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漂うは茉莉花の―――

表玄関が閉まり、フィリちゃんの残り香も消えて。

あたりに漂うのは、ジャスミン―――茉莉花の香りだけとなった。

手に持ったカップに入っている、その香りを生み出すそれを少しだけ飲んで、つぶやく。


「行っちゃったか。……なるべく君の夢が、いい結末を迎えることを祈っているよ」


と。そんな結末など訪れることはないと知りながら、それでも願った。

―――どうかこの世界の中で、彼女が一つ学べることを、ね。

帽子は脱がず、ソファーに再び座る。

さあ、待とう。再び(・・)彼女が俺のもとへと訪れる、その時を……。





***






「はぁっはぁ……!!」


すごく体が軽い。とてもいい事があったからだ。

手の中に納まる小さな小瓶を、大事に握る。優しく、けれど落とさないように。

ポケットからハンカチを取り出すと、しっかりと包んで鞄の中へと入れる。


「これで……これで」


あの人を、振り向かせられる。

……うん。わかっているんだ。

あの魔法使いのマツリさんが言っていたように、この薬を使った恋は所詮は偽物なんだってことは。

それでも、私は。どうしても、あの人を振り向かせたいんだ。

だって、そうじゃないとあの人は―――私のことを小さな子供だと、相手にしてくれないから。


「髪だって、最近伸ばしてるのに」


気づきやしないんだから。

あの人にとっては私はいつまでも子供で、妹か娘かそんな扱いでしかない。

好きだといっても、冗談か親愛の意味での好きとしか思われなくて。恋をしているだなんて、意識の範疇にはないのだろう。

……いやまあ、面と向かって告白まではしていないんだけれど。

結果、わかっちゃうし。どうせ断られるんだ。

私のためを思って、だなんて言ってさ。

失礼しちゃう。私の幸福は私が決めるんだ。私のことを思っているのならばただ―――頷いて、そしてその大きな手で抱きしめてくれればいいのに。


「……ふう。戻ってきた」


マツリさんのお家は結構街から遠い。

運動は得意な私でも、ずっと走り続けていたら息切れしてしまうほどに。

街中を歩きながら、息を整える。

大通りのケーキ屋さんのショーケースの硝子に映る自分を見て、ちょっと乱れてしまった髪を直しつつ、目的地へと歩く。

ああ、あのケーキおいしそうだったなぁ……。涎が垂れそう。

あれ?でもさっきのケーキってマツリさんから頂いたものと同じやつもあったような。

もしかしてあのお店の物を買ったのだろうか。

あそこのお店はこの南大通りの中でもかなりの人気店で、手作りされたケーキはとてもおいしいと有名なのだ。

仲のいい、姉妹のような女性二人が営んでいるのだが……最近ますます二人の仲がいいらしいとは、風のうわさで聞いたことがある。

まあ、女の子同士だし姉妹のような関係となれば、少しくらい踏み込んだスキンシップというのも増えるだろう。増えると、思う。

鞄の中の小瓶に手を触れながら、大通りを右折して小さな裏路地へと入る。

喧騒が一気に遠ざかり、急に一人になったような感覚に陥った。

……この異世界に入ってしまうようなこれ、実は嫌いじゃない。

だってこの感覚は、あの人に会えるという証拠だから。


「……、よし!」


裏路地の小さな古本屋の前に立つ。

ドアノッカーのない木製の扉にどことなく適当につけられた、扉と同じ材質の木を使った取っ手を掴むと、押して中へと入る。

ドアの上のほうに付けられたベルが小さな音を立てて、来訪を知らせた。

もはや店主ですら店の名前を覚えていない古本屋。迷路のように本が積み重なり、本棚が所狭しと並ぶ店の中を迷うこともなく進むと、カウンターにだらしなく座る、無精髭を生やした男の人が現れた。


「お、フィリちゃん。いらっしゃい」

「カルアさん、座り方だらしないですよ」

「おっとこりゃ失敬。……よいしょっと」


濃い茶髪の髪に、長身痩躯。

目元は老いを感じさせるが、かつては美形だったことを窺わせる、綺麗な目。

そして漂う煙草臭さ。

この本屋の黴臭さと煙草臭さにはもう慣れた。というか、これこそがこのお店だと、そう思っているほどだ。

……それくらい、この古本屋とこの人―――カルアさんとは長い付き合いなのである。

まだ私が赤ん坊のころから、この人とは会っていたらしい。物心がついた辺りの記憶でも、カルアさんと遊んでいた思い出がある。

どういう関係なのかといわれると、少しだけ悩む。

親の知り合いというのがそもそもの始まりだったのだが、親が世界を旅する行商人であったが故に、私は子供時代のほとんどをカルアさんを親として過ごした。

親は行商人という職業を、自らの趣味として気ままにやっているために偶にしか私のもとへ帰ってくることはなかった。

いや、愛情を感じていないわけではない。毎回面白いお土産をたくさん買ってきてくれたし、旅のお話をせがむととてもたくさんの話をしてくれた。

あれはあの人たちも率先して話したかったのだろうが、私も聞きたがっていたのでどっこどっこいである。

それはともかくとして。あの両親の血は私にも流れていて、子供ながらにやんちゃを繰り返す私の面倒を常に見てくれて。そして何かあったときに真っ先に駆けつけてくれるのはいつもカルアさんだった。

例えば、迷惑をかけたときに頭を下げてくれたり……当然、そのあと滅茶苦茶怒られたけれど……怪我をした時など一番最初に私を見つけてくれたり。

何から何まで、カルアさんがいてくれたから今の私があるのだ。

―――そんな人に、恋をするのは当然のことだよね?


「もうお昼ですよ。……何か作りますね」

「悪いね。最近じゃあもうフィリちゃんのほうが全然料理上手くなっちまったねぇ」

「これくらい女子なら普通ですー。でも私、カルアさんの料理も好きですよ?」

「はっはっは、こんなおじさんの適当飯でも喜んでくれるならうれしい限りだよっと……うーし、店閉めてくるわ」

「え、いいんですか?」

「どうせこんな路地裏の寂れた本屋に来る人なんていないさ。いたら奇人変人、あるいは魔法使いか魔術師の類かねぇ」


魔法使いという言葉に肩がぴくんと震える。


「カルアさんは、魔法使いにあったことがあるんですか?」

「うん?……まあ、ものすごく昔になぁ。あいつは今どこで何をしてるやら」


思わず口から飛び出た、お茶を濁すような問いかけに軽く答えると、小さなベルの音を響かせて扉の外にある”営業中”の看板を中へと引き入れた。

そして鍵まで閉めてしまう。

……これもう、お店を再開するつもりないよね。

いつもながら、この人がどうやって日々暮らすためのお金を稼いでいるのか、不思議でしょうがない。

何年も一緒にいるけれど、未だに分からないのだから本当に謎だ……。


「まあ、いっか。それよりご飯作らないと」


―――この愛の秘薬を、使うために。

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