転移装置
「ああ。でも……」
体もほとんど治っているし、街に出るのももうすぐなのか。
数日外に出ていないわけだけど、この学院は広いし、あまり外出していない、という気分にはならないかな。
図書館があれば本の虫の如くずっと居続けられるし。
「どうした?」
「いえ、なんでもないでーす。じゃあ、戻りましょうか、シルラーズさん」
「ああ、分かった。ではな、ヴェヒター」
「あ……はい」
シルラーズに連れられて禁書の部屋の前から去る。
まだ扉の前にいるヴェヒターに軽く手を振ってから、階段を下りて行ったのだった。
うん。まあ、ヴェヒターにはまた会うような気がしているし、このくらいでいいでしょう。
「――”覆え、天蓋の布霧”」
「……?なにかやりました?」
「……なに、ちょっとした呪いだ。気にするな」
「分かりましたー」
一瞬視界が揺らいだから、なにか魔術を施したことは分かったけど。
知識さんが静かにしている現在では、細かく何をしたのかまでは分かっていない。
なにせ、まだほとんど何も習っていないに等しいからね。
ミーアちゃんから教わった、簡単な概要だけしか知らないのだ。
よって、魔術の見分け方なんかもわからないままである。まあ、今は仕方ないね。
また、いつかわかる日も来るだろう。
……それより、呪文がなんかかっこよかった気がする!
いいなー俺もかっこいい呪文唱えたいなー。
「っと、さっきなんとなく呪文唱えたの忘れてた」
まあ、実際のところ魔法使いにとっての呪文なんて指示器みたいなものなんだけど。
杖もね。気分が乗って、最低限の摂理さえ守られていれば何でもいいのだ。たぶん。
ということでくだらないことを考えているうちに図書館を出て、廊下へ。
そして、扉を出てすぐ左わきにある、特徴的な模様の前に立った。
特徴的なっていうのは、鍵の穴みたいな陣が描かれているからだね。
陣と言っても、力を感じるから俺が陣だと思っているだけで、傍目から見れば物凄い美しい絵画のようだけど。
……うん?
「あれ、どうしてここに?」
「どうしてもなにも、ここから転移するんだが?」
「……あーヴェヒターの言ってた移動装置って、これかぁ……」
「……もしかして、言っていなかったか?」
「まー、はい」
「それは悪いことをしたな。この通り、この学院内では、この模様……魔方陣を利用することによって、同じ模様のある場所に転移することができるのだ」
「おお、すごい!」
シルラーズさんが手をかざすと、壁が透き通って別の通路の先を映し出した。
おおー、すごい……。
あ、発した言葉と感想が被った。……語彙力……。
「なんだ、髪が萎れているが、どうかしたか?」
「いえ語彙力のなさを再確認しただけです……。っよし、では行きましょう!」
「そんなに気負う必要などないが。誰しも利用するものだし、普通に通ってしまえるから感動も何もない」
ひょいっとシルラーズさんが指をさしたのは、後方。
ちょっと魔方陣の前からどいて、後ろから来る人……学院の生徒を見ると、一切何も気に止めることなく当たり前のように、雑談しながら壁の中に入っていった。
……おおう、カルチャーショックぅ……。
地味に文化の違いを感じておきながらも、それよりも気になったことが。
「視線。向けられていませんでしたね」
「気がついたか。その通りだ。私たちは今、魔術で姿を隠している」
「それまた、なんでですか?」
「……正直に言うと、私以外に君の姿をあまり見せたくないのでね」
「俺、口説かれてます?」
「ああもちろんだとも。君は美しいからな」
……などと冗談交じりに言われておりますが、まあ実際のところあんまり俺が目立ってしまわないように配慮してくれているのだろう。
人が多くなってきて、目線の数もそれだけ増えてきているしな。
実際学校に部外者がいるっていうのは結構話題になってしまうものだし。ヴェヒターだって、見かけない顔だって不審がってたから声をかけてきたわけだし。
率先して不審者に対して気を払うってあたり凄いなーヴェヒター。
……いやまあ、シルラーズさんの場合は、口説かれているというのも真実な気はしているけどね!
「姿隠せるとか便利な魔術ですねぇ。いいなー、俺もやりたいなー」
「勉強を重ねることだ。魔法も魔術も、基本的には同じことができるからな」
あ、別に怪しいこととかいやらしいことに使うわけじゃないよほんとだよ?
というか、今身体が女の子だから女湯とかのぞいたところで意味ないし。
……あれ、こう考えるとあまり姿隠しの魔法にメリットって少ないんじゃ。
寧ろ使いどころに困る……?そんな馬鹿な……元のセカイじゃ欲しい能力トップ10に入る能力の筈なのに……。
「シルラーズさんはその魔術、どんなタイミングで使っているんですか?」
「基本逃げるときなどだな」
いや、なにから逃げてるんですか。
「あとは―――ほら、女の子の前の姿を現すときは、唐突の方が印象に残るだろう?」
「…………。確かにそうですね!」
発想が天才的だった。そしてめっちゃ私利私欲だった。
まあ魔法も魔術も、結局そう言うものなのかもしれない。
だって使用するものは人間だもんね!
あ、俺は半分人間じゃ……だからこれはもういいって。このくだり何回目だろうね。
「うーん……なんともいい使い道ですね」
「だろう?ふ、もっと褒めてくれてもいいのだぞ」
何処からか、そんなわけないでしょうが、という冷静極まりない突込みが飛んできそうな気がしたけれど、きっと気のせいである。
ということで、姿を隠したまま―――雑談を交わしつつ、保健室に戻ったのでした。
***
「さて、では長老の元へ行くための準備をするとしよう」
「準備ですか?」
保健室に戻ってきた俺たちは、そのまま打ち合わせ……のようなものを始めていた。
手にはシルラーズさんが作ってくれたハーブティー。
ブレンドはカモミールとレモンバーベナ、セージといったところですね。
体調不良によく効きそうなブレンドだ。魔力はこもってないからふつうのハーブの効能だけしかないけれど、それでも効果は大きい。
古来からハーブ……薬草というものは様々なことに用いられてきたからなー。
ファラオのお墓、つまりピラミッドにだって香草、或いは意味ある神聖な植物として使用されていたのだし。
……ま、この話は次の機会に。
「登山みたいな感じなんですか?」
「まあ、確かにそれに近いともいえるな。……これをみてくれ」
シルラーズさんから渡されたものは、最近おなじみとなりつつある羊皮紙であった。
そこにはいくつもの顔料によって精巧に彩られた、このカーヴィラの街の地図があった。
「おおう、ものすっごい精確……」
「箒や絨毯を用いて、魔法使いや魔術師が総出で作り上げたものだからな」
つまり高度から俯瞰して制作していると。
そりゃーきっちりした地図が出来上がるわけだ。伊能忠敬さんもびっくりだよ。
「さて、その地図だが……一部分が随分と適当に描かれているところがあるだろう?」
「……ここですね?」
指をさした地図の一部分とは、大雑把に”森”とだけ書かれた場所であった。
他の場所は目印となる建物や、地域によっては森の名前までもが書かれているのに、そこだけは濃い緑で塗りつぶされているだけ。
随分と雑だ。
「そこが、長老のいる森なんだが……いくつかその森には問題があってね」
「だいたい読めてきましたけど、一応聞いておきます」
空から見ているのに見えない……となれば、まあだいたいわかるよね!
でも情報は大事。しっかりと聞いておきますとも。