赤色の夢を見て眠るモノ
「ちなみに代償っていうのは何でしょうか……?」
「土地との契約さ。神聖にして魔的な力のある土地だ。ただ外からの人間がやってきて支配することなどは、たとえ貴族であっても、そしてこの街の住民が望んでも許されない。支配者を決めるのはこの土地そのものであり……」
「街と土地が望まない人間が支配者となった時には、不幸が訪れる、ですか」
「その通り」
人身御供のような話だ。
いや、まさに人柱と。そういうことなのだろう。
こういった話は何処にでも転がっている。古くは神話を紐解き、怪物や神と呼ばれるものに生贄を差し出して安寧を願うという形態にも通ずるところがある。
八岐大蛇とかも、娘を差し出すことで悪神であるかの蛇が暴れることを回避しようとしていたわけだけれど、それもまた似たような話というわけだ。
あの蛇は洪水の化身。即ち暴れ水を象徴する蛇。
……橋の下には、橋を守るために、川に許しを乞うために人を埋める、という。それは俺の生活していた現代から見ても、そう古い話ではないのだ。マザーグースの唄にもあるのだから。精々が二百年ほど前程度でしかない。
まあ結局、あれは素戔嗚神によって退治されたけれどね。でも、全ての場所においてそのような救世主が現れるわけではないのだ。
素戔嗚は日本神話の中でも名の知れた暴れん坊であり、そして随一の武神。そんなものが都合よくあらわれる方が珍しいといえるだろう。
「ここにある骨は、その際にこの土地に遺された死者の物さ。侵略者もこの街に住んでいたものも、もはや見分けが付けられなかったのだろう―――すべて一緒に、この場所に埋葬されているのだ」
「戦争犠牲者の遺骨……」
「だがね。この土地はあまりに力が強すぎる。龍脈や霊脈と呼ばれているものがとぐろを巻いているかのようなこの街は、やがて埋められた骨たちに宿る憎しみを増幅させ、とうとう現実にまで浸蝕するまでになってしまったのだ」
心霊スポットの強化版というべきか。
土地自体に力がある場合……つまり、パワースポットのが何らかの理由によって悪しき物共の巣窟になってしまった場合、それらの力は土地の力を吸ってさらに増大する。
当たり前のことではあるが、神秘が薄れた現代でもそうであったのだ。
このセカイにおいては、どれほどの影響をもたらすかなど、考えなくても分かってしまう。
そしてそれと同時に、シルラーズさんがなぜこの屋敷に住んでいるのかも、推測ができた。
「シルラーズさんはこの土地の管理人なんですね」
「ああ。この遺骨に宿る力が暴れないように、そして外部の物に悪用されないように。閉じ込め、守るために私はここに住んでいる。私はそのためにこの街に招かれたのだ。かなり前の話になるがね」
「その一環でアストラル学院の学院長もやっているんですか?」
「いいや、それは別の話。私が単純に優秀だったからだね、そこは。もっとも研究等に関してだけは、だが」
「それ自分で言っちゃいますか……」
名誉あるアストラル学院の学院長という役職は普通に実力で手に入れたと言っているようなものなのだが。
こんなふうにいっているために全く持って鼻に付くような態度には見えないのだ。いや、俺は別に鼻につけてもいいと思うのだけれど……周りの魔術師なんかはそういう態度だと嫌がるんだろうなぁ、などと思っていたり。
俺が気にしないのは、魔術師も魔法使いもあんまり人柄という物を知らないのと、そう言ったしがらみ自体にはあんまり興味がわかないからだ。
頼まれたり請われたりすれば別かもしれないけど、今のところそういう依頼はありません。俺は自分でも何にでも興味を持つ質だとは理解しているけれど、それでも確実に面倒事だけで構成されているものに首を突っ込むことはあんまりないのだ。
それはただの要らないお節介だからね。小さな親切大きなお世話、というものだ。
「まあ私は魔術師だからね。力の利用なども目的の一つではある。リターンもある、ということさ」
「……ラベンダーの香り」
「―――ふむ」
「しましたよ」
あっけらかんと言うシルラーズさんに対し、その言葉を発する。
そう、俺がこの場所に導かれたその理由の一つには、芳醇なラベンダーの香りがあったからなのだ。
優しきその香り―――部屋の壺の中に源泉を擁く、死者へ送る花。
ラベンダーはかつて、エジプトのピラミッドの埋葬品として壺に収められたこともあるハーブだ。
有名なツタンカーメンのピラミッドの中にも埋葬されたこれは、三千年も前のものだというのにとても強い香りを持っていたという。
「死者を慰める香り。この香りに導かれて俺はここに来ました」
「そうか。そうだったか」
その強い香りがしたという事はきっと。
……シルラーズさんは利用するためだけではなく、きちんと慰めるためにも動いていたのだ。
でなければ、わざわざこれほど濃密なラベンダーの香りを漂わせるわけがないのだ。
香料も追加しないとこれほど強くは香らないからね。
手を虚空に翳す。
「皆、感謝しているみたいです」
その向こうに見える彼らを姿を見つつ、シルラーズさんにそう伝える。
うん、もう慣れたから。
俺の目には、彼らが今もまだ囚われている世界が透けて見えているけれど、もうそれに惑わされることはない。
口に手を当てて、息を吐き出す。
息には香りが混じり、それはこの空間に満ちる香りをさらに強くさせた。魔的にも、物理的にもね。
「やはりマツリ君は魔法使いだな。……利用するでもなく、無理やりに祓うでもなく。自然に融けるのを待つか」
「きっとその方が自然ですから」
「改めて言おう。君はいい魔法使いになる―――さあ、もう戻ろう。まだ仕事が残っているだろう?」
「あ、そうでした!」
裾を翻して、階段を急いで登る。
そうだった、まだシルラーズさんのお部屋の掃除が終わっていなかったんだ!
いけない、これじゃ途中で仕事を放棄してしまうことになる。すでに報酬を頂いているというのにそれは駄目である。
「急ぐとパンツが見えるぞ。ほう、今日は黒か」
「ドロワーズですから大丈夫です!」
「さて、下着には変わらない気がするがね」
……いやまあそうなんですけどね!
ドロワーズはスカートの下に穿くことの多い下着。ただ大きさ的にはズボンにも近いので、あんまり恥ずかしさはわかないのである。
昔は下着を穿かずにスカートを付けていたというんだから驚きだよね。なんですかその露出プレイ。
問題は今この時代に於いてもそういう人はいる可能性があるってことですけどね。うーん、出会った時の反応が悩ましい。
さて。周囲にてこの世ではない幻想を見続ける亡霊たちに、心の中で別れを告げて。
「では掃除してまいります!」
軽くそんな風に敬礼をしてから、シルラーズさんのお部屋へと向かったのでした。
この街の秘密、それをほんの少しだけ知った、そんな一日でした。
―――ああ、こうやって俺もこのセカイに馴染んで行くのだろうか。今はまだお客さんだけれど、いつかは。
何時かは胸を張ってこの世界の人間だと言えるようになれればいいなと思う。
だって、元のセカイに戻るかどうかは、魔法をもってしても分からないのだ。ならば、今生きているこのセカイに根を張りたいと思うのはとても自然なことでしょう?
あ、俺は半分人間ではないのですけどね。久しぶりに思った気がする。
「うん。まあともかく」
廊下に落としていってしまった掃除用具を拾いながら何が言いたいのかを纏めるとだ。
「これからもしっかりと、生きていきましょう」
ということだ。
なので、この仕事を完遂することを第一に考えよう。とても大変な気がするけれど、なんとか頑張ろう!
頬に手を当てて気合を注入して、よし!
―――かちゃん、と。扉の閉じる音。一日限定の新人メイドが再び掃除を始めた、そんな音だった。
ラベンダーの香りは屋敷中に満ちている。今までよりも強く、優しく。
土地の奥深くに眠る彼らは、今もまだ夢を見ている。呪われた赤い夢を。
けれど、もうその夢もすぐに醒めるだろう。千の夜が訪れ、そして明けて―――やがてその夢を喰らっていくのだから。