翆蓋の森へ
「次は肌です。手を伸ばしてください」
「はーい……」
「マツリさん、眠そうですね」
「うん……すごく……」
「―――ちょっと失礼して」
腕に肌触りのいい布の感触が現れた。
これにも、ハーブオイルのようなものが付けられているようで、同じくいい香りが漂ってきている。
……まあ相当鼻が利かないと分からない程度なんだろうけどね。
「痛くないですか?」
「全然だいじょうぶー」
男の時はがしがしと、まー乱雑にやっていたものだけど。
こんなに優しく洗ってもらったのは初めてです。
「女の子の肌はすぐ傷になってしまいますから。柔らかくやるのですよ。分かりましたか?」
「はーい」
「……では、ちょっと。前を、こちらに……向けてもらえますか?」
「前ねー、分かったー」
「――寝ぼけているせいか羞恥心がないですね、この娘」
なんだろう、呆れられている気配を感じるけど、眠いのでそれはそれ……。
というか、先ほど起きたばかりだけど、こんなに眠くなるのはミーアちゃんのそれがプロ並みに丁寧だからなのかもしれない。
うんうん、美人さんなだけあるよねぇ……なんというか、手入れすることに慣れている感じがある。
「……なんですか、この胸は。鷲掴みしてやりましょうか」
「う、なんかいったー?」
「いいいいいえなんでもありません」
「?」
なぜそんなに動揺しているのでしょうか。
ま、いっか。
とまあ、そんなわけで……これまた気持ちよく洗ってもらったところで、シルラーズさんから催促の言葉が飛んできたので……。
名残惜しくも、風呂場を後にしたのでした。
脱衣所で、
「また、入りましょうね?」
「うん」
念押しのように確認されたけれど―――それには、素直に答えておいた。
さて、じゃあ禊を済ませたところで……今度こそ、長老様のところへ行くとしましょうか!
新しい下着、新しい洋服を着て、服もしっかり整える……あ、何故か下着は黒色でした。なんで?
ま、まあいい。洋服のほうは動きやすいものだし、そもそも貸してもらっているのに文句なんて言えないしね。
「よーし準備完了!じゃっいきましょー」
「杖は持ったな?ペンデュラムも」
「かんぺきです」
「ならいい。では、ついてきてくれ」
白衣を翻すシルラーズさんに、いくつもの荷物をもった俺とミーアちゃんがついていったのだった。
***
「……おお、おーおーおー」
「どうしました、マツリさん」
「いや、えへへ……なんだかんだで、久しぶりに学院から出たから」
千夜さんといろいろあってから、学院内で生活していたことが多かったから。
数日ぶりに街に出たのだ。
この人の活気、やっぱり直で感じるのはいいものである。
もちろん、学院内もすごく楽しかったけどね。嫌なわけじゃない。
ただ、外にも同じくらい興味があるというだけの話だ。
「気を付けろよ。マツリ君は今周りから見えていない。人にぶつかられると、その身体だと飛ぶぞ」
「そこまで軽くありませんって」
多分。
体重計がないから何とも言えない。誰かから持ち上げられたりすれば、重い軽いの判別はつくかもしれないが、持ち上げられたくないので一生知られることはないでしょう。
知りたくもないしな!
「おっとと……」
でも、確かに誰からも見られていなとなるとちょっと歩きにくいのも事実だった。
向こうは避けてくれないから、俺が自分で移動しないといけないからだ。
「マツリさん、手をください」
「え、はい」
右手の杖を左手に持ち替えつつ、手を預ける。
「学院長。ちょっとこちらへ」
「うん?」
ミーアちゃんにされるがまま、身体を移動させられる。
俺の右隣にミーアちゃん。そして左にシルラーズさん。つまり、二人に挟まれながら歩いている感じになった。
……あ、なるほど。周りから見ればちょうど一ひとり分弱の間を空けて歩いているように見えるわけか。
「これなら大丈夫だねぇ」
「はい。これで迷子にさせないで済みます」
「迷子になんてならないもん!」
……た、たぶん。さっきから曖昧な答えが多いという自覚はあります。
というか、今更だけど背が縮んだのだなって、改めて深く実感した。その実感何回目だよっていう突っ込みはしないでね、悲しくなっちゃうから。
ミーアちゃん見上げているからなー、今。座っているときとか、ベッドで寝ているときはあんまり気にならなかったけど。
あ、決して座高が高いわけではない。そこはきちんと理解して?
寧ろこの身体はかなり足長いよ!自分でも驚くくらいである。あ、関係ないですね。
成長すればモデルさんみたいな体になるんだろうけれど、所詮は自分の身体。たいして何も思わなかった。
「ミーアよ。マツリ君の杖が地味に邪魔なのだが」
「あ、そうですよね……これ長いですもん」
「大丈夫です。我慢すれば問題ありません」
「……やれやれ」
肩をすくめて、諦めたようにため息をついた。
……いや、俺が杖を前に持てばいいだけだから、そうしたけどね?
これで一安心。さてさて―――では、いざ長老様の森へ!
***
長老様の住む翆蓋の森は、このカーヴィラの街の西側の果てにある。
街を取り囲む簡易な城壁を普通の門を潜り抜けて超え、しばらく……具体的にいえば10分くらい歩くと、その森は見えてきた。
「……おー」
まさに、鬱蒼としたというのが当てはまる森であった。
森のすぐ先は色濃い影が、まるで敷き詰められているかのように張り付いている。
……正直に言うと、かなり不気味である。
「い、入り口……どこ?」
「ない。普通にそこらあたりから入るしかないのだ」
「適当ですねっ」
そんなのでいいのかなぁ。
―――ん?
すんすんと、鼻を動かしてみる。どこかで嗅いだことのある香り……。
これは実際に香っているものではない。つまり、魔力だ。
「……プーカ。いるでしょ」
「ああ」
ふわりと俺の目の前に姿を現したのは、お馬さんの姿のプーカだった。
いつ見ても凛々しいなぁ。かっこいい。
もちろん俺は女の子の姿のプーカも好きだけどね。かわいいし。
あの耳がぴょこぴょこする感じが特に。
「お、プーカか。道案内か?」
「そうだ。む――遠縁。久しいな」
「……ええ」
遠縁?
プーカは、ミーアちゃんを見てそのように言った。
ちなみに、そのとうのミーアちゃんは俺の後ろに身体の半分以上を隠している。
プーカのことが苦手なのかな。若干だけど、震えているようにも思える。
そっと、周りからは分からないようにミーアちゃんの手を握った。手袋越しだけどね。
「ここから先はマツリ一人だけしか入れない。待っているがいい」
「……私も長老に会ってみたいのだが?」
「諦めろ」
凄い辛辣ぅ。
淡々というから尚更である。
まあ、シルラーズさんはケロッとしてますけどね、心臓強すぎますって。
「マツリさん……。お気を付けて」
「だいじょーぶ。必ず戻ってくるよ」
というか、そんなに気負ってもいないし。
お爺ちゃんにあって帰ってくるだけ――つまり、実家帰省みたいなものだと思ってみたり。
「我が先導しよう。ついてくるがいい」
「はーい。じゃ、行ってきます」
「はい」
「ん」
ミーアちゃんは丁寧にお辞儀。シルラーズさんは適当に右腕を挙げて答えてくれた。
性格の差が出てるなぁとおもい、少し面白かった。
きっとミールちゃんが居たらもっと差があったのだろうけど、今日は見回りらしい。二人交互に担当して、どちらかは会いに来てくれるからホントにいい娘たちだよね。
「さってー。じゃあいざ森の中へ!」
草むらを思いっきりかき分けつつ、長老様の住まう、翆蓋の森へと歩を進めたのだった。