家を訪れるお客人
シルラーズさんのお屋敷を掃除してから、数日の時が経った。
あの時貰った金貨も気が付けば銅貨数枚へと変わり、だんだんと懐も寂しくなってきた今日この頃でありました。
……まあ、家具とかもようやく揃ったところで、人の住む家としての体裁は整ったと言えるだろうか。
なので今日、遂に―――俺は魔法使いとして依頼を受けることにしたのであった!
「いや、やっと許可が下りたってだけなんですけどね」
許可云々は腕の方が理由ではなく、身体の方の問題だ。
傷が治っても、魔法を使ったことによる負荷は残っていた。身体も危険な状態で無理に魔法を使ったために、寧ろ通常よりもあちらさんとしての部分が励起していたらしく、トリスケルの紋様が引くのに時間がかかってしまったのである。
それでも簡単な魔法くらいは、そうだなー大体、シルラーズさんの家の地下室で見せた程度なら特に問題もなく使用できるのだが……。
「駄目です。絶対安静です。いいですね。いいですね?」
とまあ、ミーアちゃんにこれほど強く迫られてしまったのでは、約束を断ることもできず。
完治するまでは仕事ができない状態になっていたのです。
その間のご飯とかはミーアちゃんがなんとかします、と張り切っていたのだが、流石に(一応)年下の女の子に甘えるわけにもいかず、お断りしました。
まあ、今は背丈は俺の方が小さいんですけどね。何回もこの事実を確認すると心が傷つくので考えないようにしよう、うん。
ところで断った時、ちょっと頬が膨れていたのは何故だろうか……。女の子の心っていうものは本当に分かり難いね。
「まあ、オープンしても人がすぐにくるとは限らないんだけ、ど……とと、あれ?」
鼻腔をくすぐる、ふわっとした甘い匂い。
これは砂糖と小麦粉の香りだ。つまるところ洋菓子の香りともいう。
表、街の方の玄関から漂ってくるこれは、即ちお客さんが現れたという事を意味していた。
案の定、こんこん……とドアのノッカーが鳴らされる。
「はーい、今行きまーす!」
まさかこんなすぐに人が来るとは思わなかったけれど―――まあなんにせよ、お客さんは大歓迎です!
まだまだ未熟者なこの身だけれど、それでも頼ってくれるというのであれば全力でお応えしようじゃありませんか。
そう、だって。俺は魔法使いなのだから。
「はーい、いらっしゃいませー」
「あら、こんにちは。あなたは娘さんかしら?」
「むす、め……い、いえ、この家の主です……」
表玄関を開き現れたのは、綺麗なお姉さんだった。
いつか街で出会った、伯爵夫人さまみたいな、息を飲むような……いっそ気後れしてしまうほどの美人さんというわけではないけれど。
そう―――伯爵夫人様をゾッとするほど美しい蒼い薔薇とするならば。この人は一緒に居てとても落ち着く、蒲公英のような人だった。
「え、あなたが主ということは………魔法使いさん、なのかしら?」
「はい、一応。見習いみたいなものなんですけどね……」
一人前とは程遠いですね、うん。
もっと知識を引き出せれば、そして魔法を使うことになれればいいのだけれど、なかなかそうもいかないのが現実だ。
魔法使いなのに現実の壁にぶつかるとはこれ如何に。
壁なんてどんなものにも存在しちゃうか。現実じゃなくて、生きているならばぶつかるものなんだよね、壁。だからこそ乗り越えて、或いは遠回りして通らなければいけないのだけど。
あ、俺は高い壁を遠回りするのを肯定する派です。だって、どんな手段であってもそれを通ったことは事実であって、そのための努力の方向性が違うだけでしょう?
そりゃあ他人に運んでもらうようなレベルの、自分のためにも誰かのためにもならないような手段ならばちょっと……と思うけれど、基本はすべて受け入れますとも。
今この話関係ないですね。
「そうよね、私ったら。魔法使いさんには外見の年齢なんて意味ないものね。ごめんさない、すっかり忘れてたわ」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ」
魔法使いも歳は取るんだけどね。
ただ、たまに寿命が極端に長かったりする人が居る。そういう人のことを言っているのだろう。
または魔法で年齢をある程度ごまかしていたリ、ということもできるし。こっちは魔法が剥げれば元の年齢がさらけ出てしまうけど。
元々魔法やあちらさん、薬草などとともにある魔法使いは外見に年齢が出にくいというのは確かにあるけれど、大多数の魔法使いはきちんと年を取ります。だって魔法使いというものは自然の摂理と共に生きているのだから。
まあ―――俺は多分、歳を取れないけど、ね。
いやー困ったことに胸は成長しているのに、背は伸びないのだ。
あれ、これって成長じゃなくて太っているんじゃ………。うん、考えないでおこう。
「と、いつまでも玄関じゃ疲れちゃいますよね。どうぞ中へお入りくださいな」
「うん、ありがとう。それじゃあ……お邪魔します」
靴を脱ぎ、丁寧に揃えて置くお姉さん。
動きに合わせてゆらりと舞う白いワンピースと、脇に抱えた麦わら帽子。それらに染みついた洋菓子の香りが、強さを増した。
「ケーキ屋さんなんですね」
「うん、そうなの。……あれ、よく分かったわね?流石魔法使いさんってことかしら」
「う、占いをしたわけではないんですけどね」
千里眼も未来視も使った覚えはないのです。
というか匂い嗅いだだけです。でもそれをそのまま言っちゃうとちょっと変態チックになるから、理由は濁しておこう。
そんなわけで部屋の中へと招待して、リビングへと向かう。
途中、向こう側にあるもう一つの玄関にお姉さんの目線が向いたのが分かった。
あちらさん用の玄関だけれど、裏口とは違いあちらもキチンとした玄関であるので、少しばかり不思議に思うのだろう。
俺としてはあの役割を理解しているので何とも思わないのだけれど、普通の人はそうはいかないのだ。
途中に仕切りを作って、布を垂らしておこうかな。今回は時間とお金の問題でできていないのだが。
「どぞ、ソファーに座ってお待ちください」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
お姉さんにはリビングの真ん中よりも、少しだけ森側に寄った所に置いてあるソファーに座ってもらい、俺はキッチンへ。
小さなポッドを取り出すと、そこに水を入れてちょっとだけ魔力を籠める。
……十数秒ほどしてから手を放し、ポッドを蓋を開けるとなんと、お湯が沸いていた。
なんと、もなにもこういう魔導具なんですけどね。
魔法使いも魔術師も、便利な道具を作るのは好きな人が多い。これは元のセカイでもいえることだが、より魔が近いこのセカイではさらにその傾向がある。これも、そんなセカイで生まれた道具の一つというわけだ。
このセカイは、そして特にこの街は便利な魔導具がたくさんあるからいいよね。おかげで地球にいたころの時代と百年かそこら程度の文化的違いがあるとは思えないほどに、生活水準を高く保てている。
特にお湯を簡単に沸かせるのはとても嬉しい。何せ、お茶を淹れるのに必須だからね。
という事で沸かしたお湯を、ティーポッドへ。
硝子製の透き通ったその中には、小さな白い花が。
香るのは林檎のような、ふわりとした甘い匂い。―――カモミールだ。
ハーブティーの中でもとても有名で、そして効能も低くなく、何より飲みやすいもの。ラベンダーは癖が強いため好かない人も多いため、初めての人には振る舞い難いのである。
魔導具である冷蔵庫には冷やしたものもあるけれど、きっとあったかい方がいいと思うから。一から淹れてみたのである。香りもこっちの方が強いしね?
「カモミールです。良かったら」
テーブルの上に、薄い黄色を透かせたカップが二つ置かれる。
もちろん一つは自分の分だ。一つも二つも同じだからね。
「あら、いい香りね……。うん、おいしいわ」
「えへへ」
うん、よかった。
折角淹れたんだもの、不味いって言われるよりはおいしいと言ってもらった方がいいに決まっている。
―――さて。一息ついたところで、本題に入るとしようか。