魔女と会う
***
「おー、ここが目的地かー……ふぅ」
それなりに走りながら来たため、かなり息が上がっている。心臓もかなりうるさい。
体温もかなり高くなっているみたいで、少し汗ばんでいた。
……あ、やばい。これ借り物の服なのに、汗臭くしてしまったかもしれない。
「先に洗濯して返さないとなー。さてと、あとはこの風景の写真を撮るだけか」
ちなみに、目的の場所は、広い湖だ。
湖畔に三脚を設置し、使い方を教えても貰ったカメラを置く。
「ピーッスっと……いや、そんなことしないけどさ」
宝石の方がカメラのレンズとなっているらしく、そちらを被写体……つまりは、湖の中心方向に向け、放置。
十分ほど置いておけば目的の写真が、保存されるらしい。
結局仕組みはよくわかっていないが。
最終的には、このカメラの本来の持ち主の所に帰った時に、ポラロイドカメラのように写真が自動現像されるようだ。
「便利なことで……ふあああ……」
しかし、十分間も何しない、というのも暇だ。
たかが十分、されど十分。
十分あればいろんなことができるのだ。……いやまあ、できないことも多いが。
「筋トレ……はやる気起きないし。ゲーム!読書!は、持ってないし……」
そもそもこのセカイでは文字が読めないため、本があっても無駄である。
うーむ、趣味を続けるためには、文字覚えないといけないかな……。
「うう……それにしても寒いな……。それに眠くなってきた」
十分あってもできないこと、それは熟睡だ。
眠るまでに十分かからなくても、実際に寝る時間は十分に満たない。
つまり、眠る意味がないのです……いや、眠いから眠りたいが。
まあ……おそらく、全力疾走の時にかいてしまった汗が乾いて、体温が持っていかれたからだろう。
汗が気化するときに持っていかれる熱量は意外にも多い。
風邪ひかないようにしないとな。今は家もない状態だし。
「あー……そっか。そういえば俺、帰る場所ないのか……」
無一文の宿無し……自分の境遇を再度思い出す。
――まあ、なんとかなるだろう。
というか、なんとかしないとな。
「そろそろか……?いや、それにしても、寒い…………っ?!」
……なんだ?
立ち上がった時に気が付いた。
―――羽織っていたマントがビリビリに裂けていた。
それだけじゃない。寒いのに―――汗が止まらない。
おかしい、これは明らかにおかしいぞ……?!
「ええい、こういう場合は速攻退散だ……」
だが、その前にカメラを回収しないと。
不規則な息遣いのまま、這うように移動する。
やけに左腕が重い。
まるで、誰かに捕まれているようだ。
「――よし、回収だ。……妖精だか悪霊だかは知らないけど、さっさと帰らせてもらうわ」
なにせ、簡単な依頼だそうだ。
ミスしたらミールちゃんに笑われてしまう。
いざ力を込めて走り出そうとした―――が。
……体が、動かない。
先ほどまではまだ移動はできた。しかし今は、一歩、一手たりとも動くことができない―――?!
「痛……痛い。なんだ、左腕が……。おいおい、俺は別に厨二病じゃないんだぞ……」
ミシリ……そんな音が聞こえた気がした。
いや、まさか、錯覚だろう。
だって、左腕には何もいない。何もいないのに、いきなり骨が軋むような音が聞こえるわけがないのだ。
だから、これは幻覚、幻痛。
俺の左側には何もない、首筋にまで上ってくる寒気はただの気のせいだ。
―――そう、誰もいない。……誰も、いない……。
「……いやぁ。誰もいないはず、なんだけどなぁ」
そう、確かに――今までは、誰もいなかった。
目が慣れてきたのか、あるいはほかの要因か。
見えた。見えてしまった。
俺の左腕を、痣ができる程に強く掴み、さらに、腕だけではなく俺の首にまでその細い指を掛ける、真っ白な髪を持つ女の姿を。
景色が歪む。ありえないほどの寒さが左腕から流れ込んでくる。
……ああ、これ。俺、死んだな。
身体を書き換えらるような激痛が襲い、次いで命を初期化されるような苦痛が発生する。
そして、最期に、魂を穢されるような冷痛が襲って来始めた時に――――それは、発生した。
色とりどりの光を纏い、俺と女の周囲を飛び回る妖精達。
その中央に鎮座するのは、緑色の瞳を持った巨大な鷹。
「―――――――――ッッッ!!!」
白い女――いや、女というには少々年若すぎる。
少女。少女が、声にならない叫びをあげる。
それは、苦痛か、あるいは歓喜か。
三度、少女と大鷹が激突する。
その度に、大気が鋭く振動した。
「プーカ!?ナイスだ、間に合った!」
「…………遅いぞ、紅の魔術師」
「全力疾走だよ、大妖精!」
森の茂みから、真っ赤な、ミーアちゃんよりも紅色の髪を持った、白衣にマントという奇妙な服装をした女が飛び出してきた。
息は上がり、全身に木の葉を引っ提げているが……ああ、何故か、わかる。
この人は――すごい。
「いやあ、”千夜の魔女”。―――さっさと失せろ」
彼女は、白い少女を睨みつけ、開口一番、そう言った。
「…………………………ッッ!」
「聞こえなかったか、肉無し」
「ッッッッッッッッッッ?!!?!?」
「あ…あんまり怒らせるとまずいんじゃないですかね……」
「……お?そんな容態なのによくしゃべれるね」
「容態?……ゴホッ……。あーあー」
話すだけでひどいのどの痛みだ。
まるで、数年ぶりに喋ったかのよう。……気のせいか、声の音が随分高く感じた。
何度か声を出して、調整を繰り返す。
「気付いてないか。まあ、それはあとでかな。……プーカ。長老に言われてきたのか?」
「否。穢れに満ちた気配を感じたのでな。出向いてみれば案の定だ」
「なるほどね。……で、プーカ。あれ、消せる?」
「不可能。業腹だが、退治が精いっぱいだ」
「だよねぇ……。まあ、追い払うしかないか」
白衣のポケットから、手袋が現れる。
手袋には、ルビーのような色合いを持つ宝石がいくつも埋め込まれていた。
「森を燃やすな」
「分かっている」
女は大鷹の言葉にうなずき、宝石が埋め込まれた手袋を装着し――それを振るった。
ゴオオ―――。
擬音としては、それが妥当だろうか。
ともかく、いきなり無秩序に発生した火炎は、白い少女のみを飲み込み、延焼を開始した。
いや……この擬音では、少しばかり火力感が足りないかな。
白い少女は、大鷹の妖精との激突によって俺からかなり離れた、湖の真ん中にいる。
その距離、三十メートルはあるだろう。
発生した火炎は、それほど離れていてもなお、実際に焼かれているかのような錯覚をもたらした。
「選別の大火をくれてやる。孤独に燃え尽きるがいい―――プーカ!」
「承知した」
紅い女の合図に、大鷹は空高く飛び上がる。
そして、中空でその姿を―――変化させた!
黒い姿を持つ、巨大な馬の姿となった妖精は、そのまま白い少女に向かって落下する。
周囲のすべてを、剣へと変換させながら。
「――――ァァァァァァァッッ!」
「うわ?!……なんだこれ、うるさい……!」
――ああ、少女が、叫んだのか。
「むぅ……!!」
落下した妖精の刃によって、少女は串刺しにされ―――闇に溶けて消えた。
しかし。
「おい、プーカ。大丈夫か?」
「油断。情けない」
「仕方ないな。あいつは妖精の天敵だし」
叫び――ただそれだけで、妖精の身体に巨大な切り傷が浮かび上がっていた。
「えっと……死んだ……のか?」
「私は生きている」
「いや妖精さんじゃないよ!つか、妖精さんも大丈夫か、怪我?」
「否。我はプーカである」
「……?」
「あー、君。妖精っていうのは、いわば種族名なんだ。私たちで言う人類ってやつだな」
「尤も。プーカという名を持つ妖精が他にいないわけではないが」
「えーと、なるほど。だいたいわかった」
唸れ、俺の知識。
――ということで、大雑把に理解をまとめると、この目の前で怪我をしていらっしゃるお馬さんは、妖精類のプーカ種、というわけだな。
簡単にいえば、だが。
当然、人間の理解の範疇外の存在である妖精となれば、人間が理解しやすくするために設定した生物分類など当てはまらないだろうが、多少ならば参考になるか。
「あの白い女の子のこと!なんか、消えちまったけどさ」
「……やっぱり君、見えるようになっているね」
「当たり前だ。あの魔女めに身体を浸蝕されたのだ」
「……うん?」
首を横にかしげる。
そのついでに、髪が肩に触れた。
――――髪?
「…………うっわ!なにこれ?!髪伸びてる!つか白髪になってる!!??」
ああ、クセっ毛がっ!いや、これだけ伸びてもなおクセは依然強く出しゃばっているけれども!
「君、君。驚いているところ申し訳ないけど、実は変わってるのは髪だけじゃないんだよねぇ」
「え……」
「ほら」
差し出された手鏡。
そこに映っている俺は―――先ほど、俺にちょっかいをかけてきていた、あの白い少女と良く似通った……女の子の姿であったとさ。
「……は、ははははははははは…………。意味わかんねー……」
「うわおい、鼻血!おい、倒れるな!待て!せめて鼻血を拭いてから倒れろ!」
おもわす、後ろ向きにぶっ倒れた。
無理だ、なんか疲れたし、動き辛いし、寒いし、なのに熱いし。
よくわからないことだらけで―――まあ、次目覚めたら、やる気だそう。
そう決意だけして、俺は意識をあっさり手放したのだった。
***
「軟弱者。理解不能になって倒れるとは」
「いや、これはおそらく身体への負荷のせいだが――」
「問題ないだろう。そこの娘擬きは、魔女のせいで我らと似た特性を持っている。傷など、放っておけば治る」
「お前と同じようにか」
「ああ」
頷いた、黒馬姿の妖精改め、プーカ。
その肌の傷は、もはやほぼ治っていた。
「命令だ。その傷が治り次第、モーディフォードのところへ連れていけ」
「おいおい、協定があるとはいえ――魔術師に命令するのかい?」
「その娘擬きは我らの領分だ」
「……まあ、ねぇ。魔術師ではないよね、この娘。仕方ないか。どちらにしても用事はあるわけだし」
「――ふ。また、会おう」
その言葉は、眠りについたマツリに対しての言葉。
我が子に語り掛けるかのように優しいその口調に――そんな口調を初めて聞いた紅の魔術師は……口をあんぐりと開けていたのだった。
***