シルラーズさんのお屋敷
「……お、おおー!すごい大きい……!」
目の前にある建造物を見上げて声を上げる。
そのついでに思わずと言った感じで口も開いたが、それも仕方ないだろう。
いや、だってね―――この建造物、学校もかくやとでもいうべき巨大さを誇っているのだ。
これが家であるというのだから驚きである。あ、校舎と言っても流石に、この街を象徴するアストラル学院を対比に出したわけではないけれどね。
異世界出身である俺の故郷、日本の片田舎にある程度の学校の敷地が基準だ。
「これがシルラーズさんのお家……流石学院長なだけあるよね」
……そう。
この家は、このセカイに来てからいつもお世話になっている人たちの一人、シルラーズさんの家なのだ。
双子騎士の片割れ、ミールちゃんが、ぼそっと豪邸だと言っていたのを聞いていたため覚悟はしていたのだが、いやはや近づくほどにその姿を益々実感した。
いやまあ、これが正確にはどういう建築様式なのかは分からないんですけどね。
ゴシックとかバロックとか、そういう単語は分かるけれど実際にどんな建築物を指すのかまでは分からないのである。
俺の中にある膨大な知識の宝玉も、俺のセカイにしか存在しないものまではカバーできないし。まあ共通点があれば類似した知識を引っ張り出してくれるんですけどね。
そしてこのセカイはなぜか俺の元居たセカイと共通点が多いのです。
という事なので、そこから着想を得て結果に至ることも―――ある、かもしれない、みたいな。
そういえば、名前を付けないとと思いつつ、結局そのままにしてある知識さん。先日家も手に入れてようやくこのセカイにも落ち着いたことだしそのあたりも考えないとね。
……それはともかくとして、だ。
「あれ、これどうやって開ければいいんだろう……」
眼前にあるのは鉄製の大きな柵。身長は俺の三倍くらいはあるだろうか。先端の方はきちんと装飾されているのでインテリアを忘れていないところにプロ魂を感じる。
そのくせどんな建築方式なのか分からないのだが。いや、ほんと知識不足でごめんなさい。
と、そうではなく。
インターホンなどと言うものがこのセカイにあるとは思えない。かといって柵の向こうに見える家まではそれなりの距離があり、声を張り上げても内部に届くかは分からない。
うぬぅ、と魔女帽子の端をを両手で握りつつ唸っていた。
……あ、正確には魔法使い帽子というらしいです。いや形状はどちらも変わらないけれど、千夜の魔女という人のせいでこのセカイでは魔女という生き物はすべからく嫌われているので、同じものだったとしても別の呼称を用いるのだそうだ。
俺はそんな千夜の魔女さんといろいろあって、他人と形容できるような関係ではないのでちょっと複雑なんですがねっ。
現実逃避している場合ではないか。
まずは中に入らないと話にならないのだから。
―――そうだ。先になんで俺がこの目の前の豪邸、シルラーズさんのお家にお邪魔しているかというと、話は少しだけ前に遡る。
まー実際はそんな複雑でもないのですけれどね……とにかく回想にお付き合いくださいな?
***
「マツリ君。身体の調子はどうかな」
「すこぶるいいですよー。もう痛みも完全に引きましたし」
魔法使いとあちらさんの家。
それを俺が貰い受けてから、おおよそ一週間が経過した。
この家を事実的に相続する、そのために俺は大怪我をしたのだが、それも今ではほとんど復調していて、今はこの家の中を片付けたり、新しい家具を置いたりしているところであった。
うん、普通の英国風建築なんですけど、一軒家で一人暮らしって結構広く感じるよね。ちょっとだけ寂しい。
そんな風に人恋しさを感じ始めた時にシルラーズさんが来てくれたのでちょっとだけ気分が上がっている俺は、二人でリビングへと移動して、さらにはハーブティーを淹れて、少しばかり談笑していたのでした。
ハーブは付近から摘んできた物。自然豊かなこのあたりは、薬草が自生しているのでとてもありがたい。
でもこの家よりも向こう側にある妖精の森には注意が必要だけどね。普通の人が行ってしまってはかなり面倒なことになる。
まあ俺が行っても大変なことになるけどね。みんな元気がいいから。
「それはよかった。私は結局見ているだけだったからな。大事がなくて何よりだ。心配しなくて済む」
「基本的に俺の自業自得ですし、シルラーズさんが心配する必要なんてないですよ?」
「心配くらいさせてくれたまえ、私のためにな。なにせ魅せることのできる数少ない一般常識的な人間らしさだ」
「……あー、はい」
それを口にしては台無しな気もするが―――まあ、シルラーズさんらしいよね。
アストラル学院の学院長。
最も若き龍殺しにして、一流の魔術師であるこの人ならば、そういう思考回路だろう。
俺も魔法使い的思考回路に徐々に染まりつつあるので、一切人のことは言えないのだし。
「他に困っていることは無いかな?」
「いえいえないですよー。お金だって貰ってしまってますし……」
「あれは相応の値段さ。この家にある書物はどれも貴重なものだ。模写した物でも十分に価値がある。その対価を所持者に渡すのは当然だろう?」
この家の前の持ち主、オネイルズ。
彼と、彼の先祖が残した無数の書物は魔導書でこそないが、古い魔法の知識としてとても貴重な物らしく、学院の図書館へ収蔵するために少しづつ貸し出しているのだ。
そしてその際に、シルラーズさんから多額のお金をもらっているのである。金貨がたくさんありました、ちょっとくらっとした。
いやまあ、魔導書があってもそれはそれで困るんだけどさ。危ないみたいだし、あれ。
……でもあれ、確実にただ本を貸すだけの対価以上のお金だと思うのだ。
魔導書ではない。知識も貴重だとしても、魔術学院と銘打たれるほどのアストラル学院ならば、いくつか重複する知識もあるだろう。
その分相対的に価値が下がるはずなのに、そのままの量の金額を貰っている―――ほんと、お世話になっております。
「ふむ、そうか。困っていることは無いか、なるほどね。ではマツリ君、ちょっと頼まれてくれはしないかな?」
「はい、いいですよー」
「やれやれ軽いな。どんなことも簡単に受けてしまうのは考え物だ。注意するように」
「あ、えーと……はい」
一応シルラーズさんに対しての信頼があるからこういう風に答えたのだけれど……ああ、でも。
本当に困っている人が居たら首を突っ込んじゃうかなあ、俺は。
まあ、それはその時に分かるだろうし―――。
「頼み事って何ですか?」
「ああそれはだな……落ち着いてきたことだし、私のメイドとして働かないか?」
「めいど?」
―――ん、そういえば。
いつだったかそういう話になったことがあったっけ。
「この家を得た時と同じく、私からの依頼という形にさせてもらうよ。やってもらうことは掃除だ。ミールとミーアに部屋を片付けろと怒られてしまってな。部屋を片してくれるとありがたい」
「……汚部屋、なんですっけ」
「おいおい、そこまで汚れてはいないさ。少なくともゴミ屋敷というわけではない。……本屋敷ではあるが」
「本屋敷ですかー」
それはまた、少し面白そうである。
「分かりました、引き受けさせてもらいます!」
「頼んだ。……ああ、かなりの重労働になるだろうからな、衣服はこちらから貸し出そう。あとこれは―――」
言葉を途中で留めるとシルラーズさんは白衣の胸ポケットに手を差し入れて、煙草やらマッチやらが出てきた後に、数枚の金貨が取り出された。
「前払い金だよ。今はこれくらいしかなくてね」
「いえいえいえいえ金貨って……掃除するだけで金貨は流石に貰いすぎですよ?!」
金貨はこのセカイでの最大価値通貨。
ちなみに、普段流通しているものは銀貨を四等分に割ったものが主流である。
ここまで聞いてわかっただろう―――このセカイにおいて、金貨とは一枚だけでとんでもない金額なのだ。
それが数枚前払いとは、シルラーズさんお金持ち過ぎですよねっ。
というかそんなものを胸ポケットに乱雑に詰め込まないでほしい。流石に扱いが雑すぎませんかね。