給仕服の乙女
ヘーゼルナッツでおなじみヘーゼル……ハシバミの葉っぱは、幸福や守護の加護を与える力を持つけれど、その中でも面白い効能がある。
葉を冠にして頭に被ると、透明人間になれるという物だ。
実際に透明になってしまってはそれはそれで危ないので、泣き女さん、シェーンとの時にやった効果増強を逆転させて、効果を弱めてある。
髪の内側に隠してあるヘーゼルの葉の呪いは、本来とは違い、目線を向けられにくくなったり認識されにくくなったりと、無意識的に俺を認知外へと処理させる程度の魔法でしかないのである。
だからこそ、魔法がかけられていることに気が付きにくいんですけどね。
気が付かないように張り巡らされているもの、というわけではなく、自然に溶け込むようにして掛けられているものの方が、案外分かり難いものなのである。
「よく分かりましたね、シルラーズさん。結構薄いんですが……」
「ここは私の家、私の陣地だからな。自分で築いた祭壇なのだから、他の魔法や魔術には特に敏感になる。魔術師は特にな」
「ううむ、未だに魔術師と魔法使いの文化的な違いが分かりません」
「君は分からなくてもいいと思うがね。君らしく、そのままでいた方がいいさ。そもそも魔術師と魔法使いという分類自体、古の魔術師たちが……おっと。通り過ぎる所だった」
数歩程度通り過ぎた部屋に戻り、扉を開ける。
玄関のホールを左に折れて真っ直ぐに歩いた場所なのだが、この部屋に来る前から幾つもの部屋を通り過ぎており、なんともこの屋敷の広大さが分かるというものだ。
ちなみに靴は脱いでいないのですごく違和感です。日本式家屋になれているし、今の俺の家も玄関で靴は脱ぐタイプだからね。
……さて、シルラーズさんが開いた扉の中なのですが―――。
「凄い衣服の量ですね……」
様々な衣服が、掛け棒に吊り下げられていたのである。
気になるのはどれもこれも、シルラーズさんには着れないサイズのものばかりな気がすることなのだが、まあそれはともかく。
「ああ。おさがりでな。私には必要ないのだが、流石に捨てられもせずここに詰め込んでいるのさ」
「おさがりです?」
「何時か弟子をとった時に使え、とな。まあ上物ではあるし、霊的な守護を持つものもある。更に必要なければ売ってしまってもいいと言われてはいるが。実際高値で売れるのだ、この服ども」
「ふ、服ども……」
衣服に対しての扱い雑すぎませんかね……と、うん?
「すんすん……あれ、この香り?」
部屋の中に充満する、いい香りに興味が移った。鼻を鳴らして、香りを嗅ぐ。
―――ラベンダー、ミント、ヨモギ。三つの香りが混ざっているかな。
これらは伝統的な防虫剤の匂いだ。部屋の中の香りの元を探すと、いくつかの箇所に、三つの薬草が詰められた袋が吊り下げられていた。
うん、雑っていうのは訂正します。
なんですか、きちんと管理しているんじゃないですか。
「どうかしたかね」
「いえいえ~」
「何故笑みを浮かべているのか聞いてもいいだろうか」
「なんでもないですよ~」
小さなところに、シルラーズさんの人間らしさが現れていた。
やっぱり家っていうのは、そこに住んでいる人のことをよく表すのだと、深く思う。
昨日は数少ない一般的な人間らしさ、なんて言っていたけれどほら。
しっかり、いい人じゃないですか、シルラーズさん。
「ところで、なんで俺はこの部屋に来たんですか?」
すっかり感慨深くなっていたために、この部屋に来た目的を聞きそびれていた。
「服を貸し出すと言っただろう。結構埃まみれになるぞ、私がそうだった」
「あ、ほんとですね」
シルラーズさんが指をさした白衣の裾の方は、少し黒ずんでいた。
ああうん、埃汚れですね、あれ。
俺が今着ている服は、ミーアちゃんから貰ったものなので、確かに汚したくはない。
持っている服自体も少ないため、何着かを着まわしているのが現状だし。
……服にお金をかけるっていうのも、ちょっと今の状態では選択しにくいのだ。
お金は本を写すことでいくらか貰ってはいるけれど、書斎の本も無限ではない。何時かはすべて写しが終わるだろうし、貰ったお金も生活費や家の手入れなどでどうやっても消えていってしまう物。
何かのために貯めておきたいという心もあるため、どうも自分の物にはお金を使いにくいのである。
「安心しなさい、既に服は見繕ってあるからね。―――これだ。似合うと思うぞ」
「わーほんとですかーってこれメイド服ですよねっ」
無数に収められた服の中から取り出された一着を受け取りつつ即座にツッコミを入れる。
いや確かに家事をするものといえばメイドか執事だろうけれども、もはや男ものが最初から選択肢とされていないことに少しばかり恐怖を感じた。
俺ってそんなに中身まで女性に近づいているのでしょうか……否定はしないけれど、進行早くないですかね。
「う……?」
手に持つメイド服を見てみると、ああこれは。
中世ヨーロッパでおなじみ、シックなメイドドレスだった。
羅紗、まあ羊毛だね。それで仕立てられた袖の長いカートルに、日本語では垂れ襟と称されるフォーリング・バンド、エプロン。
どれもこれもフリルなどは当然のことながらついておらず、動きやすさと機能性重視といえるだろう。
あ、ちなみにカートルは俺のセカイだと、後のワンピース系衣服の元になったと言われているのだ。
このセカイでは結構近代に近い衣服を着ている人も多いので、そういった時代の話はあまり当てにならなさそうだけどね。
「帽子も確かここに。ああ、あった」
衣服棚の下の方を漁って出てきたのは、ボンネットだ。
貴族が付けるようなものとは違い、メイドのボンネットはほとんど頭巾に近い。
髪はこの中に入れて、汚れるのを防ぐのである。
それらの一式をぽふっと渡すと、
「では私は外に出ているから、着替えてくれ。今着ているものはそこの籠に置いておくといい。……今被っている帽子はどちらもいいよ。魔法的なものを掛けているのであれば付けたままでも構わない」
「いえ、外しますよ。ちょっと大きいので、掃除するとなると動きにくいですから」
「分かった」
両手で魔法使い帽子を外し、言われた通り籠に……置こうとして、かなり嵩張ることに気が付いたので籠の横にそっと置いた。
―――あれ?普通にこの服着ることになってません?
いやまあ、いいんだけどさ。
実を言うと……ちょっとだけ、普段目にすることのない服を着るっていうのは面白いから。
双子騎士の服は、給仕服をベースにしたものであったことを考えると、このセカイでは普通の服なのかもしれないけれど、異世界人である俺にとってはとても新鮮。
かなり興味が湧いているのもまた、真実なのです。
「我ながら興味で生きてるなぁ……」
性分だから仕方ないよね。
……ということで、あれこれ苦戦しながらも服を着てみまして。
部屋の中の姿見を見て、問題がないことを確認して部屋から出た。
「どうですか、似合いますか?」
「とても似合っているよ。メイド服を着ているというのに、まるで令嬢のようだぞ」
「えっへへ~」
―――はっ?!
いけない、頬が緩んでしまった。
令嬢、つまりはお嬢様みたいだって言われて喜んでいてはもう手遅れかもしれない……いや、きっと気のせい、褒められれば誰だってこうなるに決まっています!
「掃除用具はこっちだ。ついてきてくれ」
「……いろんな場所にいろんな部屋があるから、迷子になりそうですね」
「まあね、初めてくる人には毎回言われるよ、それ。迷子になっても構わないが、地下にはいかないようにな」
「地下、ですか?」
「色々と危険物がな。地下への階段を見つけても、すぐさまUターンだ。いいね」
「色々……はい」
うん。まあ、魔術師の家ともなれば……特にシルラーズさんみたいに自分で道具を作り出しているような人なら、危険物の一つや二つあってもおかしくない。
魔法使い、その中でも俺みたいな薬草を使う者達も、作ろうと思えば危険な薬品はたくさん作れるのだし。
どんなものでもすべからく技術というものは毒にも薬にもなる。だからこそ、注意が必要なのです。