アリエッタ
ひとしきり紅茶に満足すると、今度はケーキを頂く。
「~~~!ふぁ……甘い……しあわせ……」
「あら。そんな蕩けた顔してくれると作った甲斐があったわ。―――マツリちゃんって、とても美味しそうに食べてくれるのね」
「はい、とても、とってもおいしいです!」
甘ったるくなく、十分なふわふわ感。最初の一口目で舌に広がる柔らかな味と、最後に効いてくるリキュールの風味。
地球のケーキ屋さんなら間違いなく有名店になっているレベルだろう。値段も高そう。
甘味好きとしては堪らないなぁ……。
自分でお菓子を作るのはちょっと苦手なので、上手く作れる人は羨ましい。
「ふう……ご馳走様でした!」
「はい、お粗末様でした」
まさに大満足。
ちなみに俺は最後に一口分の飲み物を残しておいて、全て食べ終わった後にそっと口に含むのが好きだったりする。
甘い後味をそっと溶かし、けれど混ざり合い調和するというあの感覚がなによりもいいのだ。
「付き合ってくれてありがとね」
「いえいえお礼を言うのは俺のほうですし。また来ますね?今度は普通のお客さんとして」
「ええ、是非!」
「……っ」
両手を握られ、鼻が触れ合うほどの距離にまで詰められた。
おおう……顔が近い…。
綺麗な瞳。本当に蒲公英みたいな人だ。俺は美人さんどころか普通の女性に対して耐性がないので、例えばシルラーズさんやミーアちゃんミールちゃんに接近されるとどうしてたじたじになってしまうのだけれど。
何というか、エリーナさんの場合はこういう行為も親愛の情のみで構成されているのかというほどに当たり前で、自然なものなので、照れはするけれど顔を逸らしたくなるような感覚は薄いのである。
いや、でも直視するのは流石にちょっと恥ずかしいのですけれどね!
「―――ん」
窓越しに小さく気配を感じた。
俺は暗殺者でもないし戦士でもないから、単純な殺気とかは認識できない。
故にこの感覚は魔法的なものだ。
思いっきり顔を向けては勘づいていることに気が付かれてしまうだろうから、手を握られたまま横目で窓の外を盗み見る。
街を行く雑踏の中、薄い水色のワンピースを着た可愛らしい女の子が、こちらをじっと見ていた。
顔は麦わら帽子のせいで全ては見えないけれど、少女特有の表情が少しだけ覗いていた。
―――あの帽子、エリーナさんの物と一緒だ。
巻いてある帯の色が少し違うけれど、なんというか……同じ感覚が、香りがする。
少しするとその少女はぷいっと顔を逸らし、人混みへと紛れてしまった。
「じゃあそろそろ行きますね?ありがとうございました、エリーナさん」
「ええ。……あ、今度はアリエッタも紹介するわね。もう一人の従業員で、私の妹みたいな子なんだけれど」
「アリエッタさん、ですね」
「きっと仲良くなれると思うわ?同じくらいの年齢なのよ」
「あはは、そうだとうれしいです」
性別、本来だと俺は男なんですけどねー。
まあ趣味思考と性別、そして気が合うか合わないかは比例も対称もしないので、それらはあった時に考えましょう。
……多分、そんなすぐに仲良くという事にはならなさそうだけれどね。
苦笑が少しだけ、エリーナさんにばれない程度に混ざった笑顔を浮かべてクーシェ・ド・ソレイユの扉を潜る。
「それではまた」
***
「アリエッタさん。俺と同じくらいの年齢か」
魔法使い帽子を深くかぶって、身を覆う認識阻害の魔法を少し強める。
これで街の住民の皆さまは無意識に俺を避けてくれるはずだ。
シルラーズさんとか、俺と関係の深い双子なんかは見えるはずだけどね。あとプーカとかのあっち側の方々とか。
「こっちに行ったよね、あの子」
水色ワンピースに青色の帯の麦わら帽子。エリーナさんにそっくりな服装のあの少女。
魔力は感じられなかった。けれど、変わった気配は感じた。
ならば調べてみる価値はあるだろう。
魔法使いにとって”感じ”とは信頼に値するものなのだから。第六感という言葉があるようにね。
さて、ではではもう一度ヤロウのハーブにご活躍を願うとしましょうか。
「『お前は木の槌、愛の槌。花輪に茎の葉道しるべ!』」
手に持った杖から白色の煙が放たれる。
それは一度俺の周囲を漂うと、ふわりと周囲へと拡散し、そして細い縄のような、或いは糸のような道を作りだした。
会いたい人に合わせてくれるハーブ。
そういった効果もあるこのハーブは、気になっている人の注意を引く為にも使われるのだ。
という事で魔力を籠めて道案内のための魔法としました。
……単純に探すだけならばもっと簡単な方法もあるけれど、それは前提として相手と戦いになる可能性があるものだ。
話に聞くアリエッタさんという女の子は、悪い子じゃないのだろう。
何せ蒲公英のようなエリーナさんがあそこまで気に入っている女の子なのだし。
そんな人に対して、無理やりに居場所を暴くような魔法はあんまり使いたくない。そもそも目立つし。
この魔法はなんとなく出会う方へと案内するだけのもの。強制的に見つけ出す発見の魔法ではないのだ。
「ま、プライベートを暴くという観点ではあんまり変わらないかもしれないけれど」
そこは俺も仕事ですし、多少は大目に見て欲しい。
エリーナさんの周囲に在る影を放っておいてしまっては、少なくともいい結末にはならないだろうから。
どちらにとっても、ね。
雑踏に紛れつつ煙の糸を追う。
糸は進む俺に触れると蝶になって霧散する。その羽ばたきが開けた時、眼前にはなんとも懐かしい場所が存在していた。
「ここ、俺が一番最初に来た広場……」
即ち、転生……転移?
まあいいや。うん、つまりそれをした後に、気がついたら佇んでいた場所であった。
うーん、懐かしい。あの頃はまだきちんと男の姿と思考をしていたよね……今?知ーらない。
「あ、あの時のお兄さんだ。また籠にオレンジ詰めてる」
もしかしてあの人はオレンジ農家なんだろうか。
俺がこの身体になってから実際のところそこまで大きな期間が空いたわけでもないし、もしもオレンジを作る農家さんなのであれば今日も籠にオレンジを詰めているのには納得がいく。
いや推測だけど。こんなふうに考え込むならあの時にでもなんでオレンジを大量に持っているのか聞いてみるべきだったかな。
興味が沸いたら即質問の俺にあるまじき失態だ。……あの時はそれ以上に世界に対しての疑問があったから仕方ない、かもしれないが。
どちらにしても今の身体ではもう初対面であるし、そもそもこの身体は千夜の魔女にとても似通っている。
あんまり人前に姿を現すわけにはいかないのだ。
「という事で挨拶は今度にして……あの女の子を追いかけるとしましょうか」
煙の糸はすべて消えていた。それは目的の場所へとたどり着いたという事。
―――アリエッタさんは、少し前の露店で果物を購入しているところであった。
結んで輪を作った布の中に買った品物を入れて、割られた銀貨を数枚支払う。それは何処にも昏い影などない、ただの日常を歩む少女の姿であった。
けれど。だけど、彼女には。彼女も気が付いていない、他者とは違う箇所が一つだけ存在していたのだ。
「なるほど。……やっぱり人間の無意識っていうのは恐いよね」
うん、一目見れてよかった。
エリーナさんの感じる気配の原因の一端を理解することができたから。
では今日はここまでだ。
確かに魔法を使えばこの状況を無理やりにでもどうにかすることはできるけれど、それは根本的解決にはならないのだから。
対症療法には必ず限界がある。あの影を今だけ消しても無意味でしょう?
だからこそ、その原因こそに魔法をかけるのだ。でもそのタイミングは今ではないから。
そういうことで今日は帰るのである。
「んぅ~、依頼っていうのは難しいなぁ」
人同士の難しさ、その一端を味わいつつ、街をゆっくりと歩いて帰途を辿るのであった。