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新しき依頼



……複数の足跡が草地を踏んだ跡がある。

丈の長い草が倒れ、その下に覗くぬかるんだ地面を注意しながら、ローブに身を包んだ足跡の主である影たちが、泉のほとりを歩いていた。

遠くには清流のせせらぎが聞こえ、森の隙間から差し込む光は人の踏み入る領域では滅多に見られない美しさを醸し出していた。


「どこに行ったんだ……?」

「見ろ、血がある。この先にいるとみていいだろう」

「危険な相手だ、用心して行こう」


影たちは魔術師であった。

遠く離れた街にあり、街を守る目的と使命を持った魔術師たちであった。

血に濡れた草を摘み取ると、ローブの下から取り出したフラスコにその血液を投入し、何事か呪文を唱える。

するとフラスコ内の血液がひとりでに動き出し、硝子の壁を押し出し始めた。

影たちはその血液が向かおうとしている方向に歩き出す―――そして。


「―――――――ッッ――――」

「ぐ……?!」

「待て、我々はお前に危害を与えるつもりはない!」


言語に表すことのできない声が響いた。

しかし、言葉にこそできないがその中にある感情だけはいとも簡単に読み取ることができた。

その感情とは、怒り。そして……憎悪。

人間凡てを呪いつくしてもまだ飽き足らぬと、そう感じさせるほどの鬱屈した感情が咆哮に乗せられて魔術師たちを叩く。

流石にそれをそのまま受け止めるわけにはいかなかったのだろう。魔術師たちもまた、各々の魔道具を取り出し、魔術を行使し始めた。

風のように素早く動き、いまいち姿を認識することのできない声の主。

それに向かって幾つもの火焔や蔓草が飛び、声の主を拘束しようと無数の魔術が入り乱れる。

―――声の主の力も相当であり、複数人からなる魔術師を相手に一向に退かない。けれど、声の主は手負いであった。

徐々に押され、魔術が認識しにくいその身体に衝突する。

瞬間、魔術師たちの目に映ったのはそれはそれは美しい毛並み(・・・)であり……そして。

嘶きが聞こえた後、突風のように走り去った声の主に吹き飛ばされ、魔術師たちが宙を舞った。


「いってぇ、クソ!?逃げたか!」

「大丈夫です、魔術でまだ気配を追える!だが早くしないと……衰弱してきている!」

「全く、面倒な仕事だよ、本当に―――」


ぼやきながらも早足で急ぐ魔術師たち。

……その向こう、はるか遠くで薄笑いを浮かべる、漆黒の影には終ぞ気が付くことはなかった。






***






痛い、身体が灼ける。

我らに対し害となる鉄の玉。身体に打ち込まれたそれが私を蝕む。

けれど、それ以上に我が魂が叫ぶのは昏き慟哭だ。

許さぬ、許さぬぞ人間よ―――よくも。よくも我が……!!!


「美しい。お前はとても美しいなあ。純白の身体はまるで浮雲のようだ。……なあ、孤高なりし怪物よ」

「――――」


誰だ、と問うた。

鼻をつく匂いは人間のもの。しかし、それは人間の匂いを発しているというわけではなく、その人間の血が染みついてしまっただけのようにも感じられた。

私の眼は既に見えぬ。命はじきに潰えるだろう。

けれど、もしこの見えぬ(まなこ)の先に立つものが人間であるのならば、この首だけ飛ばしてでも貴様を殺そう。


「落ち着くがいい。私はお前たちと同じモノだ」

「……」

「本当だとも。お前にならば分かるだろう?」


―――なあ?

眼ではなく、気配で私の前に立つ存在が笑うのが分かった。

ああ、確かに。こいつは人ではないようだ。

だが(・・)、決して我らではない(・・・・・・)ならば、こいつは何だ。


「私が何者かなど些細な問題だ。だがお前にとって私は福音となる存在であるという事実は忘れないようにするがいい」

「――――……」


福音だと?笑わせてくれる。

お前が何者かなどは分からぬが、人間の匂いを持っているという事実に変わりはなかろう。

それがどんな経緯であったとしても、人と似た存在であることに相違はない。


「いや、違うな。だがお前は信じてくれないようだ。ふむ、それは本当に残念なことだ」


血が流れ、意識が消えていく。

時間の経った血液は空気中へと溶けるようにして自然へと還り、その度に私の命もまた縮んでいく。

人間ではない我らは死を恐れない。死という概念を理解しない。

我らも定められた命を持つ者。力を失い、宿りし依代を失い。……やがては消えるのが摂理であるのだからそれを恐れることはない。

けれど、この感情だけは―――無為に消えてしまう事に強い忌避感を感じる。

この怒りを、憎悪をそのままにしておくことだけは、できない。


「ならばお前に一つ贈り物をしようじゃないか。なに、物ではなく、力そのものではない。だがお前が真に望む物……そう。手段だ」


言葉を返せるほどの体力は最早存在しない。

そもそも言葉自体既に認識できていない。

ただ死へと落ちていく私に対し、声が語られているだけ。


「――――さあ、その憎悪を正しく解き放つがいい」


全てを語り終えたのか、気配が遠ざかっていく。

言葉は認識していなかった。けれど……魂に刻まれた呪いの如く。

纏わりつく泥のように、その言葉は私の奥底へと沈んで張り付いた――――。







***






ハーブティーの入ったカップから湯気が立ち上る。

今日のお茶はラベンダーとレモンバームのブレンドティーだ。

これは頭痛の軽減やリラックスに効果がある。……まあ俺はそんなに頭痛が酷いわけではないので、普通にいい香りを楽しむためのブレンドなんだけどね。

かつてはイギリスのエリザベス一世も、頭痛を軽減するために一日に十杯は飲んでいたというけれど、癖が強いのでハーブティー初心者にはあまりお勧めはしない。

やはり慣れてない人にお勧めするならば、甘みも強く香りも柔らかなカモミール、或いは俺の”茉莉”という名前と同じ意味を持つジャスミンだろうか。

リンデンバウムなんかも飲みやすいんだけど―――まあ、そんなハーブティー談義はこのあたりにして、と。

ペンを執るとインクをつけ、手紙を書く。

誰に向けて書いているのかというと、これはシルラーズさん宛だ。

魔法使いとして生活し始めて早数週間。その経過報告、或いは現状報告とちょっとその中で遭遇した気になることなどを纏めて書き出しているのである。

もう四月も中旬だ。そういえばそろそろ俺の誕生日が来るなあ、などと思いつつ、手早く手紙を書き終える。


「よし、と。『多羅葉記され美し言葉、天に駆け行く蝶と為れ』」


窓を開けて次に手紙を取る。

掌に載せた手紙に息を吹きかけ、窓の向こうへと舞っていく手紙。

それは二度ほど宙を風に煽られて回転すると、折り紙のように自動的に畳まれ、紙でできた蝶の姿となった。

これで大丈夫。手紙はシルラーズさんのところへと届くだろう。

俺が直接行こうにも、魔術や魔法の研究、実践を行うアストラル学院では隠蔽の魔術もどこまで効果を発揮するかわからないからね。

半分人間ではない―――それも、その半分が千夜の魔女という、このセカイで忌み嫌われている存在となってしまっている俺が不用意にお邪魔しては、お世話になった人に迷惑をかけてしまうことも考えられるから。

なので、こうして手紙を飛ばしているというわけです。郵便料金もかからないし、ある意味一石二鳥。

……ん~、まあ。正直言えばまた学校に通いたいという気持ちはあるんだけどね?

結局こっちの世界に転移してしまったため、学校を卒業できていないし。

それに、何よりもアストラル学院という場所そのものにとても興味がありますし。

でも流石にそれは我儘だ。既にシルラーズさんや双子に迷惑をかけっぱなしであるのだから、これ以上は負担をかけられない。

―――今の魔法使いとして人の悩みを解決しつつ、ゆったりと暮らす生活も結構性には合っているので不満はないのは事実なんだけど。

生活する分のお金にも困ってはいないし。

魔法使いって本当に数か少ないようでして、小さな風邪から占いをしてほしいという願いまで、いろんな人がこの家を訪れる。

その度にいろいろな話を聞けるので、楽しい限りです、はい。

と、ハーブティーを飲み干して、本の続きでも読もうかと椅子に深く座りなおしたときに、小さくドアノッカーが鳴らされる音が響いた。

お客さん……というわけじゃなさそうだ。

この遠慮がちなノッカーの鳴らし方は、双子の騎士の妹のほう、赤い髪のミーアちゃん。

何度かこの家に遊びに来ているため、久しぶりというわけではないのだけれど、こんな時間からくるのは珍しいな。


「ミーアちゃんは騎士だからねえ。……昼間は仕事しているはずだし」


非番の日なら別だけど、今日は普通に仕事の日の筈。

……ということは、仕事関係の話なのかな。あ、じゃあやっぱりお客さんですね、それ。

ともあれ、扉の前に待たせるのも悪いので、よいしょっと声を上げて立ち上がると表玄関へと向かう。


「空いてるよ、ミーアちゃん」

「はい。お邪魔します」


うん。実際鍵は開いていたのだが、俺が入っていいよーというまで律儀に待っているあたり、本当にまじめだよね。

でも茶目っ気がないというわけじゃないんだけど。礼儀正しいの方が正確かな。まあたまに腹黒い時もありますけどねっ。


「ようこそー。リビングへどうぞ。紅茶でいいよね」

「いえ、仕事中ですのでお構いなく」

「いいのいいの、俺が勝手にもてなしているだけなんだから」


わざわざこんな街外れの家まで来てくれているのだ、お茶くらい出さなければね。

歩いて一時間程度って結構な距離なのだ。しかも、このセカイには車など存在しない。

貴族や俺のような魔法使い、或いは魔術師ならばそれに準ずる移動手段はあるけれど、そんな人間は希少種。

多くの人間は自らの足を以って移動するのが常である。

そんなセカイの皆様方は、俺が生まれたセカイの人間よりもずっと健脚なのだけれど、それでも一時間かかるというのだから大変なことだ。

せめて疲れは癒して行ってほしい。俺は悩みを解決する魔法使いなのだから。


「……じゃあお願いします、マツリさん」

「うん♪」


小さく微笑んだミーアちゃんに俺もまた笑い返すと、指を鳴らしてお湯を沸かす。

魔道具は本当に便利だ。

勿論それらがあっても根本的な生活水準では日本とは比べるべくもないのだが、それでも機械のような働きをするこれらの道具があり、活用できるというのは非常にありがたい。

蛇口をひねれば水が出る、とかは流石にないんだけどね。

水は近くの川から汲んできて、水瓶にいれております。必要な時はそこから取り出す感じ。

……まあ、魔法を使えばそんなことしなくてもいいんだけど、自分でできることは自分でやらないとね。

魔法は便利だけど、頼りっきりになってしまってはいけないのだ。

なお、この家のトイレは魔道具が使用されており、水洗式トイレのような動作をしている。

糞尿の放置は感染病の元だからね。危険にならないようにと、この家の前の持ち主である彼らがしっかりと気を使っていたことが分かる。

そんなわけでトイレだけは便利に使えるので、そこにはとても感謝です。……ぼっとんトイレはほら、管理が大変だから……。

ちなみに、街の方は比較的ライフラインが整っているので、魔道具ではない普通のトイレも多いと聞く。

アストラル学院は魔道具式の方が多いらしいけど。あそこはあちらさんも稀に訪れますし、あまり大量に鉄を張り巡らせるのは好ましくないという判断なのだろう。

そのくらいならば皆気にしないけれど、気づかいは嬉しいものだ。


「……そういえばアストラル学院はシャワーとかも普通にあったなあ」


ハンドルを回せばお湯が出る、現代にかなり近い構造のシャワー。

温水が出る理由そのものは石炭を利用したものだったようだが、あれは恐らく、その温水を循環させる手法に魔道具が使用されている。

じゃないとどう考えても冷めるからね。あんな広い学院を真面目にパイプか何かで運搬したら、その間に温水から冷水になっちゃいますからね。

アストラル学院は魔術研究の一環で魔道具の開発も行っている。

なのでその研究の副産物として、試験開発したものや、結果や能力が優秀と判断され、本格的に運用を開始したものを優先的に配備できるという権利を持っているのだ。

科学もある程度利用しているにしても、このセカイの時代背景からすれば飛び抜けてといえるほどにあの学院の中の生活水準が非常に高いのはそのためだ。

流石魔術研究の総本山、時代の最先端を行っている。科学の進歩に引けを取らない魔術進歩というのも面白いよね。


「何か言いましたか?」

「いや、ちょっとアストラル学院のシャワーについて考えてた」

「シャワーですか。……また今度一緒に入りましょう」

「そ、そうだねー」


あれ?なんか声が真剣じゃないですか?

ま、まあいいか。きっと気のせいだよね、うん。

ミーアちゃんとお風呂に入るのは日常化しておりまして、割と頻繁に一緒のバスタイムを過ごしていたりする。

数回は一緒に入ろう、という話だったのだけどもうとっくに数回終わっている気がするんだけどなあ。洗い方とかほぼマスターしているんだけどなあ。

自分の身体には流石にもう慣れているが、とても綺麗なミーアちゃんの身体にはいつまでたってもどぎまぎする。

……目隠ししていても触れる手の感触とか、たまに身体に当たるミーアちゃんの足や胸の感触とかでこう……くらっとするんですよね。

でもまあ、あの時間は決して嫌いじゃない。お風呂が終わった後にまったりと寛ぐ時間も含めて、ね。

とまあそんな雑談をかわしつつ、ミーアちゃんにはソファーに座ってもらって手早くポッドに茶葉を落とし、お湯を注ぐ。

砂時計を反転させて、布巾で温めたカップを用意。今朝焼いたハーブクッキーをお皿に載せて、それらをさらにトレイの上に。

砂が落ちきらないうちにテーブルへと運んで、そして落ちきった頃合いを見計らって紅茶を注ぐ。


「手際よくなりましたね、マツリさん」

「まあ何回もやっているからね」


流石に慣れますよ。

注ぎ終わったカップをミーアちゃんの目の前に置き、向かい側に腰を落とす。

手袋に覆われた指がそのカップを持ち上げ、薄い桜色の唇へと近づくのを見て、俺も自分のカップを手に取った。

最近はハーブティーの方が多いのだけれど、やっぱり紅茶も美味しいよね。

……さて。じゃあ話を聞くとしましょうか。


「仕事中に来るってことは、俺に魔法使いとして仕事があるってことでいいのかな?」

「はい。学院長からの御達しです。……いえ、正確には学院長とカーヴィラの領主様からの、ですが」

「……領主様?」

「伯爵夫人、カーミラ様その人です」

「―――あー……」


一度だけ、出会ったことがあるあの人ですかー。

血の気が引くほどに美しく、麗しいあの女性。

銀色の髪に清流のように澄んだ蒼い瞳の伯爵夫人様。

まあ、出会ったことがあるといってもあれはまだ俺がこの身体になる前の話であって、今の俺とは面識がない筈なのであっても向こうは分からないだろうけど。

そもそも一度目があったという程度だし、最初から記憶されてないかもしれないが。


「……?マツリさんは会ったことがありましたか?」

「んー、遠目から拝見したって感じかな」

「なるほど。カーミラ様は街にもよく出ていますし、そういう機会もあるでしょうね」


実際はちょっと説明が難しかったので適当にいったのだが、納得してくれたらしい。

……あれ、ミーアちゃんとミールちゃんは確か親衛騎士なんだっけ。じゃあカーミラ様は直接仕える相手ということになるのか。

言葉の端々に、シルラーズさんに対して向けているものとは違う敬意が感じられるし、尊敬している人なのだろう。

決してシルラーズさんが敬意を払われていないわけではないけどね。

なんというか、そう。ベクトルが違うだけで、なんだかんだ言っても信頼はされている人なのだ。実力は間違いないのだし。

と、話が脱線している。軌道修正して、改めてミーアちゃんにその御達しの内容を聞くことにした。


「それで、そのカーミラ様とシルラーズさんからの依頼っていうのはどんなものなのかな?」

「私自身はマツリさんを呼んでくるようにと命令を出されていますので、詳しくは知らされてはいませんが……」


言ってもいいのか少しだけ迷うように目を伏せたあと、顔を上げたミーアちゃん。

そして……。


「学院長の話ですと―――妖精の治癒依頼、だそうです」





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