけられたあちらさんだ、人への憎悪も持っているだろうし尚更である。
うーん……どうすればいいかなあ。
恨みつらみを完全に救うことは難しいから。傷の治癒なら時間さえあれば完全に治せるけれど、彼らの良き友たる魔法使いとしてはしっかりと、心の方までケアしてあげたいというのが本音だ。
「憎悪の根元が問題だよねぇ……今の時代じゃ、人間から隠れて暮らすのも難しい」
俺の本来の世界である地球、その現代よりはまだ神秘や魔術、魔法と呼ばれる未知の色が濃く残っているこの世界であっても、星に最も多く住み、そして支配しているのは間違いなく人間だ。
ならばこそ、如何にあちらさんといえど人間から離れて暮らすことなどできない。
……いや、完全に離れて暮らす手段もあるにはあるけれど、それはどうしようもなくなった時の最終手段だ。
あそこに行ってしまっては、歩み寄ることはもうないだろうからね。
「人間への憎悪をなんとしてでも薄めるしかないけど、さて」
―――或いは、受け止める、かな。
そちらにはきっかけが必要になるから、あまり明確な手段としてとれるものでもないか。一旦は忘れておこう。
「もういい時間かな。夕飯作らないと」
椅子の背もたれにだらしなく寄りかかり、書斎の時計を見れば既に時刻は五時半くらい。
段々と夏至に近づいて行っているにせよ、まだ四月の初め。夕暮れは早い部類だ。
完全に暗くなる前に料理を始めないとね。
魔法や魔道具を使えば光を生み出せるけれど、暗くなったらもう寝てしまうのがこの世界の基本だ。
郷に入っては郷に従えと言うし、そうした方が自然だろう。
もちろん蝋燭やランプなんかを付けて、読書をしながらハーブティーや珈琲、場合によっては酒精を嗜むというのもそれはそれでいいんだけど。
……あ、この世界の飲酒可能年齢は十六歳からなので、俺も飲んでも問題なかったりする。
そもそも身体が変質してしまっているため、年齢という概念を当てはめていいのかも分からないんですけどねー……。
「ごめんくださーい」
「んぅ?」
そんなわけで書斎から出てリビングへと向かっていると、ちょうど廊下でそんな声が聞こえてきた。
こんな時間にお客さんとは、珍しい。
まあ実際、俺の魔法使いとしての営業時間は特に定めていないのでいつ来ても問題ないのも事実なのだが。
時間によっては寝間着で対応しますが、そこは許してくださいな。一々着替えていられないですよね、はい。
そこまでマメじゃないのである。ま、それはさておき。
「はーい、ちょっと待っててー」
一言声をかけてから、帽子を取って玄関へと。
変わった匂いがするな、思いつつも特に気にもせずに扉を開ける。
「いらっしゃいませー……っていうのも変か。うん、それじゃあ―――ようこそ、魔法使いの家へ」
夕暮れ時に訪れたお客さんへと、そう微笑みかける。
……その瞬間、ぴたっと俺の額に人差し指が当てられた。