アハ・イシカ
……獰猛なる水棲馬。
俗にアハ・イシカはそう呼ばれることが多いあちらさんだ。
彼らの中でも水棲馬に分類されているあちらさんは、その多くが気性が荒い子ばかりだけれど、アハ・イシカはその中でもかなりの暴れん坊なことで有名だったりする。
水の中に住む、白い毛並みを持つ美しい馬なんだけれど、人間を食べることすらあるんだよね。
乗りこなせばそれはそれは名のある馬になるそうだけれど、アハ・イシカの身体は場合に応じて粘着質の身体へと変容することができ、不用意に乗るとそのまま身動きを封じられて水の中に引き込まれ、食べられることになる。
もしその人間が肝臓さえあれば復活できる特殊な能力を持つのであれば生き残ることは出来るけれど。アハ・イシカは肝臓が嫌いなのである。
ま、そんな人間は基本いませんけどね!
「アハ・イシカは強いあちらさんですよね。流石に妖精の森に住むプーカに比べれば別ですけど」
あのプーカはちょっと特殊だからね。
元々がプーカというあちらさん自体強力な子だけど、俺の恩人でもあり友人でもある妖精の森の主である山の牡山羊は、あちらさんの中でも相当に力ある個体だ。
生きている時間も長いし、魔力も非常に多い。プーカの場合は死にこそすれど寿命はないという子もいるけれど、それにしたってあのプーカの力はいっそ異常とまで言えるだろう。
……千夜の魔女の肉体を持ち、半分人間じゃない俺も人のことは言えませんけどねぇ……!
「錬金術を聞きかじった死霊魔術師。そんな半端者が事の発端を引き起こしたのだがね。そいつの使った魔道具が厄介極まりないものだったのだ。呪いの弾丸―――鉛玉に呪詛を埋め込んだ、怨嗟と破滅を蟲毒にしたような最低の魔術さ」
「シルラーズさんがそこまで否定しまくる魔術っていうのも珍しいですね」
「私は基本的に益となる魔術しか肯定しないよ。使えば周りを不幸にするだけの物など、魔術とすら呼べない。それはただの呪いだ」
珍しく、表情に怒りを乗せてシルラーズさんは語る。
「我々魔術師は人とは違う。自然の摂理に従う魔法使いともまた違う。人間の編み出した術理を以って世界を変革するのが魔術だ。それ故に、魔術師は絶対に魔術をただの呪いに貶めてはならない。―――そうしたとき、人の思う魔術は……即ち呪詛となってしまう」
「魔なる術は、魔であれど他者のために。そうあればこそ、魔術は恵みの術となる……ですか」
「……星の魔術師の言葉だな。その通り、神々にも自然にも見放されたものにこそ恵みを与える方法こそが魔術だ。長い時間が経ち、それを忘れてしまった魔術師の方が圧倒的に多いのが現実だが、ね」
シルラーズさんの才能の原点が少しだけ、垣間見えた気がした。
破綻していても滅茶苦茶な性格でも、最後の最後は誰かのために。そう思うからこそ、この人は強いのだ。
……ふふ。まあそもそもさ。
相当なお人好しじゃないと、千夜の魔女っていうものすごい凶悪な相手から俺を助けてくれようとなんてしないよねって話ですよ。その後も何かと面倒を見てくれたし……そう。
魔術師らしいけれど、人間らしくもある珍しい人がこのシルラーズさんという人なのだ。
普通の魔術師っていうのはどうも、自己中心的な秘密主義者で、人道やら道徳やらを置き忘れている人が多いんだけれどね。本当に、珍しい。
「その魔術師はどうなったんですか?」
「始末したよ。私ではないが、アストラル学院の関係者が出向いたのさ。だが妖精にとっては本人が死のうが傷は治らん。身体も、そして精神もな」
「ええ……そうですね。それどころか人間自体を嫌うでしょうし」
「共にこの星に生きる者としては、そうなってほしくはないからね。互いのために―――ということでマツリ君、頼んだよ」
「任せてください。未熟な身ですけどこれは確かに、俺がやるべきことですから」
そうして、この場はそれでお開きとなったのだった。
もちろん、アハ・イシカがこの街へとやってくる日や場所を教えてもらった後に、だけれどね。
シルラーズさんは忙しい人だから、この後もいろいろとやることがあるらしい。あちらさんを街に引き入れて魔法使いに仕事を依頼して、なんてことをしていれば書類仕事から実際に自分で出向いて頼み込むことまで様々あるだろう。
街には厄介なものを避けるおまじないなどもかけられているから、そちらの調整も必要だ。
……俺も同じものはかけられるけれど、街の外れ、どころか街中からは完全に離れている俺がおまじないをかけても無意味というか、実際に住まう人のためにはならないし、そこはシルラーズさんを始めとした街に住まう魔術師たちにしかできないこと。
恩返しの意味も込めて、小さいところでもなるべくは力になりたいけれど、そうもいかないのが現実だ。
なんというか、もどかしいなあ。
早々に店を出て行ってしまったシルラーズさんを見送って、現れた時に出してくれた茶器などを片付けるオートマタに苦笑交じりに微笑んで、俺もフィーグさんのお家を出る。
お邪魔しましたと、しっかりと言い残して。
オートマタは、そんな俺を不思議そうに眺めていたのだった。
***
「やはり受けてしまったのですね、マツリさんは」
「まあ未熟者ではあるけど、あくまでも俺は魔法使いだからね。あちらさんが困っていると聞いて放置はできないよ」
飛んで翌日。
俺はミーアちゃんと一緒にカーヴィラの街の露店を歩いていた。
何故かといえば、何のことはない普通の食材の買い出しである。生きていればお腹は減る、お腹が減ればご飯を食べる。
そしてご飯を食べれば、食材がなくなるので、買い足すのは当たり前のことだよね。
……流石に自家栽培はまだ出来ていないから数日に一回はこうして街に出て買い物をしないといけない。でもあまり頻度を高くすると、街に住む、アストラル学院とは関係のない魔術師が俺の身体に感づくかもしれない。
なので、買い出しするときはミーアちゃんかミールちゃんに付き添ってもらって、一気に大量の買い物を済ませるわけなのであった。頻度減らすための苦肉の策というやつだ。
実のところ依頼を受けた時などは一人で街に入っていたりするんだけどね。その場合は人となるべく接触しないようにしているし、そもそもが人と触れ合うことを前提としていないので阻害魔法も強めにかけているから問題はないんだけど。
逆に今回みたいな買い物だと、どうしてもお店の人と話さないといけないからあまり強い魔法はかけられないんだよねぇ。
下手すると声をかけても気が付かれない可能性がありますし、一人には見えているのに別の人には見られていないという矛盾状況があると、阻害魔法をかけていても違和感として捉えられて危険性が高まってしまうし……何とも難しいものだ。
「無理はしないでくださいね。……言っても無駄でしょうけど」
「む、無駄じゃないよ……?一応気を付けるよ……?」
いや、うん、まあ。放っておけないと思ったら無理も無茶もする自覚はあるけど。
このやり取りも何度かしている気がするなあ。毎回同じような反応していて、何度も同じように質問されるのでミーアちゃんの中で俺はかなり無理をする人として認識されているらしい。
そんなでもないんですよ、本当なんですよ?
「ミーアちゃんを悲しませたいわけじゃないし。だって大事な人だからね、笑っていてほしい」
「……もう。そういうことを普通にいわないでください。恥ずかしいですから」
「ええー?」
大事な人なのは当たり前のことなんだけどなあ。
そういえばミールちゃんは今日もお仕事らしい。最近はずっと護衛の仕事が続いていて、警邏の仕事を担当することが少ないそうだ。
非番の日も少しずれているらしく、それ故に珍しく双子が一緒にいないというわけなのである。
ミールちゃんは腕が立つから、護衛役としては確かに適任だろうからね。……でも、親衛騎士のミールちゃんが護衛を担当する人って―――ま、いいか。
あんまり深く詮索しない方がいいよね、多分。