シェーン
鈴蘭に籠めた記憶には、魂の存在であるオネイルズとの出会いも一緒に入れてある。
……あの男が、死んでからも泣き女さんのために命を燃やしたという事を教えるために。
「終われるわけ、無いじゃない。私の復讐はまだ……ッ!」
「終わってるよ。あの騎士たちは人間なんだ」
泣き女さんの守るこの家は、魔力と泣き女さんによって美しく保たれているけれど、実際はものすごく古い。
異端審問の騎士たちは既に何百年も前の存在なのだ。
……だから、復讐は終わってしまっている。正確にいえば、復讐する相手など、もういないのだ。
「本当は分かっているんでしょう?君は聡いのだから」
「……でも、だったら―――私のこの気持ち、どうすればいいの……」
「それは……」
擦り切れてしまっても、まだ抱いている憎しみ。
もう終着点に辿り着くことすらできない、その感情。それをどうするかは、当人にすら決められないのだろう。
すんなりと決めることができたのであればそもそも、こんなところまで来てはいないのだから。
「もし、君が良ければ―――俺が導いてあげる」
故に、手を差し伸べる。
この迷い子が、自分にとって正しい旅路を進んで行けるように。
神父ではないけれど、魔法使いだってそういう案内人としての役割は持っているのだ。
ほら、宮廷魔術師とか、魔法使いとか……そう呼ばれていたアーサー王物語のマーリンだって、王や人を導いていただろう?
ケルトでの魔法使いにして、僧侶であるドルイドたちは森の賢者とも言われていたわけですし。
……ま、こんな前置きとか理由なんていらないか。
大事なのは、俺がこのあちらさんを助けたいと、そう思ったという事なんだから。
「……ぁ」
赤子の如く、弱々しく刺し伸ばされた手を、同じくらい力の入っていない手で掴む。
まあ体力ないからね、今。
本当なら力強く取りたいところだけど、いまいち締まらないのはご愛敬ってことで。
さ、ここが最後の正念場。
恨みつらみに捕らわれて、溶けて歪んで混ざって出来た、どうしようもないその気持ち。
霧煙の魔法使いが全て綺麗に祓ってあげましょう!
「まずはここから出ないとね……うん、『道を拓け』」
水中の血液を喚起する。
残り少ないけれど、泣き女さんの水の中は魔力が豊富だし、なんとかなるでしょう。
今までは完全敵対状態だったから周囲の魔力を使わせてはくれなかったけれど、手を取ってくれた今ならば使わせてくれるのだ。
自分で生み出せるとは言っても、これだけ血がなくなっちゃうと厳しいよねぇ。しかも魔力生み出しても代償として体に痛みが発生するしねぇ……。
それはともかく、血の霧が水から時がまき戻るかのように生み出された……その霧は形を持ち、香りを持って。
「ロータス……?」
泣き女さんの言う通り、蓮の花を生み出した。
「そ。ロータスの根っこを口に入れると、ドアを開くことができるんだよ?」
そういう魔法があるのです。
例によって魔法で効果を増強、空間を開く魔法にしているのだけど。
うん、魔法って便利。だからこそ、使い過ぎには要注意なんですけどね。
使い過ぎだけではなく、使い方にもね。薬と毒は本来同じもの。魔法もそういうことなのだ。
「お手を拝借」
既に手は握っているのだけれど、こういう言葉があった方が気が乗るのではないかと思い、冗談半分に言ってみる。
……蓮の花は花弁を放出し、それが円形を生み出した。
妖精の通り道、フェアリーサークル。この空間こそが妖精の通り道であるために、すんなりと作ることができた。
本当は草木に円を描いて、そこから空間を飛ぶ魔法なんだけれどね。空間移動をするため、魔力の消費も魔法自体の難易度も高いけど、今回はかなりのイージーモードとなっております。
そんなフェアリーサークルに二人で飛び込んで―――少々の吐き気と浮上感が、身体を大きく揺さぶった。
***
「ごほっ、えぇほっ……!!」
「マツリさん!?」
出てきた、外だ。
心配そうな表情で駆けてくるミーアちゃんを手で制し、よっこいしょと声を出しつつ、もう一人の手を引っ張る。
……あ、結構重い。でも口に出したら流石に失礼なので、自制する。
そういうところ、きちんと分かりますのよ?最近乙女になったばかりとはいえ、体重多いとか言われるのは地味にショックですので。
想うだけでアウトと言われてはまあ、その通りなのだが。
「―――泣き女」
「ミールちゃんもストップ。もう敵意なんてないから。シルラーズさんもあれです、魔術解いていいですよ?」
「そうか。そのようだな。……では、あとはゆっくりと、君が与える結末を見届けるとしよう」
物分かりというか、理解力が高いなぁシルラーズさん。流石ですよね。
―――さて。
「オネイルズはもう、冥府の旅へと足を進めてしまった。巻き戻すことはできないよ」
泣き女さんの顔を自分の胸へとうめて、いい子いい子と背中をさすりながら、言い聞かせる。
これは現実。どうしようもない事実。
こればかりはきちんと理解してもらわないといけないから。
「だけど、オネイルズに追いつくことはできる。……当然、この世に君の命は残らないけれど」
これが、終わらせ方ということだ。
話としては邪道も邪道、三流作家が書くようなそんな終わりだけどね。
俺にはこういう終焉しか、与えられそうになかったから。もう既に、ハッピーエンドへと切り替えできるポイントは通り過ぎてしまっていたのだ。
胸に抱いた泣き女さんの震えが、止まる。
「それでいいのなら、俺は君の復讐を終わらせられるけど―――」
「いいわ。……お願い」
少しばかり、投げやりに聞こえた。
……それじゃあだめだよ、泣き女さん。
「最期の時を一緒に歩くんだよ。そんな感じで彼に会いたい訳じゃないでしょう?」
「歩く?」
「そう、歩くんだ。もう一度だけ、君はオネイルズに会えるってことだよ」
冥府の道を歩いている途中のオネイルズ。
今から行けば、まだ間に合うだろう。
せめて、その旅路を歩き終えるまでは、手を繋いだまま一緒に居ることができる。
俺を見上げた泣き女さんの瞳に、虚ろな灰色以外の色が灯った。
……それでいい。彼は、そんな君が好きだったんだから。
「最期だとしても、私の命を代償としたとしても。あの人に会えるなら、私は行きたい」
「うん―――分かりました」
それだけの意思が芽生えたのなら、大丈夫でしょう。
行きはよいよい帰りは恐い……はちょっと違う。行きだって怖いのだ。
冥府訪問神話は、必ず行きで様々な波乱に巻き込まれる。他の者に魔法をかけてもらい、送られたのだとしても、きちんとした意思がないと辿り着くことはできないのだ。
「目を閉じて、眠りなさい」
背中に置いた手を、頭へと移動させる。
軽く当てて、語り掛ける。
「『歩け、進め、振り返らず』」
短い言葉。身体から霧のような、煙のような何かが生み出されているのが分かった。
限界を超えて魔法を使っているのに、身体には痛みはなく、寧ろ随分と動かしやすい……この煙霧のおかげだろう。
いい事だけでもなさそうだけど。絶対に副作用か何かあると思われる。
ただで得られる力なんてないのだから。
でも、今だけはありがたく使わせてもらおう。あとで俺が支払うべき代償は支払うさ。
「『征きなさい、私が許します―――さあ……千の夜へと、融けなさい』」
「……ありがとう、魔法使い」
その言葉を最後に、腕の中の感触がふわりと消えた。
逝ったのだ、冥府を道を先に進む、自らの愛した人の元へ。
「―――やがて比翼の鳥になれるように祈っているよ、泣き女」
彼女の名前を呟いて、座ったまま空を見上げる。
ああ。冥府は地下にあるんだったっけ。けれど、今は地面を見る気分じゃないな。
そのまま、そっと横になって……眠りにつくようにして、意識が途絶えた。