二度目を見送って
***
「……あ、れ?」
「おはよう、フィリちゃん。もうこんばんはだけどね?」
重い頭を持ち上げると、目の前にはすっかり冷めたジャスミンのハーブティー。
そして向かい側に座る、美しい魔法使いがいた。
緑翠玉の柔らかな瞳が私を慈しむように射貫く。この人の眸は、夢の中でも現実でも全く変わらないなぁ。
いや、むしろ現実の方が綺麗なんじゃないかな。眼だけじゃなくて、姿とかも全体的に。
「……あれ、フィリちゃーん。おーい?」
「あ、すいません!ちょっと考え事を」
「うん。まあそうだね。いろいろと、考えることは多いよねぇ」
いえ多分、今マツリさんが考えていることとは違うんだと思いますけどね?
でも、そうだ。
マツリさんの言う通り、折角見せてくれたこの夢をことをしっかりと考えて、この先の人生を選ばないといけない。
……私は幸せ者だよ。だって、間違った選択肢を取った場合の結末を教えてくれた人がいるんだから。
「安易な手段を選ぶこと。それ自体は何一つ悪いことでもないんだ。何を以って悪いと定義するかなんて人それぞれだからね」
それに、と口に出しながら、ハーブティーに指を触れる。
最初に私のカップに。次にマツリさん自身のものに。
一瞬、赤色の何かがマツリさんの指の上に見えて―――そして、冷めていたカップがすっかりと熱を取り戻していた。
「そもそも安易だと自覚して安易な手段を取る人間はあんまりいないものさ」
「う……確かに。私すっかり愛の秘薬を使うことが一番いい答えだと思っていました……」
「あはは……まあ、人は万能には為り得ないから」
ハーブティーを口に運んだマツリさんに合わせ、私もカップを口に運ぶ。
一度温めなおしたものだけれど、風味は損なわれていなかった。
「迷い、惑い、躊躇い、そして悩むことはとてもとても苦しいことだ。けれど、それは未来を見て全てを知りつくした人間には決して感じられないもの―――だからあんまり普通の人に未来を見せることはないんだけどね。今があるから、未来があるんだ」
「もしかして……マツリさんは、全て見えているんですか……?」
「まさか。俺も未来を全部見るつもりはないよ。誰かの人生に首を突っ込むのは好きだけれど、滅茶苦茶にしたいわけでも思い通りにさせたいわけでもない。ただ……魔法使いだからね。不幸だけは見逃せないよ」
「本当に変わった人ですよね、マツリさんって」
「え、変わってるかな?えー、そうかなぁ」
まさか自覚ないんですか……?
うーん、世俗になれていないというか、普通に世間知らずというか……まるで異世界から来た人みたい。
普通、未来の全てを見ることができるのならば見てしまう人間が殆どの筈だ。見ることで危険や嫌なことを回避して、いい結果だけを取ろうとする。
……けど、ああ。そうか―――それこそ、この目の前の魔法使いさんのような人ならともかく、未来しか見えない人なら最終的にどうしようもない袋小路に行き詰まる。
そして嫌なことを、苦しいことだけを受け入れずに生きてきた人は、その結末に耐えることは出来ない。
どうしようもない終わりまでが見えたその時点で、今までの、そしてこれからの幸福全てを無価値だと断じてしまうことすらあり得るだろう。それは、あまりにも灰色の人生なような気がした。
「悩むことや痛むこと、耐えることが良い事だとは決して言えない。けれど、その全てを否定していいわけでもない……難しいところだけどね。でもまあ、きっとそれが恋ってやつの本質なんだと思うよ?」
「はい……。折角もらったチャンスですから、しっかりと考えてみます」
「無理はしない範囲でね。またちょっと悩みそうになった時とか、辛くなった時とか……もちろん、特に何にもなくても。俺の家を訪れてくれれば話し相手とちょっとしたお菓子は出すからさ」
「―――ありがとうございます!」
淡く微笑むマツリさんにそう答え、いい感じの温度になったジャスミンのハーブティーを飲み干す。
よーし、カルアさん―――そしてまだ出会っていない、けれど何れ出会うことになる恋敵のオノセトラさん!
私、負けませんよ!確かに私はまだまだ子供だけど、カルアさんを好きだった年月でいえば誰よりもずっと長いんだから……!
「私、頑張りますね!」
「その意気だよ、フィリちゃん」
「ハーブティーとケーキ、ご馳走様でした。それでは……今日はこのあたりで失礼しますね!」
「あ、もう暗いよ。送るから」
「いえ、今はなんだか走りたい気分で―――あ」
もしかしてこれはまた空を飛んで送ってもらえる機会を逃したんじゃ?
「そっかあ。じゃあまた今度ね」
「あ……あ、はい。よろしくオネガイシマス」
気が付いた時にはすでに遅し。
マツリさんは納得してしまい、見送りをするためにソファーから立ち上がっていた。
今度は空を飛ぶ感覚を味わうぞ、と胸に秘めつつ玄関へと移動する。
……今度は、夢の中じゃなくて本当の玄関だ。
あの予知夢の中はあまりにも本物みたいで、きっと何度味わっても私じゃ夢なのか現実なのか看破することは出来ないんだと思う。
ただ、一つ言えることはマツリさんはもう二度と、あの予知夢を見せることは……見せてくれることはない。
ただ一度の幸福。決定的な間違いをなかったことにしてくれた、まさに奇跡。
うん、私ももうそれ以上は望まない。これから先は、私自身が選び取って、時には痛みを味わうものだから。
玄関で靴を履いて、マツリさんに振り返る。
「また今度です!今日はありがとうございました!」
そして、せめてものお礼と……そういうわけじゃないけど、この家を去るときは笑顔でいる方がマツリさんは喜ぶだろうから。
今の私ができる、全開の笑みを浮かべた。
「―――。うん、また今度ね」
驚いたような表情を浮かべると、美しい笑みを返してくれる魔法使いのマツリさん。
……今日、この出会いはきっと私にとって生涯忘れることの出来ないものになる。
私自身か迎える結末は別として、それだけは間違いなく確信できた。
さあ、恋を実らせるんだ。私自身の力で!
若干暗くなったセカイの中を、息を切らしながら走る。遠くに見える街の明かりに向けて。
私を磨こう。私を魅せよう。大好きなあの人に振り向いてもらうために。
一つ。淡い恋がその始まりを告げた。愛へと向けて。
***
「これで二度目の見送りだね。……良かった、あの夢の結末を悪夢だと思ってくれて」
予知夢は解釈自体でどうとでもなるからね。存外占いの方法としては難しいのだ。
元気に走っていったフィリちゃんに、悪いモノ除けのおまじないだけ軽く、そしてそっとかけてから扉を閉めると、おもむろにキッチンへと移動する。
そして、キッチンの上にある硝子の扉に手を触れ、呪文を唱えるとかちりと開錠の音が響き、緩やかに扉が開いた。
中にある硝子の小瓶……それも、淡く紫がかった赤色の液体を手に取る。
「もし。あの夢を見た後でもまだ愛の秘薬を欲しいと願ったのであれば……」
きっと俺は、この小瓶を渡していたんだろうなあ。
俺は人の人生を強制することはしない。俺がそうしなければ確実に不幸になるという場合は除くけれど、それでも基本的は見守るという立場だ。
本当、人の人生に首を突っ込むのは好きなんだけどねぇ……それだけといいますか、それ以上は出来ない鳥のような体質といいますか。
首を突っ込むことにだけ力を注いでいる感はある。うん、確かに変な人といわれても否定はできないかも……へ、変じゃないよ?
「あの本。魔導書じゃないけれど、書かれている内容は本物だ……やれやれ、誰があんなものを古本屋に売りつけたのか」
あれはこの家にある蔵書のようなもの。魔法使いや魔術師向けの書籍だ。
しかも書かれている内容がかなり専門的なもので、古くからある効果の強力な愛の秘薬についてのレシピが記載されているほど。
普通の人が訪れる場所にあっていいものではない。かといってあちらさんたちは殆どこういった書籍を作らないし、興味もない。
ならば同業者が置いたということに他ならないけれど―――さて、こういった推理は苦手だからね、どうとも言えない。
単純に廃業した魔術師の一族や、寿命を終えた魔法使いとかから流れたものが偶々古本屋へ集まってしまったこともあり得るし。
……どうやら、話を聞くにカルアさんは人やらなにやら、集めやすい体質なような気もするからね。
じゃないと、あんな場所で古本屋を営んでいて潰れないわけがない。
そういう体質だからこそ、ああいった場所で堕落した生活をしているのだろうけれど。
「けど、注意はした方がいいか。シルラーズさんやミーアちゃんミールちゃんに話しておいた方がいいね」
魔導書だけが危険という事ではない。。
知識書もまた、危険なものになり得るのだから……それが振り撒かれたのはその実テロに近いわけで、見過ごせるものじゃない。
所詮ただの魔法使い一人でしかない俺よりは、アストラル学院の学院長であるシルラーズさんや騎士である双子に話をしておいた方が確実だろう。
―――さて、まあそれはともかくだ。
小瓶を戻し、魔法の鍵をかけると、リビングの窓を開ける。流れ込む空気を吸い込むと、小さく呟いた。
「……恋する少女に幸在らんことを」
次回からは本編二章の開始です!