夢であってほしかった
「―――ハッ!なんだ、夢か」
「いいえ、夢ではありません。……おはようございます」
「起きたか、マツリ。おはよう」
目が覚めた時に可愛らしくて美人な双子が左右両隣から見下ろしてくれているこの幸せ、分かりますか。
分かりますよね。
男の夢であります。
上半身だけ起こし、二人におはようと返す。
「おい学院長」
「お?起きたのか」
湯気の立っている紅茶片手に、火のついていない煙草を口にくわえながら俺が寝ている寝台へ寄ってくる、紅色の髪の女の人。
ちなみに、手袋はしていない。
「ちょっと失礼するよ」
「え?」
ピタリ―――と、服の隙間に手を入れられて、心臓付近に触られる。
……仄かにあったかい手が、何ともくすぐったい感触を与えてくる。
触診……なのだろうが、なんだろう。
すこし、手の動きが……おかしい……ような……!
「ん~いい感触♪」
「ちょっと?!」
「はは、冗談冗談」
カラカラと笑う、学院長と呼ばれた紅色の髪の女性。
絶対冗談なんかじゃないぞ、あれ……。そもそも俺の胸なんてもんだところで何になるというのだろうか。
「あれ、その身長の割にはちょっと大きくない?」
「何の話ですか!」
「おっぱ」
「やめろぉ!」
なんでそうストレートに言おうとするかな?!
だめだ……この人自由奔放すぎるぞ……。
後ろを見ると、双子の騎士も、「ああまたか」というようなため息をついているあたり、いつものことなのだろうと納得してしまった。
「……で、どうなんだ」
「うん。間違いなく魔法使いになっているね。私は魔術師だからそれしかわからないけど」
「んー……魔法使いですか?」
「そう、魔法使い」
「誰が?」
「君が」
「俺が?」
「うん」
「俺が魔法使い……はあ……?」
「まあ実感ないよね」
「はい、まったく」
あははーと笑い合う俺と学院長と呼ばれている女性。
ちなみにまだ名前を知らないことを思い出す。
「ちなみに学院長!お名前を伺ってもよろしいですか!」
「おっと、これは失礼。まだ名乗ってなかったな。私はシルラーズ・ローズマリー。この街にある最も大きな学院の長を務めている」
「あ、だから学院長なんですね」
「そういうことだ。…………で、そろそろ現実見たらどうだ?」
「いやなんのことかさっぱりですわー」
起きてから俺はまだ一回も自分の目線を下へ向けていない。
何故かって?それはあれだ。
男としての大事な尊厳が消えてなくなっているような気がしてならないからである。
「おいおい、今更なにを言ってるのやら。君が寝ている間に、下がなくなっていることまで確認済みだぞ?」
「えーーーーー?!」
「冗談だが」
「やめろよ質悪いわその冗談!!」
「でも、そんな立派なものぶら下げといて何をいまさらっていうのはあるがね」
「……姉さん……私、罪悪感は感じていますが、あの胸の大きさだけは許せません……」
「ミーア……」
ミーアちゃんにものすごく微妙な瞳で見られている。
……これ、俺のせいかなぁ………。
一つ、ため息を吐く。
どうやら、現実を見なければいけないらしい……なるべくなら夢として覚めてほしいものだが……。
いや、その場合、ミーアちゃんミールちゃんとの出会いも消えてしまうのか。
それは困る。
――ええい、男は度胸だ!
「………………………………でっ!この体はどういうことなんですか!」
「随分ためましたね、姉さん」
「ああ、なかなかに踏ん切り着くの遅かったな、ミーア」
「ちょっと外野うるさい!」
「うーん、ま。簡単に説明するとねぇ」
煙草に親指で触り、着火させたシルラーズさん。
「君は魔女―――”千夜の魔女”に、身体を乗っ取られかけたのさ。憑依ってやつだな。――で、その身体は、憑依の時に造り替えられてしまった肉体、ということだ」
「魔女」
「うん。こわーい魔女さ」
「……造り替えられ?」
「全部、完全にね」
「…………戻ったりは?」
「魔女は強い力持っているからねぇ。今のところ解呪手段は――――ない」
そっと上を見上げる。
見知らぬ天井があった。
うん、とうなずき正面を向く。
そして――――。
「そ、そんなあああああああああああああ?!!!?!?!」
頭を抱えて、絶叫したのであった。まる。
***
「…………ま、まあいいです……。前向きに考えます」
「かれこれ三十分くらい悩んでいる気がしたけどねぇ」
「そこには突っ込まないでください」
男にはいろいろあるんです。
……元男だろ、とかいう突込みはいらない。
それに、前向きにという考え自体は本当のことだ。
何せ魔法使いというもの……実に興味がそそられる。
「で!で!魔法使いって!」
「うん?そのままさ。魔法を扱う存在のことだよ」
「ということは、シルラーズさんも魔法使いなんですか?」
「いや、私は魔術師だ」
「…………ん?なにがちがうんですか……?」
俺には同じものにしか思えないが。
「簡単に説明しますと、魔術師というものは自身で生み出した魔力を扱います。そして魔法使いは、自然界に存在する魔力を扱います」
「まあ魔法使いも魔力を生み出せないわけじゃないがね」
「よし分からない!」
「いや、諦めるの速いわ!」
ミールちゃんからの鋭いツッコミが入りました。
その性格にピッタリのツッコミキャラで安心した。
「……まあ、そこは追々勉強だな。とりあえず、今は休みなさい」
「休む?いや、起きたばっかりですよ」
学院長の言葉にそう答える。
だって、随分眠ったし。これ以上休む必要はないと思うのだが。
そう思い、ベッドから足を出して立ち上がろうとするが。
「……あれ?」
―――立てない。
挙句、足を付いたところからひどい筋肉痛のような痛みが襲ってくる。
「…………ぬのののの……」
「ああああ、お早くお戻りください」
「あ、ありがとうミーアちゃん……」
ミーアちゃんに身体を支えてもらってベッドまで戻してもらう。
あ、意外とミーアちゃん力あるんだね……。
細腕なのに、俺を支えられるなんてすごい。
…………あ、俺の身長その他もろもろ、極一部分を除いて軒並み小さくなっていることを忘れていた。
深く考えるとショックなので思考を停止した。
「いえ……マツリさんがそうなってしまった責任の一端は、私にありますので。……まさか、千夜の魔女のいる場所への依頼だったなんて……」
「なーにいってんの、ミーアちゃん。別に俺は誰かを責めてなんていないぜ?」
「しかし、あれだけ悩んでいらっしゃったではないですか」
「ああー、あれか」
あれはまた別の理由。
それにしても、どうしてかはわからないが、ミーアちゃんは俺に対して罪悪感的なものを感じている様子。
暗い沈んだ表情では、せっかくの美人が廃るってものだ。
―――うん。
うつむいたミーアちゃんの両頬に指を伸ばす。
「ほらほら、笑って笑って?俺が悩んでたのは男の尊厳的なもので、ちっぽけなものだよ。君が暗い表情を浮かべる必要なんてないくらいのものさ」
おお、いい感触。
もっちりすべすべした肌……ずっと触っていたくなるほどだ。
そのまま両手で頬肉をやさしく引っ張る。
「おい、マツリ!」
「――――ッ?!」
「……?どしたの―――ハッ!ごめん、いきなり触ってしまった……!?」
つい……本当にそれしかない。
気がついたらほっぺたを触るなど……嫌な人なら本当に嫌がるだろう。
セクハラ待ったなしだ。
「ね、姉さん!」
「ああ――マツリ、手を見せろ!」
「手?うん、いいよ」
求められるままに両手を広げて差し出す。
穴が開くほど――という表現がぴったりなレベルで俺の手を凝視しているミールちゃん。
俺の手……そんなに変……?
「……異常が……ない?」
「私から見ても一切の問題がないな……。これは驚いた」
ひょいっと横から、同じように俺の手をのぞき込んだシルラーズさんも、そんなことを言った。
……なんだろう。
「え、俺の手ってそんな病原菌みたいな……?」
「い、いえいえ!逆です……その……」
「ん~、まあそこら辺の事情もまた今度、かな。ごめん、私これからちょっと顔出さないといけないところがあってね」
「あ、そうなんですか?」
「大人の事情ってやつさ」
「……大人?」
「誰だ、大人って?」
「おいそこの双子ちゃん?」
わざわざ突っ込むために身を翻すシルラーズさん。
しかし、用事があるということは本当らしい。
それ以上はこちらに戻ることはなく、ひとつ、指示だけ出すと、この場を去っていったのであった。
「……ミーア、ミール。図書館の基礎魔学類魔法学綱の、魔女目と魔法使い目にある”千夜の魔女の呪い”と”魔法の分類”を読ませておけ」
「しかし、彼……彼女……いや彼……」
「あ、お好きにどうぞ」
「では彼女は」
彼女で固定か……。
自分からお好きにといっておいてなんだが、すこしだけ微妙な感じ。
「彼女は異邦人です。文字が読めないのですが」
「いや……今は大丈夫だろうさ」
「……?」
「まあ、持ってくれば分かるよ―――じゃあね♪」
軽く手を振って去って行ってしまうシルラーズさん。
……彼女にしかわからない何かがあるのだろうが……。
「まあ、シルラーズさんの言う通りにしてみればいいかな。……ごめん、その本取ってきてくれるかな?」
「かしこまりました。姉さんはここにいてくださいね」
「うむ、わかっている」
腰の剣に手をかけ、キリッと答えるミールちゃん。
おお、かっこいい……護衛みたいな感じだろうか!
「出入り禁止受けている人を連れていくわけにはいきませんからね」
「なぁっ!?違うぞ!あれは私だけのせいではない!」
「……出禁かー……」
「おわ、こらマツリ!そんな呆れた目で見るんじゃない!」
まあこれだけ血気盛んというか、ぷっつんしやすい性格なら、一線は超えないとしても至る所で問題は起こしているだろうなぁ……。
とはいえ、短い間に分かったが、その一本筋の通った性格こそが美点なのも事実。
基本的にはサバサバしていて、とても付き合いの良い人であることに変わりはないしな。
なにより弄りがいがあることも非常にグッドである。
「なんだ、その親指は……なぜかイラつくぞ」
「いや、きっと気のせいだ」
おっと無自覚にサムズアップしてしまった。
扉の方を見ると、ミーアちゃんがもう部屋の外に出ようとしているところだった。
「すぐ戻ってきますので」
「はーい。いってらっしゃい」
行儀よく一礼すると、彼女は去っていったのだった。