美しき森
***
森の中に入っても、外から見た風景と何ら変わりはなかった。
……光は射さないし、薄気味悪い暗がりがずっと広がっている。
ちょっと怖くなってプーカの背中に片手を載せてみた。
「歩きにくい」
「うう、ごめん……」
「マツリ。お前には、この森の風景がどう見えている?」
「え、そりゃーかなり暗くて怖い感じなんだけど」
あれ、プーカには別の景色として映っているのかな。
人と妖精によって見る世界が変わっているっていうこと……?
いや、それなら半分は妖精である俺が見えていないのはおかしいか。
うんうんと頭をひねっていると、プーカが立ち止まったのが手の感覚からわかった。
「魔法とは。元来目に見えるようなものではない」
「え?」
「より正確に言うのならば。肉眼でとらえられる程度の力ではないのだ」
プーカは、俺に何かを教えようとしてくれているのだ。
思い出す。プーカはこの杖をくれた時に、何と言っていたっけ。
―――魔法を識る時に、また会おう。
そう、こんなことを言っていた。
「故に。魔法使いに最も求められる資質とは、真実を捉える力だ」
「捉える?見抜くじゃなくて?」
「そうだ。真実を捉えることこそが大事なのだ。贋作を真にすることもできる。真作を偽物にすることもできる魔法であるがゆえに、見抜く力ではなく捉える力が必要なのだ」
魔法は魔術と違い、あちらさんたちの生み出したセカイの魔力を使う。即ち、セカイの構成物によって現象を発生させているということだ。
どういうことかといえば、制御さえできれば限度は無い。つまり、何でもできる……ということなのだろう。
それは、偽物のダイアを本物に変えてしまうこともできるし、黄金を石ころにしてしまうことだって、やろうと思えばできてしまう。
―――でも、ダイアが偽物じゃなかったら?黄金は金メッキされただけだったなら?
簡単な話、前提が覆る。簡単だけど、決定的な話だ。
「あるがままを、見つめる……それが大事ってこと、かな」
何処か。そう、例えば――霧の中で同じ答えを得たはずだけれどね。
目に映るものがすべてではないのなんて、誰だってわかっている。でも、目に映るもの以外を人間が見つめることなんてできやしないのだ。
だから、そこにある事実を見続ける。偽物でも本物でも事実は事実に変わりはない。
真贋を捉えて、そこにある物事を理解して。そうして、魔法という奇跡は紡がれる。
真実だけでもない。贋作だけでもない。
両方を許容して、時には選択して……初めて、魔法使いと呼べるんだろうね。
「そうだ。ふ、分かってきたな」
「いやはやお手数かけさせましたー」
さて、じゃあもう一回この森を確認しましょうか。
この森が見せている、偽りの姿。それは、今回俺は選びたくないから。
そこにある、あるがままを見つめて。ほんとの姿を、うつしましょう。
――目を閉じる。セカイを漂う、空気の音や魔力の香りを吸い込んで。
再度、目を開けた。
「……っわ!」
翆蓋の森は薄気味悪い暗がりに覆われている?
そんな事実、どこにも存在していなかった!
樹木は翆玉のように透き通っている。空からの光を蓄え、内部で淡く発光しているさまはとても、とても美しい。
天を覆う枝葉は、そんな翆玉の樹木の中でも最も薄く、光を透過させて俺の身体まで降り注いでいる。柔らかく、暖かく。
その光を受けて足元の草花は生き生きと育っており、命は育めないと思っていた景色は全く反対だったということを思い知らされる。
「あ。これ樹木に見えたけど、普通にエメラルドでできているんだ」
樹木の形を成す翆玉。それとなく触れてみる。
「にゃふわっ?!」
「マツリ。気を付けろ」
うう、プーカちょっと忠告遅いよ……。
樹木に触れた途端、身体から力が抜けて、倒れ込みそうになった。
多分、魔力が持っていかれた気がする。
でも、そのかわりに翆玉の葉がさらに伸びた。
すごいな、この樹。魔力を食べて生きているんだ。
「翆玉の樹だけではない。その他多くの普通の樹木も、この森の魔力を受けて変質が起きている。不用意に触ると我らでも愉快なことになる」
「えー愉快ってどういう……」
「わーたべられたー」「おいしー?」「まずーい!!」
「え、ピクシー?!」
目の前を蔦に捕らわれたピクシーがぶらーんと揺れていた。え、何事ですかっ?
と、とりあえず蔦をほどいてピクシーを救出する。
「マツリありがとー!」「たすかったー」「たのしかったー!」
「あーはいはい……」
髪の周りをふわふわ飛び回りながらお礼を言われた。
というかついてきてたのね。
「遊び終わったか。ピクシー」
「うんー!」
「では。行こうか」
歩を止めていたプーカが歩き出す。
遅れないように後ろをついていく。
今度は、周りの景色を楽しみながらね。
……最初見た時の恐ろしげな風景は、きっとこの森の防衛能力なんだろう。
そして、その防衛は決してこの森だけじゃなくて、誤って踏み込んでしまった人たちに対してでもある。
濃密な森林の香りが漂うこの森は、長老様のおかげなのかとても濃い魔力に覆われているから。唯の人が入ってしまえば、もたらすのはいい影響だけではない。
強い魔力は人に危害を与えてしまうのだ。古の時代、人間は神の森に足をほとんど踏み入れなかったように。
「でもすこし、勿体ないかな」
これだけ美しい姿を隠してしまっていることに。
千里眼でも見通せないというのであれば、相当強い力で守られているのだろう。つまり、誰からも怖い森として認識されているということ。
中に潜むほんとは、こんなに綺麗だというのにね。
でも、仕方ないか……互いの領分を侵さないためには、こういったことも必要なんだろう。
それを、俺の意思で外に知らせてしまうわけにはいかないからね。せめて、この目に焼き付けて行くとしましょうか。
――今度は足取り軽やかに、翆蓋の森の森を歩き出す。
***
数十分は経過しただろうか。
シルラーズさんにもらった道具を適当に取り出しながら歩いていたのだが、どこがゴールなのか全くわからない……。
魔力の濃い方に行けば長老様もいるんじゃないかと思い羅針盤を手に取ったけれど、針は残念ながらぐーるぐると回転していました。
うん、全体的に濃度が濃すぎて、判別不可能になっているらしい。
「プーカぁまだー?」
「もうそろそろだ」
まあ、この森広いしなぁ。
たくさん歩き回るのも仕方ないのかもしれない。ただ、本当に山の奥の方だったら戻るのも大変そうだ。
二人とも待たせているし、あんまり遠くに行くと心配させてしまうと思うんだけど。
「……あれ?」
歩みがゆっくりになったのを自覚した。
ちょっと気になるモノを見つけたからだ。
「よいしょ、んしょっと」
それが落ちている地面に、膝を揃えてしゃがみ込み、拾ってみる。
地味に魔力が吸われている気がするけれど、まあそれは気にしないでおいて――。
「エメラルドの、鱗?」
「翆玉の樹の種だ」
鮮やかな緑色の結晶は、本来のエメラルドではありえない筈の傷一つない完璧な石。
手に持って太陽に透かして見ると、翠色に染めた光を目に映し出した。
プーカはこれを種と呼んだ。
つまり、翆蓋の森の中にある、翆玉の樹はこれが成長したものというわけなんだ。
魔力を吸って成長する樹木。……いくらこの世がファンタジー世界だといっても、そんなものがごく当たり前にセカイに散らばっているわけがない。
おそらく、これは長老様の物なんだろう。