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束の間の恋は解け往く



***






「雨、かあ」


古本屋の窓の棧に頬杖をついて、ジメジメと降り続く霧雨のような、小粒の雨を眺める。

あのデートの日以降、ちょっとだけカルアさんとギクシャクした関係が続いていた。いや……違うか。

勝手にギクシャクしているのは私だけで、カルアさんは憎らしいほど平常運行だった。

―――その理由なんて、分かっているだろうに……と。

私の中で、小さく囁く声を無視して、ちょっとだけカウンターから距離を取ったこの場所でささくれ立った気分が収まるまでじっとしているのだ。


「あれ?」


頬杖から完全に窓に寄り掛かる形になって、窓から伝わってくる冷たさを堪能していると、どこか見覚えのある金色の、細くふんわりとした髪を持つ女性が店の前に立っているのが見えた。

……オノセトラさん?

どうしてここにいるのだろうか。というか、なぜこんな分かりにくい店を訪れたのか。

そんな疑問とそして―――二人だけの場所に、入ってこないでという、醜い本音が漏れかけた。

駄目だ、それを思ってはいけない。なんとかそれを自制し、そして見ないふり聞かないふりをしてから、私はお店の玄関に急いだ。


「オノセトラさん、どうして……その。ここに?」

「あら、フィリちゃん?えっとね、アパートメントの親切な人に、ここならいろんな古本が埋もれているって聞いたのよ」

「そ、そうですか」

「来るまでにちょっと迷ってしまったけれどね。少し濡れちゃったわ……というか、どうしてここに?」


髪を払う仕草をすると、その証拠といわんばかりに水が少しだけ飛び散った。

あ、これじゃ風邪をひいちゃう。タオルを持ってこないと―――。


「ありゃ?……はい、どうぞタオル」

「カルアさん?―――あら、ここって」

「ああ、うちの店だ。ようこそお客さん」


相も変わらず乱雑にお客さんを迎え入れると、手に持ったタオルをオノセトラさんにふさっと投げ渡した。

そのタオルを手に持ちつつ、不思議そうな顔を浮かべている彼女を見て、カルアさんもまた不思議そうにオノセトラさんを見返していた。


「どうしてタオルを?私が来るって今知ったのですよね」

「いや、この雨の中だ。傘を差していても濡れるだろうと思ってね」

「―――あら。カルアさんは優しいのですね。というか気が利くといいますか」

「いやいや、これくらいのサービスは売れない本屋じゃ普通のことさ」


肩を竦めてカウンターへと戻るカルアさん。

そう、この人はとても優しくて、そして―――しっかりと周りを見ているのだ。

それこそを大人の魅力というのかもしれない。とにかくだ、これが私のカルアさんなのである!

ちょっとだけその良さを自慢したくなって、オノセトラさんに話しかけようとしたその瞬間……オノセトラさんが浮かべていた表情を見て、心が凍った。

まるで。まるで恋する少女のような、美しくて触れ難い顔。

しかしその目はじっと伏されていて、妖艶な色気も持っていて―――ああ、そうか。

この人も、カルアさんのことが好きなんだと、理解した。理解して、しまった。

まだ二度目なのに、などと言うつもりはない。私だって普通じゃない恋をしているのだ、一目惚れではないにしても、普通親愛の愛情であるはずのものを恋愛感情として昇華させてしまっている本人なのだから、例えオノセトラさんがカルアさんに二度目惚れをしていたとしても、何ら責められる立場ではない。

……いや。それどころか、本来ならば責められるべきは私なのだ。

だって、私はズルをしてカルアさんの気持ちを引き寄せた。

ああ。そうか。そうか―――カルアさんの、あの時の顔は、表情は。そういう意味、だったのだ。


「……?フィリちゃん、どうかしたかい」

「い、いえ。なんでもないです。本当に、何でもないんです」


マツリさんに渡したあの本曰く、愛の秘薬の持つ効能は本当の恋をしたときに失われてしまうらしい。

それこそ、まさに夢が醒めるように。

その醒めてしまった夢が、果たしてどちらにとっての夢なのかは分からないが―――。

ううん。悪夢が醒めるか、幸せな夢が終わるか。その程度の差でしかないんだろう。


「あら、顔も赤いわ?熱でもあるのかしら……私でよければ看病するけれど……?」

「大丈夫ですよ。なんでも、ないんです」

「でも、目も充血しているし……」


オノセトラさんは心の底から私を心配してくれているってことは、分かっている。

私の顔はきっと、かなり酷い顔をしているはずだから。吐きそうな、怒り出しそうな……そして泣きそうな顔を押さえるのに必死過ぎて。

そう。オノセトラさんが私に向けてくれている感情は心配からくるもので、悪気なんてものは欠片もないって分かっているけれど、それでも―――その顔を、私に向けないで。

嫌なの、見たくないの……私よりもずっと綺麗で、上を目指していて。

なによりも、本人が持つ輝きだけで、私が心の底から欲しいものを奪っていってしまうその在り方が、私の心を傷つけるから。


「フィリちゃん、最近調子悪そうだったよね。折角だから見てもらうといいんじゃないかな」

「ッ!カルアさん……」


本当に鈍感だよ、あなたは。

私は調子が悪かったわけではなくて、ただ。

単純に、もう幸せな時間が終わるという事実を、知らないふりしていただけなんだ。

そう理解してしまえば、呆気なく全てが崩れていく。カルアさんは鈍感だってことも本当は違うのだろう。

単にカルアさんにとっては、私は―――恋人と思えるような人じゃなかっただけ。

路傍の石の名前なんてわからないし、考えたこともないように、恋人として考えられない人の恋愛感情を知ろうだなんて思わない。

思い至るわけが、ない。

カルアさんが鈍感なわけではなくて、私に、私に魅力がなかっただけなんだ……っ!!


「胃に優しいもの位なら作れるわ、任せ―――」

「いいですからっ!!…………っ、ぁ……」


否定の言葉を口に出してから気が付いた。

思わず口から出てしまったその大きな声に、二人は固まっていた。


「えっとごめんなさいね、フィリちゃん……怒らせるつもりじゃなくて」

「あー、えーと。なんだ、オノセトラさん……うちの子がすいません。いや、フィリちゃんもそんなに嫌がったわけじゃないと思うんだが……」


横目で私を見るカルアさんの視線に、申し訳なくなってしまって眼を伏せる。

また迷惑をかけてしまった。いや、きっとこれからもずっと迷惑をかけてしまうことになるだろう。

―――このまま、私なんかが偽物の恋人でいる限りは。

もう全て、私が知りたくなかった事実を塞ぐ壁は壊れてしまっている。夢の終わり、呪われた愛の秘薬の結末はすぐそこにあった。


「オノセトラさん…………そして、カルアさん……ごめんなさい」

「いや、僕には全然謝らなくてもいいんだけど―――フィリちゃん?」


一歩、入り口に近づく。

カルアさんが伸ばした指から逃げるように。


「待って、フィリちゃん、どこへ」

「本当に今まで、ごめんなさい。―――やっぱり、私なんかじゃ駄目だったんですね」

「どういうこと、かしら……?」

「待つんだ、話を―――」

「今までありがとうございました、分不相応なとても、とても幸せな夢でした……そして、さようならです。どうか、どうか……」


幸せに、という言葉は最後の意地なのか口に出すことは出来なかった。

古本屋の扉を開けて、強さを増した雨の中を駆けだす。

私のその姿に手を伸ばして、待ってと呼びかけるカルアさんの声をわざと無視しながら。

………もう、きっと会うことはないのだと思います。

私の初恋、手に入らなかった愛しい日々。

それを象徴するこの古本屋に、永遠に別れを告げないといけないのだ。それがズルをした私の十字架だから。

永遠に背負い続けらければならない、重い呪いなのだから。


「はあ……ぁ……」


街の中をどれほど走ったのだろうか。

流石に息が切れてしまった。足もうまく動かずに縺れ始めている。

きっともうすぐに転ぶだろう。それでも、私は少しでもあの場所から逃げたくて走り続けている。

違うなあ、あの場所じゃなくてあの二人から距離を取りたかったんだ。

運命の紅い糸というものがあったとして、それに本当に小指を結ばれた二人同士の間になんて居たくなかったから。

だって偽物の赤い色の糸を結び付けた、ズルくて非道な手段を取ったお邪魔虫だって、知られたくなかったんだ。


「醜いなあ、私って……」


達観していってみるけれど―――心の中に空いた空洞は塞がらない。

その程度で塞がるのであれば、そもそも最初からこんな手段なんて取っていない……。

嫌だなあ、離れたくないなあ。

もっと好きだって言ってほしかったなあ。抱きしめてほしかったなあ。

キスをして、一緒にご飯を食べて、一緒に眠って。

やがて歳を取って、子供を産んで、そして育てて……見守って。

子供が一人前になったら二人でゆっくりと老後を過ごして、最後には二人で一緒のお墓に入って―――そんな物語を夢想したのに。

やっぱり私じゃ駄目だった。

子供だから?魅力がないから?美しくないから?

……だから、駄目なの……?


「じゃあさ……私は、どうすればよかったの?この恋心に、初恋に―――どんな決着をつければ、よかったの……?」

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