秘め続けた思い、そして密やかなるその薬
鞄を置き、小瓶だけを取り出して店の奥にある生活スペース、その調理場に移動する。
魔道具である冷蔵庫を開いて、何があるかを見定める。
……いや、何もないじゃんこれ。できてリゾットくらい……はあ。
ため息をついて、食材を買い足しておくように言っておかないとと脳内にメモする。
ともかくは今作れる唯一の料理である、リゾットの作成に取り掛かることとした。
ぽとりと一滴。
小瓶の中の液体が、そのリゾットの中へと注がれたのは―――当たり前のことながら、私以外に知る人はいなかった。
***
「うん、相変わらずおいしいねぇ」
「え、えへへありがとうございます」
少々の罪悪感と期待感が入り交じり、混沌とした心持でそう答えた。
しっかりと返事できただろうか、違和感はなかっただろうか。背中が汗をかき始めている……かなり、冷静じゃなくなっている。
―――あの本によれば、愛の秘薬を入れた食べ物をその当人たちのみで食べることで魔法は発揮されると、そう書いてあった。
これでいいはずだ。これで……。
「……本当にフィリちゃんも、随分と成長したものだなぁ」
「え、はい?」
「はは、いつの間にか随分とこんなに綺麗になってしまって。おじさんみたいな古びた人間からするとそれだけすぐ変われるっていうのはうらやましいような、怖いようなって感じだよ」
淡く笑うカルアさん。
愛の秘薬は確かに、愛を必ず引き寄せるという効果を持つものだ。けれどその効果の対象は結局のところ人間の心という不安定で曖昧なもの。
魂や心、感情と肉体などは密接に関係があるため、一夜の夢を繋ぎ止めるつもりでないのならば、急激な変化が起こるというわけではないのだ。
つまりは、最後の最後は自分が勇気を振り絞ってものにしなければいけない―――ってこと。
気合を入れるのよ、フィリ。今このチャンスを逃せばもう、私には……この人に振り向いてもらう機会はないんだから!
「カルアさん!」
「え、うん?どうしたんだい、そんないきなり声を上げて」
口にスプーンを放り込んだまま、少し間抜けな格好のカルアさんの手を無理やり取って、私の胸元へとあてる。
「ちょちょっ!?」
「私がカルアさんを好きだってことは本気なんです」
―――顔が火を噴きそう。
こんな大胆なこと、同性にだってしたことがない。ましてや異性の手を胸に押し付けるなんて、普通なら絶対やらない。
まだ大人の恋愛っていうのがよくわかってない私でも、こういうことは恥ずかしいというか、すでに恋人同士でもなければやらないことのはずだ。
でも、こうしないと……この人は気づかない!
「子供の感情なんかじゃありません。……一人の女として、好きなんです」
「え、え?」
本当に愛の秘薬が効いているのだろうか?
いや、マツリさんの薬だ、きっと効いているのだろう。だって私がカルアさんを思う気持ちは、欲しいと願うその気持ちは先程までよりもずっと強くなっている。
だからそう。単純にこの人が鈍感すぎるだけなのだ。だからもっと、恥ずかしさを胸の奥に無理やり押し込めて、今度は無精髭の顔に手を伸ばす。
頬を掴む。そして……そっと唇を奪った。
こういうのって、普通は向こうからしてくるものじゃないのかな。でもカルアさんはこれだけずっといても、そして好きだといっても襲ってこなかったわけだし奥手……というより、やっぱり私は子供として扱われていたのだろう。
その認識を壊してやるんだ。これだけのことをすれば、私の思いを間違えるなんてことは絶対にない!
「ん、ンッ!!」
「……うん」
くぐもった返事が聞こえると、次に私の頭に大きな手が載せられたのが分かった。
引き剥がされる……そう思ったのだが、手は逆に私の頭を優しく押した。
そのままそれは抱擁になって―――たまに街中で見る、仲睦まじい恋人の姿と重なった。
口づけもまた、ついばむようなものではなく、深い関係を持つ者たち同士でやる、絡めあうようなものへと……。
恋愛物の本でしか見たことがない行為を、自分がしている。それも、ずっと好きだったあの人と。
心の中に、今まで感じたことのない幸福感と、そして……自分では気が付かないほど微かな痛みが襲った。
「ぷは……はあ……」
「そっか。そうか。本当に大人になったんだねぇ、フィリちゃん」
肩を上下させるほど私は息が切れているのに、カルアさんは感慨深そうに私を見るばかり。
なんか、やっぱり年上の男の人なんだなって思った。
慣れているというか……そりゃあカルアさんだって昔は恋人だっていただろうし、私よりずっと経験豊富なんだろうけれど。
ちょっと複雑だ。ちなみに今は恋人のこの字も聞かない。
だからこそ、好きだってあれだけ連呼していたんだけれど。
「フィリちゃん」
「私は!カルアさんになら、何されたっていいです―――全部、私の全てを奪っても構わないんです!」
「……女の子に、ここまで言われちゃあなあ。男として断れないじゃない」
服の上着をずらして肩をはだける。
そうだ。私はこの人にだったら、初めてを捧げても―――。
「―――ッ!!」
小さく足音が聞こえて、視界の中に大きな手が二つ。
それは私の背中をやんわりと包むと、今度は自分ではなくて、向こうの方からとても優しい口づけがやってきた。
二回目のキスはきちんと味が分かった。リゾットだ。自分で作ったリゾットの味。
もちろんリゾットそのものよりは薄いけれど、こんなものが初めての味でいいのだろうかと思った。
というか、こっちがそう感じているのならカルアさんも同じ味を感じているのではっ!
ああ、こうなるんなら香りのいいハーブでもマツリさんに一緒に頼んでおくんだった!
「覚悟は、いいのかな」
「……!もち、ろんです」
耳元で囁かれた低い声にぞわっとした。
恐怖からくるものではなくて、期待からくるもので―――そして。
手をつないだ私たちは、古びた本屋の奥の部屋へと、ゆっくりと消えていった。
食べかけのリゾットその場に置いて。
***
「そういうわけでして―――其の節はどうもありがとうございました!」
「ううん。礼を言われるようなことは何もしていないよ」
あの、密かな情事があった日から、数か月が経過していた。
早いものであっという間の出来事だ。
まるで夢でも見ているかのように、幸福な時間が一瞬で過ぎ去っていくのは、怖いようなけれど、次に訪れるものを知れるのが楽しみなような。
そんな不思議な感覚を味わわせていた。
「うん、何も、ね……」
「マツリさん?」
「いいやーこっちの話だよ。新しい依頼とかあってね?」
まあ、そうだよね、マツリさんは愛の秘薬を作り出せるほどの腕を持つ魔法使いなのだ。
依頼だってたくさんあるだろう。まさに千客万来な人だ。
恋のキューピットになったことだって幾度もあるのだろうなぁ。
それにしても、本当に美人な人だ。一番最初に出会ったとき思わずその美しさに同性ながら見とれてしまったほどだ。
淡く光り放つような白い髪は、きっといつも手入れをしているのだろう。
出会ったころと同じ長さで整えられている。宝石のような緑色の瞳も、それが最も華麗に映える顔だちも、老いどころか普段の手入れ不足も感じさせないのは羨ましい限りだ。
……マツリさんくらい美人だったのならば、カルアさんももっと早く、振り向いてくれていたのだろうか。
それこそ愛の秘薬なんて使わなくても、よかったのだろうか。