一歩を踏み出して
気合を入れて、さあ―――もう一歩を踏み出そう。
臆する必要はない。意味もないからね。俺らしく、この娘の事を知るために堂々と首を突っ込むのだ。
それが、茉莉という人間なんだから。
そんなわけで当たり前のように足を進めようとしていたら……。
「おいマツリ、下がれ!」
「ふえ?」
「危険です!」
「んぬわぁ?」
首根っこをひっつかまれて後ろにぽいっとされた。
……いや、二人分の力だから結構な勢いでしたよ。首が絞まりました。ついでに尻もちをつきました。
二人って結構力強いんだね。そりゃあ騎士だし当然ですよね。
服の首元を手で引っ張りながら息苦しさを緩和してみた。窒息の感覚って結構長引くんだよね。
そんなことを想いつつ顔をあげてみたら……あれ。
泣き女さんの周囲に、大中小様々な雨粒のようなものが浮いているのが見えた。ん……いや、ようなものじゃなくて、雨粒そのものだ、あれ。
薄青の半透明の液体。水色のビー玉が浮かんでいる様にも見えるこの風景は、素直に言えばとても綺麗である。
さて俺の感想はさておいて、と。実際雨粒かどうかは関係なくて……問題は浮いている、ということ。
雨は降るもので浮くものじゃない。普通じゃない現象を、あちらさんが起こしているともなれば、それが厄介なことであるという確率は大幅に高まるのです。うーん、世知辛いね。
「―――――!!!」
「あ、やっぱり?!」
威嚇の様な声が聞こえた瞬間に、雨粒が一斉に敵意を剥いた。
多分その声は俺にしか聞こえなかったんだろうけれど……それでも、双子の騎士は即座に反応して見せた。
「ふッ!!」
「せ……い!」
まさに息ピッタリ。身体に降りかかる雨粒を的確に切り捨てた二人。
俺を常に背後にして、剣を構えるその姿は確かに、皆を守る騎士の姿であった。まあ今回は俺一人を守ってくれているんだけどね。
……こんなに可愛くて別嬪さんなのに、強いんだなぁ。しみじみ。
「やるじゃないか、二人とも」
「おい学院長、もはや動きすらしなかったな?」
「怠惰ですか、堕落ですか。首を切り落としましょうか?」
「辛辣な上に物騒だな……。なに、君たちなら何とかするだろうと思っていただけさ」
「物は言いようですね。さて、マツリさん―――流石に危機感なさすぎでは?」
「イヤ、うん、ごめん。ほんとごめん」
二人が切り捨てた水滴が、ぴしゃりと地面へと落下した。
うーん、久しぶりにミーアちゃんから冷たい目で見られました。
こういう時って謝るしかできないよね。だって全面的に悪いのは俺なんだし。
威嚇状態の人に意気揚々と歩いていくのは流石にアホ、といいますか……。
―――でも、やっぱりもう一回、泣き女さんに近づかなければいけないと思うんだよね。
立ち上がってお尻の埃を払い、杖を改めて握りしめる。
「マツリ君。無理はするなよ」
「シルラーズさん……もしかして、俺が何をするつもりか、分かってます?」
「君の性格はなんとなく察したと言っただろう?」
「そういえばそんなことを……」
言っていたような気がする。
「まったく、君はいつも捨て身だな。自覚はないのだろうが」
「捨て身なんかじゃないですよ?」
「ならば無頓着が正解か。……ふ、君の魔法使いの力、見させてもらうとしよう―――さあ、張りきっていってきなさい」
「はい!」
シルラーズさんの両手が俺の頭と顔を覆う。
そして、耳元で囁かれた。
「君のやりたいようにやるがいい。それがきっと最善なのさ」
んっ……耳元の声は凄くぞわぞわする……いやそれは今関係ないでしょうがっ!
ともかく、シルラーズさんからの許可も出たことだし!
さ、やるべきことのために、俺のやりたいようにするとしましょう。
いやまあ、絶対そのあとに双子ちゃんに怒られるだろうけど……それはそれで仕方ないよね。二人になら、怒られるのも嫌いじゃないし。
あ、別にえむな人というわけではないのであしからず?
「ミールちゃん、ミーアちゃん。守ってくれてありがとう。でも、ちょっと行ってくるよ」
「な、なに?!」
「正気ですか?」
「あー、うん割と正気ですよ?」
これでも。いやこれでもとか自分で言うのもあれですが。
でも引く気はない。これは魔法使い……の見習い、である俺の意地の問題でもあるんだから。
二人の顔をしっかりと見据える。少しの時間の後、ミーアちゃんが諦めたような溜息をついた。
「まったく、マツリさんは変人です。変態です」
「待って変態は今関係なくない?」
否定はしないけども。出来ないけども!
――ごめんね、また溜息なんてつかせてしまって。きちんとお詫びはするから。
「姉さん、たぶん―――言っても無理です」
「いや待て、ミーア。止めないと不味いだろう!今だって睨み合っているだけだ、ここから一歩でも踏み出せばすぐさま攻撃してくるぞ?」
「でしょうね。……でも、マツリさんの持つ妖精としての感覚です。私たちにはどうしようもないものなのです」
「妖精、か。あぁ全く!ならば仕方ないな、本当に!」
「えっと、ごめん?」
「謝るくらいならば、しっかり戻ってくる約束をしろ!……いいか、ミーアを悲しませたら殺すからな」
「うん。もし悲しませちゃったら存分に殺してくださいな」
若干苦笑しながら、ミールちゃんに笑いかけて約束した。
もちろん、そうならないように気を付けるけどね。
女の子を悲しませるのなんて男の風上にも置けない。もう俺の身体は男じゃないっていうことは何度も言っているけれど、それでも女の子を悲しませることだけはしたくないのだ。
目の前の双子みたいに、大事な人たちならば特に、ね。
だから、この試練をしっかり完璧に終わらせて、ハッピーエンドってやつにしてみせよう。
長老様の望み、シルラーズさんの考え、双子の心配に名前も知らない誰かの願い。
魔法使いならその全部をこなして見せないといけないからね。
御伽噺っていうのはそういうものなのだ!
双子に頷いて見せて、二人の真ん中を歩き出す。
「いってきます」
「「武運を」!」
ああ、何だ。やっぱり双子なんだ。
似てないように見えて、こういう時には同じ言葉を使うんだね。
それが少しだけ面白かった。
「―――さ、あちらさん。悲しき顔の美しい隣人さん。俺と一曲踊りませんか?」
その表情を解して見せるから。拙い踊りだけど、手を取ってくれると嬉しいな。
「…………!!!!」
泣き女さんの顔に手が触れられるほどの距離にまで近づく。
後ろの双子が息を飲む音が聞こえた。でも大丈夫だよ。
「――――!!!」
近づくな。俺にしか聞こえない声で、泣き女さんはそう言った。
でも近づかないと大切なことを伝えられないから。その言葉を無視して、泣き女さんの手を無理やりに取る。
……直後、地面に雫の波紋がいくつも顕れた。
地面があったはずの空間が揺らいでいるのだ。あちらさんの魔法の発現……その予兆。
プーカは最初に会った時、周囲全てを恐ろしいほどの鋭さを持つ刃に上書きしていた。多分、この泣き女さんも同じようなことはできるだろう。
きっとこの力に巻き込まれればただでは済まない。けれど、巻き込まれないと見習いでしかない俺にはどうしようもない!
だから自ら入っていく。それしか手段がないんだから。
「マツリさん?!」
「ちゃんと、戻ってくるよ」
泣き女さんをふわりと抱きしめながら、悲鳴を上げたミーアちゃんにきちんと言葉を送る。
心配させないように少し微笑みながらね。ここ大事だよ?笑顔って心配を吹き飛ばす力があるからね。
さて。とうとう地面から水が噴き出してきた。もう待てないと言わんばかりです。
それは触手のように形を成し、俺を一瞬で包み込んで……波紋が浮かぶ地面の中に、引き摺りこんだ。
息苦しさを覚えるこの感覚は、実際に水の中にいるかのようだ。いや、たぶん本当に水の中なんだろうなぁ。
腕の中の泣き女さんがもがくけれど、ちょっと強めに抱きしめておいて――いま落ちた地面を見上げる。
あら、落ちた場所が光っている。穴が空いているのだ。……だんだんと閉じ始めているけどね。
地面を見上げるなんて体験、そうはないけど、もういいかなって思った。だって、ちょっと切ないんだもの。
まるで棺桶の中みたい。いや実際に入ったことはないけどね。イメージイメージ。