林檎の果実を君に贈ろう
最後に映った時、その時間は夜だった。
しかし、家の前には松明を持った幾人もの人間が、その仰々しい見た目に似合わず、一糸乱れずに整列していた。
格好からして、恐らくは騎士……でもカーヴィラの街の騎士たちとはその様相が異なっていた。
俺は、あの騎士たちを知っている。その姿と、行う行為を知っている。だって、魔女について調べれば彼らは必ず出てくるのだから。
……あれは、異端審問を行い、敵とみなした者を刈り取るモノ。
即ち、”魔女狩り”の騎士。
手を伸ばす記憶の主―――泣き女さんに、姿を隠す魔法をかけて、記憶の中で、青年となったハーミットは、その騎士たちに向かって歩いていく。
今の、目の前で消えかけているハーミットと同じ見た目となった、彼は。
泣き女さんを撫でて、瞳から零れた滴を拭い取って。
この先がどうなったか、なんて説明は要らないだろう。異端審問官の仕事は、魔女を、そして異端と判定した魔法使いを殺すこと。
ああ、彼女の人間へと憎悪と、儚さを悲しむ心は、ここが出発点だったのだ。
ここが出発点で……だからこそ、彼女はこの記憶を、捨ててしまったのだ。
今のあの娘には、人間への憎悪と、儚さを憐れむ心しかない。その理由こそが、これなのだ。
「待って、待ってよ!」
「君を一人残して、本当に済まないと思っているんだ。これは、僕のエゴだから。……でも、それでも僕は君に生きていてもらいたい」
俺がいた地球。その、古くはブリテンと呼ばれる、現在ではイギリスという国の一地域となっている場所。
そこににいるあちらさんたちは、異端審問を公に行ったとされている十字教、それと調和し、独特な文化を発生させている。
それこそがあの国に伝わる、あちらさんたちとの奇妙な逸話であり、不可思議な魔法譚を形成しているのだ。
……けれど、あれは、あの調和は奇跡的な物。それがない、魔法はただの異端だと、そう決めつけるだけの人間しかいなかったのなら。
他人を、魔法使いを許容してくれる、その文化が形成されていない、或いは形成されていても、その領域から外れてしまっていたのならば。
―――当然の帰結として、異端者は。処刑、その理を。その身に受けてしまうのだ。
異端審問の騎士たちの剣が、ハーミットへと迫る。
魔法使いは、この世界では恐ろしいほどの力を持つ。
故に、この場では公開処刑すらその選択肢に入らず。
ハーミットの魔法によって姿を消され、そして動けないあの娘の前で―――ハーミットは、その首を、落とされたのだ。
「これが、君の最後なんだね」
「ああ……これが、僕の、最後さ……」
もう、背後は振り向かない。
……きっと、彼は今の姿を見られたくないだろうから。
「ここは、きっとなんとしてでも生き延びるべきだったと思うよ、俺は」
とはいえ。その選択肢を選ぶこと。それがどれだけ大変なことかも理解はできている。
愛する人を守りながら、生き続ける。一度守るだけではなく、永遠に守り続ける。
それは、想像は出来ても実践はできない、そういう類いの物。どれだけ命を燃やしても、才能を持っていても、完璧にできるなどと、言い切ることは不可能な物なのだ。
だから、口は出こういっているけれど、俺はハーミットのその選択を、否定しているわけではない。
「もちろん、一緒に生きることができたらな……そう、思っていたさ……」
ハーミットの声が消えかけている。
最後の力を振り絞っての記憶の変遷。魔力そのもので構成されているものがその魔力を使い果たしたならば、その最期に待ち受けているものは。
「でも……現実っていうのはさ……上手くは、いかないものなんだ……君だって、いつか、分かるだろうさ……」
「そうだね」
記憶の旅が終わる。彼の尊い犠牲を持って。
「ありがとう、ハーミット」
「……あの娘を。僕の妻を、よろしく頼むね」
「任せて」
魂すら燃やして、いつ訪れるか分からない救いの福音を待ち続けた君の願い。
魔法使いとして―――叶えてあげましょう。
千の夜を宿すこの身、本来は不可能なんて言葉は存在しないのだ。
ありとあらゆるその幻想、空想、そして願いを叶えて見せようじゃないか。
お腹から、滴っている血液に向けて、杖を振り落す。
カツン……音が鳴り、その血からタイムの枝が伸びる。
「ああ―――君が言うなら、安心だ……頼んだよ、千夜の移し身……」
甲高い音が鳴り響き、空間が崩壊する。
このセカイを維持するハーミットが消えたためだ。
彼は、泣き女さんのために、魂を燃やし尽くしたのだ。もはや輪廻転生や楽園への道、それらへと向かうことすらできず、ハーミットは消え失せるのだろう。
だから、その前に。彼に贈り物を与えよう。
もう一度、杖を鳴らす。崩れゆく空間、それを支えるタイムの枝とは別の用途を齎すための魔法を使おう。
髪を一本引き抜いて、地面へ落とす。
「『冥府の道をひた歩け。迷わぬように、止まらぬように。この実をもって、その身を守るがいい』」
俺の白い髪が、林檎の樹木を作り出す。
それは即座に成長し、一つの果実を生み出す。
……林檎は、不死を象徴する果実。別の名として、銀の枝とも呼ばれるこれは、不死の国への旅路を守護する力を持つのだ。
古来の魔術では血の代わりにも扱われる、魂の果実。
後ろを見ずに、この果実をハーミットへと投げる。
「良い旅路を、ハーミット。―――仲良く、ね?」
タイムの枝の中に、身を投じる。この記憶を持って、あの娘の元へと戻るために。
さあ、魔法使いの仕事の始まりだ。
「君は……いい、魔法使いになるよ……千夜の魔女すら、超える……」
途切れ途切れの言葉が俺の背中を押した。
―――うん、ありがとう、ハーミット。
いや、あちらさんを愛した男、オネイルズ。
その言葉に誓って、君を一人にはしないよ。その旅路を、孤独な物にはしないよ。
例え、俺がそのために、咎を負ったとしても。呪いを受けたとしても。
あの娘にとっても、そして君にとっても、最も幸福な未来を与えるために、俺は魔法を使うのだから。
***
「―――戻ってきた。マツリ君の反応だ!酷く弱々しいが、それでも戻ってきた」
「本当ですか?!」
「ああ。……ミール、ミーア。マツリ君を引き上げる準備をするぞ。手伝え」
「はい!」「ああ!」
石灰の粉で、魔術的な術式を描く学院長。
手早く描くその姿は、普段のイメージとは違い、随分と心強かった。
「血を借りるぞ、ミーア」
「……はい、存分に」
「ミールは浮き上がってきたマツリ君をしっかり受け止めてくれ」
「ああ、任せろ!」
「様子の調子は回復したが、まだ異変は収まっていないのだろうな。……この調子では、泣き女に対処した瞬間にマツリ君も消えてしまうだろう。やれやれ、あとのことまでしっかり考えてほしいものだが」
「そこが、マツリさんの利点でもあるんだろうと、想います……」
後先考えずに、人を。あるいは妖精を助けに行く。
きっとマツリさんにとって助けるに足るのであれば、あの人は自分がどんな目に合うとしても手を取ってしまうのでしょう。
それが、どれだけ残忍な殺人鬼でも、敵の魔法使いや魔術師でも、或いは魔物と呼ばれる人に仇為す物でも。
それこそがあの人の性分。生き方。それをどうにかすることは、私たちにはできないのだろう。
だから、せめてその助けになればと、私は思うのだ。
私自身が嫌うこの血液であっても……人にも妖精にも毒となる、この血でも、マツリさんを助けられるのであれば、喜んで使いましょう。
私達のせいであの身体となってしまっていても、一切私達を責めずにいた、マツリさんのために。
はたと気が付いた。ああ……私は、あの人に恋しているかもしれませんね。
指先をナイフで切り、血液を零す。
学院長がそれを掬いとって、石灰の粉とは別の陣を描いた。
「マツリ君が泣き女をどうにかする、という事を信じて。その後のための魔術を形作った。……さあ、正念場だぞ、頑張るんだ」
学院長の言葉が、現在を顕す全て。
……マツリさん、頑張ってください。