依頼の承諾
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「よく来たね、マツリ君。こんな辺鄙な場所まで呼びつけてしまってすまなかった」
紅蓮の髪が椅子の背の向こう側へと放り出されていた。
首を完全に背後の椅子へと預けているその髪の持ち主こそ、俺を呼び出した張本人であるシルラーズさんその人だった。
手で招かれたので、テーブルを挟んだ向かいの椅子へと腰を落とし、喫茶店といわれても一切の違和感がない内装を見渡してから一息つく。
辺鄙……辺鄙?ここって、辺鄙って言えるでしょうか……?
「うーん……辺鄙さでいえば俺の家も大して変わりませんから」
何せ街の外れも外れ、ほとんど森ですからね、あそこの立地って。それに対し、路地を入り組んで進んだ先とはいえ、ここは街中だ。
俺の家の方が余程辺鄙といえるだろう。……いや確かに、精神的、及び魔法的な意味での辺鄙さという点ならば、こちらの家の方が辺鄙とはいえるだろうけどそれはともかく。
ま、そんな立地でもお客様が来てくれるのは嬉しい限り。腕はまだまだ未熟だけど、その分誠心誠意込めて魔法使いしてますし、大繁盛とまではいかなくてもいろんな人が来てほしいものだ。
それだけ様々な人と触れ合えるから、ね。
……と、話が脱線しかけているか。
「あ、これお茶菓子です」
「おお?気が利くな。ふふ……今度私の嫁にならないか?」
「なりません」
「……最近、私に対するマツリ君の対応がミーアのものに似てきている気がするのだが、気のせいじゃないよね?」
うん、まあ。気のせいではないですよね。
なにせこのシルラーズさんというお人は両刀ですから……いや、悪い人ではないんだけどね?
自家製のお菓子(得意ではないけど、作れないことはない)を渡しつつ、苦笑いが浮かぶ。
いい点もたくさんあるんだけど、それを台無しにするくらい残念なところもある人だから、何とも言い難いというか。
……両手で持ったその自分のお茶菓子を見て、「あっ」と声が出た。
「うん?どうした」
「いえ、そういえばこの家の主のお爺さん……フィーグさんの分のお茶菓子持ってきてないなあ、と思って」
「……あの頑固爺と話したのか?」
「はい。玄関で出会ったので」
「出会ってもあの爺が話すとは珍しい。しかも名を明かすとはねえ―――ふむ」
顎に手を当てて興味深そうに考察するシルラーズさんは、ふと片手を俺の頬に添わせると、眼鏡越しの視線で瞳を合わせる。
うう……なんだかんだ言って、この人って綺麗な人だから、こう直視されると何とも照れくさくなるなあ。
しかも今は真面目モードだ。
シルラーズさんの表情は真剣な時、夜闇を煌々と照らす篝火の如き熱と美しさを抱くから。
「それも君にある呪いか。或いは君本来の資質なのか。……恐らくは後者だ。難儀な星だね、マツリ君」
「いえ、俺にとっては祝福です。―――この身体だって、呪いではありますけど嫌うだけではありませんから」
「変わった娘だね、本当に」
「……むぅ」
だから、そんな変なこと言っていないと思うんですけれど!なんで皆して変な子だっていうのだろうか、そこには断固異論を唱えたいっ!
―――はあ、まあいいか。
思考はお爺さんと、この家のことへと飛ぶ。
「フィーグさんって錬金術師ですよね」
「ああ。錬金術に特化した凄腕の魔術師にして、筋金入りの人間嫌い。古くはアストラル学院の教師陣としても名を連ねた人間さ。私は、私が言うのもなんだがあいつの数少ない友人でもある」
この家と、そしてフィーグさん自身に染みついた香りは薬品の香り。
魔術師も魔法使いも様々な薬効、呪効をもつ薬品を取り扱うが、その中でも病院にも似た香りを持つ薬品を使用する秘術というものは限られてくる。
水銀などを解明しようとし、不老不死を会得するための錬丹術に、血液等を使用して魔術を使用する血呪魔術。
……そして、科学の祖先となった物質の構成、生成、分解を得意とする錬金術。
錬丹術の場合は生命に関する創造などを得意とし、血呪魔術は物質的な干渉ではなく原始呪術に近い効果をもたらすものであるから、この二つは表のハリボテを見た時点で候補からは除外可能。
ならば残った一つこそが、フィーグさんの専門分野であると看破できるわけだ。
ハリボテのように、或いはドールハウスのように俺が感じたのは、正真正銘この家の外装は魔術によって作られた紛い物だから―――ということ。
外から見えた造花も置物も、そして植物にしか見えなかったあの緑のカーテンもありとあらゆる全てが錬金術という名の魔術で編まれた偽物なのだ。
あれほど精巧に、錬丹術でもないのに、生命に近い物質を作り上げるなんて相当腕がいい証拠。もしかすると、錬金術の至宝にして至高の秘術である賢者の石の作成も済んでいるのかもしれない。
流石、シルラーズさんのご友人というべきか。
「何故分かった?」
「表の外観で」
「……なるほど。確かにあれはこの家の本来の姿を覆い隠すための装甲だ。実際見た目だけで機能はないからな、君ならば違和感を感じるだろう。看破の瞳も透視の瞳もないのによくもまあと呆れるがね」
「ええと、褒められているんですか……?貶されているんですか……?」
ま、魔眼がなければ見破れないわけじゃないですし、そんな変なことじゃないと思うんですけどねえ……。
「と、フィーグの話はまた今度でいいだろう。話をしたということは君のことを気に入ったということだろうしな」
「気にいられたんでしょうか、あれ」
「基本人間の前に姿を現すことがないからな。まるで妖精の如くだ。……いや妖精ほどの奔放さもないか。偏屈爺だしな、あれ」
「辛辣ですね……」
「そんなものさ。―――さて、では私たちも本題に入ろうか」
お茶菓子をしっかりと自分の懐へと収めつつ、テーブルを二度指で叩くシルラーズさん。
軽い音が響くと、俺が入ってきた扉とは違う扉が開き、中から銀色の髪と瞳を持つ、女中衣の人形が姿を現した。
まさか自動人形とは、これは驚いた。
しかもものすごく人間に近い造形を保っている。肌は本当の女性のそれに近く、関節は球体関節でこそあるが、動きは非常に滑らかで違和感は感じさせない。
見た目はニケの女神像やミロのヴィーナスといった、美しい彫刻に近い肉体か。つまり、肉体の黄金比を完璧に再現した存在であるということで……ああ、この自動人形から漂う香りもまた、フィーグさんのものと同じだ。
ということはこの自動人形の製作者はフィーグさんということで。すごいな、あの人……この領域まで作りこまれた自動人形ならば、もはや魂すら宿るだろう。
疑似的な人間の作製に成功しているようなものだ、錬金術の秘奥の一つである、新たなる人類の作製に片足を突っ込んでいる。
―――あ、新しい人間というのはあれだよ。世にも有名なる、フラスコの中の小人。
即ち、ホムンクルスのことだ。ま、錬金術師の誰もかれもがそういった意味での、本当の新人類であるホムンクルスを作ろうとしているわけじゃないんだけど。
ほとんどの人はホムンクルスを安価な労働力として使用するからね。……彼らには微弱ではあるが意識が宿ることもあるから、使い潰すようなことはしてほしくないけど、他人……それも魔術師の人生に口を出すのは難しいからなあ。
なお、錬丹術の場合は不老不死の実現なので、一から生命を作り上げるといったことはしない。手法は似ているけれど、最終目的地が大きく違うからなあ……。
「もうミーアから聞いているかもしれないが、妖精の治癒。それを君に頼みたい」
「はい。……でも、本当に珍しいですよね。あちらさんを治癒する依頼なんて」
出来れば、そうなった経緯というものをしっかりと聞いておきたいんだけど。
「―――その妖精は、魔術師によって子供を殺されたのさ。妖精本人もまた、大きな傷を負った」
「それは……いや」
それこそが、魔術師とあちらさんの距離感としては普通なのかもしれない。
このカーヴィラの街において、魔術師たちとあちらさんはかなり良好な関係を築いているから気にも留めなかったけれど、魔術を使うためにあちらさんを刈り取る魔術師というのは少なくないのが現実なのだ。
当然すべての魔術師がそうであるわけじゃないし、そうした悪しき方法を取ったものは人間からも罰を受けるのが定めではある。
……でも、罰を受けたからといって傷を負ったあちらさんが治るわけではない。
「その後もしばらく、傷を負ったまま人間と敵対し続けていたのだが……とうとう力尽きて消えるかという所で、その妖精の近辺の街の守護を担当する、別の魔術師の一団によって保護されたわけだ」
「魔術師によって傷つけられた子が、魔術師によって治癒されるのを許容するわけはないですよね。だから、魔法使いの俺のところに話が来たってことですか」
「……それだけじゃないがね。いい腕を持ち、妖精の心情に深く同調できる適任が君しないなかったというだけの話さ。はっきり言うと、他の魔法使いでは力不足でね」
「ええと、俺もまだ未熟者なんですけど……」
そこまで信頼を置かれても困るといいますか。
いや、やりますけどね?傷を負ったあちらさんを放置するとか、あり得ないので。
魔法使い云々じゃなくて、そもそも人間としてという意味だ。だってそれって見捨てるってことでしょう?そんなことは俺にはできないよ。
だからまあ、答えは一つしかないんだよねぇ。
「故に頼む。やってくれるかな、マツリ君」
「はい。その依頼、受けさせてもらいます」
―――当然、イエスという言葉だけってわけだ。
さてさて、今回の依頼は……大変そうな予感がひしひしと感じられるけど、まあしょうがない。
あちらさんの身体の傷だけじゃなくて、その心まで。この魔法使いマツリがきちんと治してみせましょう!
少しづつでも、シルラーズさんや双子にも恩返しをしたいし、ね。
と、依頼を受けるとなればもう少し詳しい情報を知っておかないと。とくにあちらさんについての話は大事なものになる。
あちらさんの種類というものは膨大だ。名前を持つ子、持たない子や姿に大きなばらつきがある種族もある。
人間などの普通の動物とは同じ生物であるという括りでしか共通点がないため、そもそも分類自体に意味をなさないのも事実なのだが、それでも魔法使いや魔術師たちが判断しやすいようにと、なんとか名をつけ、或いは聞きまわって纏めたモノも多い。
名前や姿がある程度分かっているのであれば、取れる手段も増えるし、今から準備もできるからね。
「そのあちらさんの名前とかって分かっていますか?」
「名前か。……アハ・イシカという名前で分かるかな?」
「―――ええ、まあ。そうですか」