記憶の旅
「この頃の僕は、向こう側の存在を見るための薬を作るために苦心していたらしい」
「……妖精の軟膏?」
「ああ。それこそ書斎を全てひっくり返して、ね。僕はかなりの魔法使いの才能を持って生まれたらしいから、親も特に何も言ってこなかったそうだよ。それが普通のことなんだってね」
他人事のように言う。
自分のことであるはずの、この記憶を。
「さあ、次にいこうか」
再び指が鳴らされる。
それに伴って、景色が変わり、次に現れたものは……。
「ううあああああおおおおお?!」
転げまわる、子供の姿のハーミットだった。
「失敗してんじゃん!」
「いや、まあ、そういうこともあるさっ」
まあ、確かに妖精の軟膏というものは作るのが難しい薬品ではある。
目に激痛が奔ったために転げまわっているようだが、それで済んだのであれば寧ろ上々と言えるだろう。
だって、あれ失敗すると目が見えなくなりますもん。
ハイリスクハイリターンってやつなのだ。
でも、逆にいえばそうまでしてみたいあちらさんがいるってことだよね。
あちらさんの中でも、力あるヒトは、魔法使いの才能を持つ者達からですら姿を隠すことができる。魔法で隠密状態になっている的な感じだ。
それを自分の魔法だけで崩せない場合に、こういった軟膏を使ったりするわけだけれど。
「いや、違う。こういうことばかりだったらしい。作っては失敗して、でもまた作って」
「諦めが悪いなぁ」
そういう心、嫌いじゃないよ。
そうまでしてやりたいことがあるってことは、賞賛すべきことだから。
……さて、さっき抱いた違和感だけれど、少し見えてきたかな。
「あまり時間もないからね。次だ」
「うん」
さあ、この見えてきた違和感を確信へと変えようじゃないか。
この記憶の正体を。この、ハーミットの正体を。
「次は、最も輝いていた記憶。ずっと続けばいいのにと、そう今でも思っている記憶だ」
きっとこの記憶の旅は、そう長くは続かない。いや、続けられない。
これを見せてくれているハーミットの力もいつまでも持つものではないし、この記憶を見るという事自体が貴重な機会であり、偶発的なものなのだ。
「しっかり、見て焼き付けてくれ。もう僕は長くはないから」
「…………うん」
右腕で指を鳴らす。―――左手は、薄く透け始め、消えて行ってしまっていた。
恐らく、あと二回。この記憶の変遷は二回で終わる。
そして最後にこれを持ってきたという事は、あとの二回こそが最も重要な記憶という事だ。
脳裏に焼き付けろ、記憶して、そして忘れるな。
「やっと、見えた!」
―――ハーミットが話しかけてきた。
当然、若い姿のハーミット。そして話しかけてきたという事は、つまるところ、妖精の軟膏が完成したのだ。
姿を隠すあちらさんすら見つけることができる、妖精の軟膏を。
しかし、その姿は書斎で見た彼よりも数年以上年を取った姿になっていた。ギリギリ少年と、そう呼べる程度の年齢だろうか。
そんな彼に対し、記憶はいう。
「そんなにしてまで、私を見ようとするなんて、愚かね」
冷たく、突き放すように。
「そうかな?僕は君を見るためにした努力を悔いてはいないよ。偶々だけど、魔法の練習にもなっていたし」
「第一、何故私を見ようとするのかしら。この家の主ならば私が何者かなんて、分かるでしょうに」
「うん、もちろん!この家の守護者、美しき泣き女!」
ハーミットは、腕を取る。
そして無邪気にやっと会えたと、そう笑う。
「僕が赤ん坊のころ、君がずっと守ってくれていた。ずっと、それを見ていたんだ。君が姿を隠しても、その気配は感じていた」
「それは当然よ。私はこの家の守護妖精。ただの責務よ」
「それでも僕はうれしかった。そして、お礼を言いたかったんだ」
「お礼……?」
お礼を言う。ただそれだけの目標のために、彼はその妖精の軟膏を作り上げた。
正直に言おう。妖精の軟膏とは作るのが難しい、などと許容すること自体が烏滸がましいほどの作成難易度を誇る、魔法薬品の中でも最高位の道具だ。
何故なら、これを使えばただの一般人でもあちらさんを見ることができる。女王たちですら、その眼で拝謁することが可能になる。
本来ならば熟達した魔法使いが何年もかけてようやく作り上げる物。
それを、この若さで独学で作るなんてこと……ハーミットの腕前が考えられない程に高いことを示しているのだ。
「ありがとう、泣き女。僕をずっと、守ってくれていて。これからも守ってくれて」
「それ、だけ……?それだけのために?」
「うん。でも僕にとってはそれだけなんかじゃないよ。僕は君が好きだから。好きな人に会いたいって思うことのどこがそれだけなんだい?」
ああ、歯が浮くような言葉をよくもそんなさらさらと言えるよね!
でもこれが最も輝いていた記憶か。確かにそうかもね。
あの娘にとっては、永遠の孤独から解き放ってくれたハーミット、彼との本当の意味での通じ合いこそが大切な物になるのは、当然と言えるだろう。
「それで、なんだけどさ……僕、今告白したんだけど、答え貰ってもいい?」
「こくはく?」
「君たちだって結婚概念あるだろー!女王と王様みたいな……そう、番い!」
「わ、私と番いになりたいの?」
「君としか、なりたくないんだよ。僕の大事で大切な愛しい妖精」
ずっと守護をしてきたあちらさんと、それに気付き思いを募らせた魔法使い。
たった二人だけの、この家の住人。
人と妖精の結婚譚なんて、たいてい不幸しか生まないものだ。それでも―――。
「私は、妖精よ。それでも……いいの?」
「もちろん。大好きだ、―――――!!」
象牙の指輪を、左手の薬指へゆっくりと着けて――――。
「……っ!!」
ザワリ……ノイズが走り、記憶が強制的に変遷していく。
おかしい、まだハーミットは指を鳴らしていない。
いや、まって?そもそもこの記憶は、ハーミットのものじゃない!あくまでもハーミットは冥府の淵という曖昧なところ、曖昧な存在として記憶の先導者として俺を連れていただけだ。
ということは。
「ハーミット!」
「……大丈夫、あと一回。しっかり見せるから、安心していいよ」
「っ!」
身体の半身が、すでに消えかけていた。
先導者とは松明の様な物。明かりがなくなれば記憶を照らすこともできず、記憶の変遷は意図しないところで行われてしまうだろう。
ハーミットは冥府を漂う魂の様な物。即ち、魔力でできていると言っても間違いではない。
……彼は、自分の存在を犠牲にして、この記憶を見せているのだ。
消えかけた体を動かして、指を鳴らす。
最後の記憶の変遷が、行われる。
「変遷の移行が遅い……!」
ハーミットの力が弱くなっているためだ。
でも、そのために……そこまでの記憶が、部分的に覗いて見えた。
あの家の中で、二人で一緒の椅子に座っている光景が。
同じ食卓を囲み、同じものを食べで笑い合う様子が。
手をつないで、森を歩く幻想的な風景が。
変遷の途中に生まれた硝子の破片の様な空間に映りこんだそれを、見つめる。
彼らの大事な記憶を。
「しっかり、見てくれ。あの娘の記憶を……」
あの泣き女さんが、忘れて行ってしまった、この記憶を―――!!