愛を運ぶその薬
「はいどうぞー」
「わあ!チョコケーキですか?!大好きです」
「あはは、それは良かった。はい、フォーク」
「どうもです!」
こう顔を輝かせる様は本当に少女らしい。
俺もつい顔をほころばせ、楽しげにケーキを食べる少女を眺めていた。
そして。小さな欠片まできれいに食べ終わると、しっかりとフォークをお皿に斜めに置いて、
「ご馳走様でした!」
と。しっかりと言ったのであった。
「あ、すいませんっ!つい食べるのに夢中になってて……」
「ううん。いいことだよ。成長期なんだからしっかりと食べないと」
特に、フィリちゃんの食べている姿は見ているとなんというか、幸せになれるからね。
……さて、どうやら緊張もしっかりと解れたようだ。
丁度良く一息ついた形にもなったわけだし、ここで本題に入っておこうかな。
「じゃあフィリちゃん。……あなたの悩みを聞きましょうか」
小さく笑みを浮かべ、首を少しだけ傾げながら―――目の前の少女にそう問うた。
「森の魔法使いさん。私は、その。あの……」
「うん」
口ごもるフィリちゃん。
何かしら言いにくいことなのだろう。そういうこともある。
人間だからね。そして魔法使いの薬は調合次第によるけれど、様々なことに効果がある。
だからまあ、ちょっと言いにくい箇所の傷薬とかね、欲しがる人も要るらしいですよ?
俺のところにはまだそういうお客さんは来ていない。そもそもの絶対数がないともいう。
「初恋を、したんです」
「―――え、あ、う……うんっ!」
帽子がずり落ちた。
……え、初恋ですか。初恋って、あれ?甘酸っぱいやら苦いやらよく分からないと噂のあれですか?
「魔法使いさん?」
「マツリでいいよ……そっかあ、初恋かあ……」
恋愛相談は、苦手だなぁ。
誰かの恋を見送ったことはあれど、自分自身が恋を体験したことはまだないから。
分からないものは教えようがない、当然のことである。
知識さんも流石に恋愛観とかについては分からないでしょうし。人の感情までわかったのならば、俺の頭の中には長老様みたいな、神様の一柱が存在していることになってしまう。
「えっと、それで、ですね。マツリさん―――恋を、実らせる方法を知りたくて……」
「ううむ、なるほど」
実らせる方法といっても、たくさん手段はある。
魔法的な方法から、普通に恋愛をするための方法までね。
けれど、それは外部の存在がどうにかするものなのか……?いや、仲介人とかが間にいて実る恋もあるし、そういうのはありといえるか。
しかし、だ。困ったことにフィリちゃんの恋愛対象は男性の筈で。
で、俺は男です。精神はね。一応ね。
なので女性目線になって恋愛のアドバイスっていうのは難しいのだ。男視点ならば行けると思う。多分、まだ行ける、はず。
クセっ毛をくるくると指に巻き付けながらあれをこれをと、そんな風に考えていると、フィリちゃんのバックの中から一冊の古びた本が取り出された。
……あれは。
「自分でも調べてみたんです。この本に載っているこれ……この薬があれば、確実に好きな人を振り向かせることができるって!」
「―――愛の秘薬」
「はい!レシピも載っています!……えっと、私には全然読めない文字なんですけどね」
「フィリちゃん。その薬の効果と意味を、知っているのかな」
えへへと、笑みを浮かべる少女に向かって、そのように問うた。
愛の秘薬。使用すれば瞬く間に人間の心を自分のほうへと向けることができる、恋を強制的に成就させる、魔法の薬だ。
神話でも英雄譚でも叙事詩でも詩編でも。様々な場所に登場し、そして事件を巻き起こすそれの意味を。効果を。
君はわかっているのだろうか―――?
「えっと?言っている意味が正直……」
「そうだよね。うん―――その薬はね、確かに恋を成就させる。けれど、それは永遠のものではないんだ」
そう。この薬は恋に関する願いをかなえるが、恋は恋で終わってしまうのだ。
愛の秘薬などと名付けられているくせに、恋が愛へと変容するその前に、この薬はその効果を失ってしまう。
あまりに。短い人の一生から見てすらもあまりに短い時間しか、薬はその効果を発揮しないのである。
しかも、他人をその薬で振り向かせられるチャンスは一度だけ。二回目は存在しない。
「それを作り出すことはできる。けれどね、俺はそれを与えることはできない。不幸を生み出すものを、知っていて渡すなどということは魔法使いとしてあり得ないから」
「えと、でも……」
「はっきり言わせてもらうね。その薬を初恋の相手に使ってしまったのならば、君は必ず不幸になる。だから、考え直すべきだ」
―――シグルドリーヴァの言葉。あるいは、トリスタン・イズー物語。
どちらも狂った愛によって英雄は最後を迎える。まあシグルドの場合は記憶の喪失に関することではあるのだが、結果的に愛の狂想をもたらしたという点では同じだ。
そのような英雄ですらも、その秘薬による呪いのような結末からは逃れえなかったのだ。
其れゆえの、否定。それが故の、留める言葉。
だが……。
「それでも……たとえ不幸になるってわかっていても!たったの一時だけでもいいから、あの人の想いを、受け止めたいんです……!」
「そっか」
恋する乙女の心は、変えられなかった。
うん、正直に言えばそうなるだろうとは思っていたんだ。やれやれ、そこまで想われる人の顔が見てみたい。
その人は、フィリちゃんの心に気が付いているのだろうか。
愛の秘薬を欲しがるほどに自分を好いているのだと、わかっているのだろうか。
まあ意味のない考えだよね。
無駄な思考を吹き飛ばすように小さく頭を振ると、帽子に手を当ててそっと息を吐いた。
一拍おいてから、フィリちゃんに視線を向ける。
「とりあえず……もう一杯ハーブティ飲む?」
「……。……え?あ、はい。いただきます」
「うん。待ってて。―――ついでに愛の秘薬も、持ってくるから」
「あ!ありがとう、ございます!」
ポッドにハーブを詰めて、お湯を注ぐ。ついでに小さな小瓶をとると、一緒にテーブルへと持って行った。
軽くポッドをゆすり、しっかりと香りを味をハーブから引き出すとティーカップへと移す。
一つを手に取り、それを……俺と同じ名前を持つジャスミンの香りが立つティーカップをフィリちゃんの前へことん、と置いた。
赤色の液体が入った小瓶と一緒に。
「それが愛の秘薬。恋を成就させる、魔法の薬。さあ……持って行っていいよ。俺は不幸は望まないけれど、恋をするのもそれを強く願い、求めるのも人の摂理、営みだから」
否定をすることは、できない。
最後の訪れる結末を理解していて、それでもなお求めるというのであれば……俺はその手段を差し出すしかないのだ。
じっと小瓶を見つめると、フィリちゃんはティーカップの中身を急いで飲み干して勢い良く立ち上がった。
待ち遠しい。やっと願いが叶う……そんな思いが先行しているのだろう。
「助かります!それでその、お礼というかお金はどうしたらいいでしょうか……?」
「その本でいいよ。それを置いて行ってくれれば、それでいいから」
「え、でもこんな古い本で……」
「大丈夫。意外と価値があるんだよ?それ」
「そうだったんですか!」
古びた本を顔の前に持ってくると、香りを嗅いでいた。
いやー、相当嗅覚が鋭くて、そして魔法使いとしての素質がないと匂いを嗅いだだけでは価値があるかどうかはわからないと思うけどねー?
案の定というか、まあ当然のごとくよくわからないと頭が傾いていた。
そりゃそうなります、うん。
「じゃあ、おいていきますね……?ここでいいですか」
「うん。―――それじゃあね」
「はい!」
俺もティーカップを手に取ると、玄関へと急ぐフィリちゃんの後を追いかける。
慌ただしく靴を履き、そして振り返ると少女は元気いっぱいのかわいい笑顔で、こういった。
「ありがとうございました、とても綺麗な魔法使いさん!!」
***