薬草魔法
「放せ……放して!」
「あっと、ごめんね泣き女さん」
もがく彼女に巻き付けていた手をほどいて、向かいあう。
初めて声を聴いたけど―――美しい声だった。窓辺で聞く、細やかな雨音の様な違和感も嫌悪感も抱かせない自然な声。
でもそんな綺麗な声が、悲しみの色に染まっているのは駄目だよね。
「私たちの家に入ってこないで……あの人との記憶を穢さないで―――」
「穢すつもりなんてかけらもないよ。ちょっと伝えたいことがあるだけだから」
本当にそれだけ。
いや、正確にいえば―――渡す物がある、の方が正しいかな。
まあどちらにしても同じこと。ということで手早く済ませよう……というわけにも、行かないようである。
「嘘。絶対に嘘。ニンゲンは嘘吐きだもの……信じないわ。今までも魔法使いや魔術師がこの家を狙ってきた!あなたもそうなのでしょう!」
「あー……ええっと」
微妙に否定できないのがつらい。
確かに家の確保という目的があるのも事実なんだよね。実際はそのあたりどうにかしようと思えばできるのかもしれないけれどね。
結局住む場所は自分で作りだせるのだから。
だから、俺の目的だけで言えば確かに、泣き女さんとわざわざ敵対してまでこの家を確保する必要はないのだ。
それでも。俺はこの娘を悲しみから解放するべきだと思うから―――無理矢理泣き女さんの心の中に踏み込むのだ。
例え、それが彼女の傷を抉る行為であったとしても。
……違うかな。傷を、抉らないといけないんだ。この場合は。
「ごめんね」
先に謝っておく。だって痛いことをしてしまうから。
「帰りなさい、今すぐに」
「んー……それは、無理だよ」
「なら―――死になさい」
「それもちょっと無理だよ。待っている人が居るから」
なにせきちんと帰らないと殺されちゃうからさ。
泣き女さんの意識が、俺に対して明確な敵意を持ったために周囲水が急に重く感じた。
……しかも、少し息苦しい感じもある。実際にこの空間では本当の水のようになったという事なんだろう。
ここは地面の下。でも、古来からブリテン島やアイルランドの地下には、普通の人間は行くことができないある場所があるといわれている。
―――即ち、妖精の国。
あちらさんたちの住まう、妖精の楽園。
今俺がいるこの場所は、妖精の国そのものではなくて、正確にいえば妖精の国と人間のセカイの境界なんだろうけどね。
つまるところ通り道であり、力のあるあちらさんならば、多少ならば自分の思う通りに書き換えられる場所。
そんな場所であれば、この娘の思念に応じて息苦しさを強めたのは至極当然ともいえる。
「んもう。分からず屋だねぇ、君って!」
「―――息が出来ているの?」
「そりゃまあ」
俺の身体は千夜さんに浸食されてできたものですから。
本物に近い水とはいえ、あくまでもこの場所に満ちるこれらはあちらさんの力で生み出された魔法の水である。
なら、同じ妖精に近い俺の身体なら受ける影響は非常に少なくて済むのだ。ほら、魔力耐性が高い的な感じで。
―――だからと言って息苦しくないわけではないけどね!窒息死はしないだけでつらいにはつらいのだ。
という事で、俺も少しは抵抗しないとね。
重い腕を動かして、杖を構えた。さ、全力でやりましょう!
未熟な魔法使いの、そのまた見習いだけど、ここは退けないからさ。
「馬鹿ね……息が出来たからって、この空間で私に勝てるわけがないじゃない」
「そうかもね。でもさ、最初から勝つつもりなんてないから、どっちでもいいんだ」
魔力を込めて杖を振るう。
杖の下部、パイプの部分から霧煙が生み出されて、俺の身体を淡く包んだ。
霧煙に紛れている香りはタイムの残り香。リーフちゃんから頂いたあれを触媒として使用したのである。
タイムは効能の強いハーブであるけれど、浄化作用も強いのだ。呪いとかを祓ったり、消したり……それが出来なくても影響を抑えることができるのである。
俺の杖の模様としても使われているし、呪文にも入っているくらいに俺と相性のいいハーブでもあったりするのですが。
ということでその相棒みたいなハーブの香りで守護の魔法とする。傷つけるつもりはないからね、基本は防御ですよ。
「薬草魔法!―――目障りね、お前は!」
「ここまで敵意持たれたのは生まれて初めてかも!」
ちなみにワートっていうのは薬草……ハーブを意味する古い言葉だったりする。ヨモギのことをマグワートっていうけれど、これの名残だったりします。
……とと、言葉の解説なんてしている場合じゃなかった。
「貫きなさい!」
「うわぁ暴力反対!」
水中を蹴るという、現実でも体験するようなしないような微妙な行動をして槍のように鋭さを増した水を回避する。
霧煙で包まれている場所の水は泣き女さんの命令でも変化しないけれど、その外から形状変化して襲ってくるものまではどうしようもない。
身体を使って避けるしかないのだ。運動不足にはかなりつらい。
ああ、何とかしてあの娘に近づかないと行けないのに!
「仕方ないなあもう!『貴方の血液くださいな。私が樹木に成れたなら、枝葉を一本還しましょう!』」
本当に気の強い人だよね、全く。
杖を横薙ぎに振るう―――すると、俺の身体を包む霧煙が姿と香りを変化させた。
霧煙の形状はエルダーの枝。呪術的な攻撃を跳ね返す、守護を超えた反撃の効果を持つ薬草だ。
俺の魔法によって生み出されたエルダーの枝は、水の中を跳ねまわる異分子を串刺しにしようと、幾つも生み出される水の槍に巻き付いて。
ビシャリ!不定形であるはずの水の槍を受け止めて見せた。
「構わずに貫いて。そんな魔法、消し飛ばしなさい」
……魔法のエルダーの枝から、血液のように赤い樹液が染みだした。
それは泣き女さんの水に溶け込むと、槍の形状を溶かしてしまい、ただの水へと戻ってしまった。
「お前……ただの魔法使いじゃないわけね」
「いやー魔法使い名乗れるようなレベルでもないんですけどね」
「防がれるというのなら、それ以上の数を打つだけよ。東洋には数打てば当たるという言葉があるっていうのだから!」
良く知っていますね!というか諺は異世界でも共通なんですかっ!
……さて、エルダーについてだけど。日本語名で言えばセイヨウニワトコという薬草……樹木なんだけど、これはタイムとは違う効果を持つハーブだ。
タイムが除霊といいますか、悪いことを寄せ付けないようにする、あるいは受けても軽減するものであるとすれば、こちらは攻撃を確実に相手に返す呪い返しの側面すら持つ薬草なのです。
もちろん傷つけるつもりなんてないから、槍を消すだけなんだけどね。
某有名な魔法使い作品の学園長の杖がこのニワトコの杖だったように、この薬草は昔から魔女や魔法使いの杖として使われてきた。
それだけ強いという事なんだけど……魔力消費もなかなか多くて、実は今、俺の身体が結構悲鳴上げていたりする。