ヘーゼルの冠
「とはいってもな、私の場合は金など気分と時期によって一文無しになったり逆に増えたりと、変動性が強すぎるのだ。払える時に払っておくべきだと思ったのだけどね」
「株でもやっているんですか……?」
「いや、船には手を出していないが」
現在の株式会社の元になったものは、大航海時代の探検家たちが、パトロンを得るために画策したものが元だったか。
うん、時代背景が似通っているこのセカイならば、株即ち船という思考になっても自然なことなのか。
「単純に触媒を揃えたり趣味の稀覯本を買ったりするとどうしてもな」
「なるほど……なるほど?」
いやどれだけ高い買い物なんですか。
触媒はまあ確かに、宝石とかだとお金が嵩むのは分かるけれどね。
この場合驚くべきなのは、吹っ飛んだお金をすぐに回収できるだけの能力があるってことなんですけどね。
「えと、じゃあ―――これで全額ってことで」
「……いいのかい?」
「もちろんです」
金貨の価値は非常に高い。
魔術師にとっては金貨数枚の出費なんて日常茶飯事らしいけれど、普通の人にとっては金貨なんて持っているだけで珍しい類いのものなのだ。
なので、前払い金ではなくて、全額を前払いしてもらったと、そういう風に受け取ることにしたのである。
シルラーズさんもそれでいいみたいですし。
あんまりお金の面で迷惑を掛け続けるのは嫌だし、こういう区切りはきちんとしないと。
「では、頼んだ。明日の朝……そうだな、七時くらいに私の屋敷に来てくれるかな。……ああ、場所に関しては地図を置いて行くよ」
「助かります」
「それと、あまり人に見られないようにね。出来ることなら透明化の術でも使えればいいのだが―――まあ、無理なら無理で、目立たなければそれでいいさ」
「分かりました!」
元気よく返答して、普通の紙に記された地図を机の上に置いて玄関へと向かったシルラーズさんを見送る。
ああ、街側の表玄関の方ね。
反対側に行くと妖精の森へと通じてしまうから。
協定があっても、シルラーズさんは魔術師なのであまりあちらさんと関わることは避けているのだそうだ。
プーカみたいな顔役は別だけれどね。
「また明日」
「はい~」
緩やかに閉まる扉の向こうのシルラーズさん見送る。
さあ、明日はお仕事だ―――七時って言ってたし、早起きしないとね。
***
という事で、俺はシルラーズさんのお家に来ている、という訳なのです。
うん、さて―――回想が終わったのだけれど、未だ扉は開かず。
まあ実時間数分程度なので寧ろ開く方が稀なのだけれど、はてさて。
魔法を使っていいものなのかちょっと悩みどころだよね。人様のお家ですし、何よりこの屋敷。
「魔術で結界がたくさん張ってあるし……ちょっとねぇ」
かなり緻密な結界が何層も重なっている。
起点は宝石や魔法陣によるものなのだけれど、単純強度なら多分学院よりも強固。範囲が抑えられているからこそ、強いのだろう。
魔法も魔術も、そして科学にも言えることだけれど、基本的に範囲を広げるとどうしても一つ一つの効能が薄まるから。
一つの効果を全体的にっていうのならばまだいいけれど、結界は……そう、砦や城門をイメージしてもらえばわかると思うけど、囲うという概念が根底にある以上、どうしても範囲に応じて強度が減るのだ。
「……まあ、この屋敷全体にこれだけの強さの結界を張れるっていうのは、やっぱりすごいけどねぇ」
俺も幾つか結界を張れる魔法を知ってはいるけど、この屋敷の場合は数や精確さがずば抜けている。
これを見ると、シルラーズさんって一流の魔術師なんだなってことを実感するのだ。
普段があれですので、忘れがちなのがちょっと残念だけどね。
「でもなぁ、緻密過ぎて……」
呪いの塊ともいえる俺が外部から強引に入ったら、多分壊れる。
千夜の魔女の呪いはそれだけ強力だから。
まあ、壊れるのも想定の内と言えばそうなのだろうけれど、なるべくなら壊したくないよね。器物損壊罪に当たる可能性もありますし、多分。
仕方ない、もう少しだけ大きく声を張り上げてみますか――――。
「……んぅ?」
息を吸って口を開こうとしたときに、指を鳴らした音が聞こえた。
次いで、柵の門扉がゆっくりと開き……俺を屋敷の内部へと招待した。
「えーと、お邪魔します!」
安倍晴明の家でも、式神が門を開け来客を招いたという。
あれは陰陽師だけれど、魔術で同じことができないわけがないよね。
これだけ仕掛け豊富な屋敷なら、魔力で動作を自動化している場所とかがたくさんあって驚かない。
特にこのセカイでは魔法も魔術も、随分とセカイに馴染んでいるのだから。
「招かれた場合は結界に干渉することはない、かな」
支配者に招かれたのと無理矢理に入っていくのでは意味合いが随分と異なるのだ。
その意味、っていうものが魔法や魔術にはかなり重要になってくるので、存外馬鹿にはできないのである。
まあ、それはさておいて―――折角門扉を開いてくれたのだ、早く上がらせていただこう。
家の門をあまり長く開いておくべきではないのだし、ね。
訪問の挨拶は先ほど済ませたので、無言で門を潜る。
柵と屋敷の間にある庭に興味を向けつつも、屋敷本来の扉へと向かうことは忘れない。
いや、徹底しないとお庭をフラフラしてしまいそうなので……。
「薔薇の香りがする……」
薔薇は魔術の触媒にもなるし、何よりも所持しているだけで自分の身を護る加護を与えてくれるもの。
魔術師だけではなく、魔法使いにも関係の深い花なのだ。
あちらさんは―――特にピクシーたちのような子には、薔薇の花は好まれる。
それ故に一番いい状態になった薔薇をあの子たちは持って行ってしまったりもするのだ。
……まあ、ここはシルラーズさんのお家なのでそういうことはないだろうけどね。
両開きの扉の前に到着すると、ノックを鳴らす。
どうでもいいけれどこういう扉についている金具を使ったノックは結構好きだ。
新鮮だし、幾人もの人が訪れ、その度にこの道具を使っていったのだと思うとその歴史と感慨深さを思い知ることができるから。
西洋の建築物は長い間姿を変えずにそのままあり続けることが多いけれど、これは中でも歴史を直に感じられるので。
「…………やぁ、マツリ君」
「え、シルラーズさんどうしたんですか、そんなやつれて」
ノックを鳴らすこと数分。
のっそりとした動作で開かれた扉から顔を覗かせたのは、目の下にクマを作ったシルラーズさんであった。
……クマを作っていても綺麗なことに変わりがないのは羨ましいですけどね。
そう、きちんとしていればこの人はとっても美人さんなのである。
「なに、一応君が来るので相当酷い部屋だけは片付けておこうと思ったのだが―――」
「それで徹夜、ってことですか?」
「いや?途中面白い本が次々に見つかってしまってね、順番に相手していたらこんな時間だよ」
「……流石ですね」
全くブレない。
ある意味尊敬します。
「兎に角上がってくれ。すぐに気が付かなくて悪かったね」
「いえいえ、全然だいじょぶです」
「敵意があればすぐにでも分かったんだが、無害だとな。……ああ、そういえば、隠蔽魔法の気配を感じるが―――使ってきたのかね?」
促されて屋敷の内部へと足を踏み入れつつ、背中越しにそう問われた。
……ほんと、すごい。
そう、俺は今自分の姿、印象を薄くする魔法を使っている。
魔法自体は家を出るときになんとなく頭の中に降ってきた、まあいつも通り知識さんが与えてくれたものを使っているだけなのだが―――。
この魔法、かなり薄く使用しているので、相当勘が良くないと気が付ないのだ。勘というか感性と言った方が正しいけどね。
「はい。”ヘーゼルの冠”を」
「ハシバミの葉の被り物か。いやはや、薬草魔法は便利なものだ」