エリーナの悩み事
手に持ったカップを再びテーブルへと戻し、お姉さんの顔を見つめる。
「それじゃあ、まずは……あ。お名前聞いてませんでした!」
依頼の内容を聞く前にもっと大事なことがありました。
そもそも、自己紹介自体してないよなー、と思い至り。
ぐぬ、やっぱりまだまだこういったものに慣れていないため、対応が上手とはいい難いなぁ……。
魔法使いとして生きていくには、接客スキルも重要なのか。精進せねば。
「先に自己紹介を―――俺はマツリです。魔法使いやってます」
冷やし中華やってます見たいなノリで魔法使いやってますって言っちゃったけど、これでいいのだろうか。
誰にも答えは分からないし、いいか。
「私はエリーナよ、よろしくね。ええと、マツリ……ちゃんでいいのかしら?」
「あはは、なんでも大丈夫です」
俺という一人称は消えていないので、ちょっと不思議がられたみたいである。
まあそうだよね。見た目女の子なのに、俺という一人称だとあれ?という感情を浮かべるのは当然だ。
俺っ娘なんてそもそも現実にはほとんどいないわけですし。
でも流石に、女性的思考に染まってきているとしてもそこだけは譲れないのです。自己同一性の最終防衛線というやつなのです。
「じゃあマツリちゃんって呼ぶわね。……それで頼みたいことなんだけれど―――」
うん……少しばたばたしましたが、これで。
俺の魔法使いとして、身内以外から受ける初めての依頼が始まった。
***
「気配ですか?」
「そうなのよ。最近ずっと誰かに見られている気がして……」
それはつまり、ストーカーという事なのでは?
空になったカップを置いて、少し考え込む。
さて、魔法使いや魔術師は確かに争い事もできるにはできる。俺だって基本はあまり荒々しい性質を持たない薬草魔法を使っているといっても、香りだけでも調合を変えれば危険なものを作れるし、それに合わせて霧の魔法を使えば多分街一つくらいなら数分で消せてしまうだろう。
シルラーズさんだって、火を出したり色々と出来ますし。
けどね。魔法使いの本分というものはそういうことでは無いのだ。
あくまでも魔法使いとは、幻想と現実を橋渡しするもの。自然と共に生き、しかし人間と接し、調和するもの。
だからこそ、必要最低限の事でしか魔法を暴力的な目的で使うことはないのだ。
……少し訂正すれば、「ただし人による」ってことだけれど。まあ俺はそういう感じの魔法使いですよってことで。
「エリーナさん、それは俺じゃなくて憲兵さんとかに頼んだ方がいいんじゃないですか?」
「頼んだのよ。でも犯人は見つからなくて、けど視線は消えなくて……困ってたらある人からここに行けば解決されるかもって」
「ある人?」
「ええ。伯爵夫人様よ」
―――え、あの人が?
一度だけあったことのある、あの美しい人。
伯爵夫人、カーミラ様。でも、あの人と会った時はまだ男の姿だった筈で、魔法使いのまの字の気配すら漂わせていない筈だ。
ううむ、なんで知られているのでしょうか。やはり伯爵夫人様となれば独自の情報網っていうのがあるのかな。
ま、いいか。
大事なのは知られている云々では無くて、エリーナお姉さんの言葉だ。
犯人は見つからないのに、視線は消えないというそれ。
「犯人はいるけれど……見えていない、かな」
つまるところの、あちらさんたちに起因する事件。
うん。確かにそれならば俺の出番だろう。だって、彼らは基本的には適性のあるものにしか見えないから。
前も言ったが、プーカみたいに力のあるあちらさんならば自在に姿を見せることはできるだろうが、普通の、例えばピクシーみたいな子はそれも不可能だ。
……けど、あちらさんだとしたら少し不可解な点もある。
あの悪戯好きな子供たちが、ただ傍から見ているだけで済ますだろうか。
寧ろこういった凝視する視線を持つものというのは―――。
「……第一にお姉さんからはあちらさんの香りがしないし」
香りは魔力と言い換えていい。
何か関わりがあったのであれば、少しくらいは残り香があるはずだけれど、それも感じられない。
と、なると。
「うん、はい。まだ不明な点もあるけど、これは確かに魔法使いの専門分野ですね」
「ほんと?」
「流石に話だけでは詳しいことは分からないんですけどね。……視線かあ。ちょっと一人にするのは不安だなぁ」
このまま何もなしに帰すのはちょっと怖い。
行きはよいよい帰りは恐い……というわけではないが、視線の主が何者だとしても自身への対処の相談をされたというのに無視を決め込むという事はないだろう。
これは正体があちらさんでも人間でも、どちらでも同じことが言える。
せめて人の多いところまでは送っていくべきだよね、これ。
年上のお姉さんとはいえ、女性なんだし、元ではあるが男としてはきっちりやらないと。
数少ない、男らしさを見せるいい機会ですしね、えっへん!
でも、その前に少し準備をしないとね。
「正体を探ってみるので今日は一回、戻ってもらっても大丈夫です。というか送っていきます」
「ありがと~!あ、そうそう。お礼……報酬?を渡さないとね」
「いえいえっ、前払いじゃなくていいですから!」
なんでみんな前払いでくれるのだろうかこのセカイ!
解決してないのに物を貰うのはちょっと憚られたので、全力で遠慮しました。
「そうなの?じゃあ、これあげるわね。気持ちってことで」
お財布の代わりにとりだされたのは、小さな紙の箱に入ったケーキだった。
「というか最初から置いて行くつもりだったんだけどね。伯爵夫人様から魔法使いさんは女性の方だって聞いていたから。甘いのは大丈夫かしら?」
「大好きです!ありがとうございます!」
甘いのも苦いのも大好物なのですっ!
うん、珈琲と合いそうないい香りだ。隙間から漂うその匂いだけで分かる。
是非とも珈琲と一緒に……っと、先にミルとかを揃えないといけないか。
残念ながら、また今度かなー。
そんなことを想いつつケーキを受け取って、冷蔵庫へとしまう。
「ちょっと待っててください」
「うん、待ってるわ」
そして自分の用意を済ませるために、一旦書斎に向かった。
帽子に杖、あと幾つかのドライハーブを服の中に入れると、リビングに戻り。
「さあ行きましょう!」
「ええ、よろしくね」
―――お姉さんの手を取って、家を出た。
***
古びたヤドリギの鍵を使って玄関の戸を閉め、出発進行。
この家、前述したとおり扉は二つあるのだが、使っている鍵は同じものだ。まあ別にする理由もないしね。
家の防犯面ではどうなのかというと、魔法使いの家の侵入してくる空き巣もそうはいないので問題は無かったりする。
侵入されても分かるし。一応結界的なものは張ってありますから。
「うーん、特に何も感じないけどなぁ」
街へと歩きつつ、鼻をすんと鳴らして香りを嗅ぐが、変な感じはしない。
……森の近くだから?
ただの森ならばいざ知らず、俺の家の背後に広がっているのは妖精の森だ。
しかもその主は強大なる大妖精プーカ。女王や王様ともタメ口で会話できる数少ないあちらさんだ。
人であっても、また害意あるナニかであっても、この近くでは気配を隠そうとするのは自然といえるかもしれない。
やっぱり街までいかないとダメだね、これ。
今はまだ森が近いからいいけれど、森の加護がなくなればすぐさまにでも牙を剥くはずだ。