この街の過去
「あつい……アツイ……苦しい、手をテヲ……コノ、テ……ヲ」
「ニクイ、あいツが憎い!ワレラを……ああ、ヒが、ヒトガ……遠く、トオイ……」
―――目を見開いた。
視界を覆うのは赤い風景。それらは炎であり、血液であり、武器であり、死体であり、太陽であり……。
……幻覚だ。
そう思っても思いきれないほど鮮明に、それらの情報は俺の頭の中へと入りこんできた。
しゃがみ込んで耳を塞ぎ、目を閉じてもそれは消えない。……沁みつく、染める、ああ痛い、熱い――――ッ!!
虚な炎が肌を焼き、喉を焦がした。
「何を見ているのか。まあ、推測は付くが、それはそれだ」
そっと顔に、冷たい感触が現れた。
冷たい指。それは目を覆っていく。
「君の身体はそれらに対して高い耐性がある。本来ならば、そんなものは見ない」
耳元で声が囁かれる。
吐息を感じることができるほどの距離だ。普段ならば驚きに身を引くことだろう。
けれど今は、とても安心した。
開いていた眼を、覆われた手の中で閉じる。
「にもかかわらず君が見たのは、ひとえに君が慣れていないからだ。そして、君の精神性がそれらを受け入れやすいからだ」
漂うのは煙草の香り。
「後者ならば制御もできる。しゃがみ込むことにはならない。あとは、君が慣れればすべてことは片付く。……さあ、息を吸え、吐け。そして、もう一度目を開けるんだ、いいね?」
言われたとおりに呼吸をして、閉じた瞳をもう一度、開く。指が離れ、今度こそきちんとした外界を視界に映した。
―――もうそこには、目に見える範囲全てを焼き尽くす炎など何処にも存在しなかった。
あるのはただ静謐な石の部屋。
それを確認したところで、尻もちを着いた。しゃがむっていう体勢は意外と不安定ですのでつい……。
「って、あれ?なんで俺こんなところに居るんですか……?」
「導かれたのさ。……いや、招かれた、連れられたの方が正しいかもしれないがね」
「えーと、誰にですか?」
「さて。……付いてきなさい」
片方の手に宝石の手袋をはめたシルラーズさんが先導する。
ちなみにもう片方の手袋は乱雑にポケットに突っ込まれていました。多分俺に干渉するために一回外したためだと思われる。
付いていく、と言っても石室は小さくてすぐに行き止まりになってしまう。何かがあるようには思えないけれど。
ということで、どこに行くのだろうとシルラーズさんを眺めていると、手袋をはめた指先が扉をすぅっとなぞった。
あの字には少し、いやかなり見覚えがある。
「ルーン魔術です、か?」
「起動式はな。スイッチだけだよ、何せ簡単だからね」
ルーン魔術とは、特殊な文字を用いて使用する魔術。
文字自体に力があるため、それを刻むという労力だけで魔術を使用することができるため、とてもお手軽に行使ができるのが特徴なのだ。
触媒を使わないだけで当然魔力は使うが、簡単なお守りくらいの力のまじないならば文字そのものに宿っている力があるため、一般人でも使用できてしまう。
元は北欧の大神オーディンが編み出した魔術文字な訳だが、こっちのセカイではどういう経緯で生まれたのだろうか……ちょっと、いやかなり気になります。
さて、シルラーズさんはそんなルーン魔術をスイッチにしているだけと言っていたけれど。どうやら、それは本当らしい。
文字が壁の上で記された後―――その壁は格子のような形を顕し、それぞれが周囲の壁に溶け込むようにして移動、そして新たなる道を石室の先に表わしたのだ。
「こっちは錬金術でしょうか……」
「正解さ。起動だけはルーンで行い、あとの構造は錬金術の物質の再構成を利用している」
複数魔術の融合。……生半可な技量では行うことのできない、一流の証。
物質干渉という点において錬金術は魔術の中でも最高位の流派だ。
なにせ、これら錬金術によって。即ち、石を金にするために数多に研究を行った結果として、地球における現代科学の基礎を生み出して見せたのだから。
もっとも科学に近い魔術。それこそが錬金術と言えるだろう。
「―――さあこっちだ。君が見た幻覚の答えはそこにある」
***
「これ、は」
「見ての通りさ。人骨……死者の骨だよ」
隠し扉を少し進んだ先を左に折れた、その場所。
そこにあったのは、大量に積まれた無数の骨であった。
……恐らくただの骨ではない。そこに詰まった情念が、前に立つだけで俺の肌を焼いていた。
甦るのは先ほどみた、真っ赤な光景だ。
「もしかして、戦争なんでしょうか?」
「……私は直接知っているわけではないが、かつての折に長老より譲り受けたこの街の土地も、平和が続いていたわけではないらしい」
そうしてシルラーズさんから語られたのは、この街が出来たその経緯。
そして、この街が歩んだ、血に塗れた歴史だった。
以前簡単に、とある男の人が取引をして街を起こしたと、そうは聞いていたけれど……今回の話は、それよりもずっと詳しく、深い話であった。
「最初にこの場所には、森があった。今でも翆蓋の森と呼ばれている、古の龍が治める聖なる森が」
……けれどその森があった土地は、人の手へと譲り渡された。
お爺ちゃん、もといモーディフォードが何を思って人間にその土地を渡したのか、それ自体は分からない。
だが、あちらさんと旧き龍と人間。千夜の時代よりともにある者達が、再びともに在ることができる、その可能性を齎す土地として―――その場所は様々なモノたちから注目された。
有益な土地があれば人が現れる。人が現れれば、街が生まれる。
けれど、街が生まれればそこには対立や人間同士のしがらみが生まれてしまうのだ。
「立地からこの街には魔術師や魔法使いが多くてね。アストラル学院などもそれに由来するものさ。だがどうも、昔の人間というのは思考が硬くてね」
魔法、魔術の研究、鍛錬者が集まったこの土地には結果として―――異端審問の対象となってしまったのだという。
キリスト教世界に名高き十字軍の遠征。それと同じように、異教徒や異端者を葬り去るための戦いがこの土地で起こったそうだ。
……ああそっか。そういえばシェーンやオネイルズもまた、その被害者だったっけ。
「無数の兵がこの街に来たそうだ。魔法使いも多かったからな、翆蓋の森の長老こそ参戦はしなかったが、妖精の森の住民たちは街や土地に味方をし、襲い掛かる兵たちと戦いを始めた」
プーカもかつては、街の人間とともに戦ったそうだ。
あの子はどちらかと言えば、この土地そのもののために戦ったようにも思えるけれど、まあ結果として味方ではあった。
「流石に古い出来事だ。妖精とはいえ、今ではその時代に生きたものはそうはいないが、それでも妖精をして悲惨と言わしめる戦争だったようだ」
数多の人間が死んだ。魔法使いも魔術師もまた、死んだ。妖精も深い傷を負い、妖精の森も多く焼かれたそうだ
翆蓋の森に行くときに通った城壁は戦争の名残だという。今では簡易なものに落ち着いているが、数百年ほど前まではまさに壁と言えるような物だったらしい。
そうして何年も何十年も街は戦争を続けた。
一時は街全体が炎に包まれる事態になったこともあるそうだ。
「終わらないと思われた戦争だが―――最後にはこの街に価値ある血筋を持つ人間が、支配階級として現れた事で外の兵たちは争いを仕掛けることができなくなり、終戦へと至った」
「価値ですか」
「つまるところの、王族に近い血を持つ貴族だな。戦争を見かねて代償と引き換えにこの土地と街を守り、支配した。ちなみにその血筋は今もまだ続いている」
……同盟、婚姻による国家間、或いは街間の安寧。
それはかつてではよくあったことらしい。自分が危険に晒される危険性があるのにやるっていうのは珍しいだろうけれど。本来は危険にならないためにすることだからね。