ミールの仕事風景
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「かの妖精の事、頼みました。……今回は我が街の面倒ごとを押し付けてしまい申し訳ありません、領主殿」
気圧されたような、若干弱々しい口調で下手に出ているのは男の声。
まだ若い、青年とも呼べる年齢の人間だ。机の上には被ってきたと思われるシルクハットが置かれており、その帽子に巻かれた布の中央部分に描かれているのは交差された杖の紋章。
このカーヴィラの街から何十キロも離れた、シキュラーという街の使者であるという証だった。
「いえ、お気になさらず。物事には適材適所というものがありますから。我が街はあなたたちの街よりも少しだけ、魔法や小さな隣人たちと接点が多かったというだけの話ですわ」
それに対し、凛とした―――しかし艶のある声で答えているのは、儚げな肌に色素の薄い蒼色の瞳、そして長く美しい銀髪を持つ、絶世の美女。
顔だち、体型、仕草に至るまで完璧な美貌を備えた、この街の領主……伯爵夫人、カーミラ様であった。
今のところこのお方の美しさに匹敵するのはマツリしか知らないな。洗練された美しさである我らが主に対し、あいつは自然体にして幻想的な、浮世から離れたような存在だが。
「……」
それにしても、自身の街に紛れ込んだ不審者による事件、即ち自己の不手際によって生じた不利益だろうに。
……その解消を他の街に委ね、尚且つその契約の場に相手の領主が来ないとは、あまりにも失礼が過ぎるのではないか?
ふつふつと自分の身体の中に怒りが沸き上がるのを自覚するが、この怒りはこの場にいないシキュラーの領主に対してぶつけるものだ。
憐れな生贄の羊としてこの街へと送り込まれた目の前の青年に発散していいものではない。
私は色々な人から怒りやすいなどとは言われているが、怒る相手はきちんと弁えているのだぞ。本当だぞ。
「なんとお礼を申し上げたらいいか……」
「ふふ、お礼ならばシルラーズ―――アストラル学院宛に既に贈られたと聞いておりますが?」
「あんなもので足りるとは思えません。確かに我が街に聳える、神聖なるオーク……その苗木ですが、ただの樹木であることに変わりはないでしょう。あの妖精がもしあの地で朽ちていれば、その呪いが我が街に降りかかる恐れすらあった―――貴女様はそれを救ってくださったのだから!」
「ただの樹木……か」
「ふふん、なーに騎士様?あの苗木に何か心当たりがあるのかな~?」
「…………」
癇に障る声が響く。
甘ったるい声だ、私は苦手なのだ、そういう声。
とはいえ、下手に出ている者共ではあるが客人は客人、私が勝手に怒って剣を抜き、大事になればこの街の……ひいてはカーミラ様の迷惑になりかねない。
というか確実に迷惑になる。学院長にならば幾らでもかけても問題ないが、私たち双子の大恩人であるカーミラ様にだけは、これ以上は存在しない。
ミーアからも言い含められているしな。ああ、もちろん律するさ。
―――そう、例えこの目の前の、使者である青年の横に座る魔法使い帽子の小柄な女が、わざと私を煽っていると分かっていても、だ。
「こら、ミーシェ。失礼をするな、我々は頼み込んでいる立場なのだぞ?!」
「え~?別にあんな妖精が死んだところで、その呪いなんて……この天才魔術師のミーシェちゃんがどうにかできましたし~?」
「そもそもが呪われないことが一番だろうがっ!……失礼をしました、領主殿!」
「いえいえ、慣れていますから。私たちの街には魔術師が多いですからね」
「……まあ、魔法使いも多いですけどね」
「ええ、ミールの言う通り。魔法使いも居ますわね。流石にそちらは数少ない人材ですけれど」
一切私たちが反応しないのを見てつまらなさそうに息を吐くと、ミーシェと名乗った魔術師は今度は別のことに興味が向いたらしい。
「魔法使い?本当にそんなの実在するの?」
……こいつ、魔法使いを見たことがないのか。
いや、そもそも魔法使いというものは魔術師に比べその数がとても少ないのだったか。
マツリという魔法使いがあまりにも近くにいるからな、そのことを忘れそうになる。
同じ魔法使い帽子を被っていても、マツリとは印象があまりにも異なる。やはり私は、ああいう馬鹿の方がいい。
そもそも、私と魔術師はその多くと性根が合わんしな。なんだかんだいって学院長は珍しいタイプの魔術師なのだ。
「もちろんですわ。だからこそ、隣人―――アハ・イシカを我が街が受け入れられたのですから」
「……あっそう。ふ~ん、魔法使い、ねぇ。黴の生えた知識を蓄えた老人の何がそんなに凄いんだか。天才魔術師のミーシェちゃんの方がずっと凄いし」
「ほう」
「妖精?自然?そんなものと共存して何になるっていうのかしら。人間なら人間らしく、全てを超越してでも真理を―――星の魔術を掴むべきなのよ。魔法使いなんて時代遅れ、要らないわ」
―――貴様、我が友を侮辱しているな?
「ミール。控えなさい」
「……ッ。申し訳ありません」
無自覚のうちに、剣の柄に手が置かれていた。危ない、カーミラ様の言葉がなければこの女の首を落としていたかもしれない。
「ふふ、な~に騎士様?私とやり合いたいの?」
「……」
落ち着け、私よ。つまらん挑発だ、応じる必要はない。
剣の死合いでのやり取りのようなものだと思え。それならば私は冷静になれる。
呼吸を整え、怒りを醒ます。
―――それはそれとして、マツリを侮辱したお前は許さんがな。
「なーんだ、つまんないの。ま、騎士なんて魔術師に比べればただの雑魚だものね~?剣を振るうだけしかできないんだし。誰でもできることだわ、そんなもの」
「その剣すら振れん愚図よりはマシだ。それとそろそろ口を噤め―――な?」
「ミーシェ!止めろといっているだろう………お前の父上に報告するぞ!?」
「……はいはーい、分かりましたよ、ミーシェちゃん黙りま~す」
ようやく雑音が消えたか。
それにしてもよく話す魔術師だな。
もっと言葉を大事にするものではないのか、魔術師というものは。
「それでは三日後、特製の汽車を運用して妖精をこの街に送り届けます。この街に入ってからは全て、カーヴィラの方々にお任せしてよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。依頼が完遂し、隣人の治癒が完全に済んだ後、書簡を届けますわ」
「了解しました。その時もまた、特製汽車にて妖精を引き取ります。カーヴィラの街を出てからは私たちシキュラーの兵にお任せください」
「……一応、その際には私の親衛騎士もお付けしましょう。シキュラーの皆様方だけですと、隣人の怒りの矛先となってしまう可能性もありますから」
「お心遣い、身に染みます。帰りの切符はこちらで手配いたしましょう」
「はい、よろしくお願いしますわ」
黙っているという言葉の通り、魔術師の女はカーミラ様と使者とのやり取りに口を出すことはなく、ぼうっとカーミラ様のお屋敷の窓から外を眺めている。
帽子から零れている肩くらいまでの金髪が、退屈そうに揺れていた。
「……本当にこの度は感謝の言葉しかありません。ありがとうございました」
「持ちつ持たれつですわ。ミール、お見送りを」
「は、了解しました」
立ち上がり腰を深く折る青年と、それに遅れて欠伸を噛み殺しながら立ち上がる魔術師の女。
……む。立ち振る舞いは存外しっかりとしているな。
武術による鍛錬の姿勢の良さではなく、教育による姿勢の良さが滲み出ている。
実はそれなりの家柄を持つのかもしれないが―――どちらにせよ私とは性根が合わん。
これ以上考えていてもいい印象になることはない魔術師の女については放って置き、先導して出口まで案内する。
勿論無言だ。私の職務はカーミラ様の護衛であり、客人をもてなすことではないからな。そもそも、私はあまり接待が得意ではない。
変に言葉を発しても不興を買うだけである。
うむ、人付き合いが苦手な割に、実はそういうのはミーアの方が得意なのだ。
「ありがとう、騎士殿」
「いえ。それではお気を付けて」
扉を抜けて、そして薔薇と棺の装飾がなされた美しい鉄扉を超え、二人がカーミラ様の屋敷の敷地内から出る。
「―――んー、ミーシェちゃんちょっと寄りたいところできたから、ここでお別れねー」
「……はあ。好きにしてくれ、切符や宿泊費は自分で何とかしろよ。私はそこまで面倒見ないからな」
「分かってるよ、領主代理さん。……それと、騎士様もばいば~い」
「………ああ」
しまった、嫌そうな顔が出てしまった。
まあいいか。もう契約は済んでいるのだから。
魔術師はそのまま、私たちから離れ街の雑踏へと紛れると、すぐにその気配も消えてしまったのだった。
「気分を害されたら申し訳ない。……あれは自信過剰というか、傲慢と呼ぶべきか―――実際腕はいいのだが、どうも自分を一番だと思う癖がありましてな。本来の性格は、決して悪い娘ではないのですが」
「―――まあ。護衛に付かされているのだから実際腕は良いんでしょうね」
性根が合わんが。……性根が合わんが。
大事なことなので二度言った。
「それでは私も失礼します」
苦労性な青年……領主の代理を見送り、鉄扉を閉める。
何となくではあるが、あの女とはこれから顔を合わせる回数が増えそうだな、と思いながら。
やれやれ、面倒なことだ。
そんなことを考えていても億劫さが増すだけ、護衛の仕事に戻るとしよう。
……マツリはどうしているだろうか、と。少しだけ仕事に関係のないことを思い浮かべて、私は再び美しい主の待つ部屋へと戻ったのだった。