挿絵の妖精
……その光景に驚いていると、本は段々と開く速度が遅くなり、最終的に一つの項が姿を現した。
今の現象……まるで、この本に慣れ親しんだものが、目的のページを見つけるかのような動作だったけれど。
「マツリ、このページ」
「あ、うん。……泣き女のページが開かれてるね?」
……泣き女。
基本的には、家に憑くあちらさんであり、家主が亡くなると泣き喚き、死を知らせて回るという、死告を行う者達だ。
死を予言するもの、という意味でもある。
人のために、誰かのために涙を流し、悲しみを伝える役目を持つのが、泣き女というあちらさんなのである。
その一方で、彼女たちは人間の家を守り、赤ん坊を守り、住む者たちを守護するという性質もある。
まあ、このあたりはシルラーズさんにでも聞けば早いだろうね。
「いや、そこじゃなくて、この挿絵……」
「挿絵……――え?」
『妖精全書』は、間違いなく本である。
羊皮紙で作られていたりはしているけれど、書物であることに変わりはない。
……でも、この本の絵は、動いていた。
描かれている、美しい姿をした泣き女の姿は、この本の中を自由に飛び回っている。
「まさか、妖精を封じたのがこの書物なのか……?だとすれば、確かに禁書の棚にあってもおかしくないが……」
「ううん、違うよ。これは、そんな危険なものじゃない」
綴られた文字と、本のページを飛び回る泣き女の絵に指を近づける。
これを描いた人は、本当にあちらさんのことが好きだったのだろうね。
これは確かにただの絵だ。そこは間違いない。
……でも、ただの絵が、作者の愛情と魔力によって、本の中限定ではあるけれど―――本物を生み出して見せたのだ。
この泣き女の姿は、作者が心に焼き付けた彼女の姿に相違なく、この浮かべる幸せそうな笑みも、嫋やかな仕草も……本当にあったことなのだ。
これは。この本は。
作者がその眼に焼き付けた、あちらさんの姿を記したものなのだ。
「本じゃなくて、日記みたいなものだよ。……大事な大事な、彼女たちとの秘密なんだよ」
挿絵に置いた指に、描かれている泣き女が、そっと触れた。
―――彼女の現身。幸せの、その欠片。
「………………うん、届けるよ」
本の中の彼女がふっと笑んで―――直後、本のページが飛び散った。
バサバサ……音を立て、宙を舞うページたち。
それらは俺の周囲を回るようにして漂うと、少しづつ、空気に解ける様にして消えていった。
「マツリ、本が消えるけれど―――いいのかい」
「うん。伝えるべきことは受け取ったから」
「傍から見ていた僕には、なんのことかさっぱりだったけどね」
「魔法使いには、魔法使いの距離感っていうやつがあるんだろうねぇ」
「なんで他人事みたいに言うんだい?」
「んー、なにせ俺は、まだ魔法使いの見習い擬き…ですから」
曖昧に笑う。
……ああ、それにしても、である。
魔導書を一冊目覚めさせてしまったから、周りの魔導書も段々と起き始めている気がするのは―――まあ、気のせいではないよね!
「さあヴェヒター、速くここを出ようか!」
「そうだね。……魔力が濃すぎて、酔いそうになるよ。マツリは大丈夫?」
「大丈夫、よゆうだよ」
「そっか。魔術干渉に強いんだね」
「あー、多分そういうことではないと思うけど……」
まあ、いっか。
さて。これ以上シルラーズさんや、双子に迷惑もかけられないので、目覚めさせた魔導書の処理はしっかりとしないとね。
「――あ、待ったマツリ」
「うん?」
杖を構えて、命令をしようとすると、ヴェヒターに呼び止められた。
後ろにいるので、振り返ってみると、なにやら屈んでいた。
……なにしてんだろう。あ、ちなみにヴェヒター屈んではいるけれど、俺の下着が見えるような距離にはいません。
そういうところ、しっかりしているよね、こいつ。
「これ……指輪みたいなものだけど。さっきの本から零れていたよ」
「本当?……気付かなかった。ありがとう」
「いや、どういたしまして」
二重の蔦を象った指輪だった。
宝石などはついていないけれど、その意匠は相当に凝られていて、蔦にも複雑な模様が描かれていたりかなり丁寧に作られていることがわかる。
まるで連理の枝のような……美しい指輪。
思わず視線が吸い込まれてしまうのは仕方ないよね。芸術に疎くても、これはすごいと思えるものだ。
ヴェヒターから手渡され、手に持ってみる。
「象牙で作られているんだね、これ」
「普通は金だろうに、珍しいものだ」
「い、いやあー、金は相当お金持ちしかつけないと思うよ……」
なにせ、値段が張りますので……。
あ、ヴェヒターは王子なんだっけ。
なら、一等いい物を見ていても不思議じゃないか。
とんでもなく高い代物とかも見たことがあるのだろうし。
「まあ、象牙製が一番ちょうどよかったんだろうね」
「……それは、どういうことかな」
「ほら、金属はあまり好まないから」
――鉄以外はそこまで悪い影響は齎さないんだけど。
気分的にね。気分って大事だよ。
思い入れとか、気合とか……そういうもので人は大きく力の発揮具合が変わるのだから。
自己暗示とかよく言いますよね。やればできるって思えば、意外とできてしまうものなのだ。
あ、今回はマイナスイメージの問題なので、関係なかったですね。
「―――ああ、これ以上ここにいるのはちょっとまずいかも。そろそろ出ようか」
ヴェヒターの背後を見る。
……うーん、空間が少し軋み始めていた。
これはここを眠らせている月の石にかなり悪いことをしている感じだ。
「後ろからすごい怖気を感じるんだけど、気のせいじゃないみたいだね……」
はい、もちろん。
魔導書、かなり起き始めていますよ。
そろ~っと後ろを振り返ろうとしているヴェヒターを止める。
「見ない方がいいよ。持ってかれるかも」
「え……本当に?」
「いやーやっぱり魔導書ってすごいんだね!」
「それを普通に見ている君にこそすごいという言葉が当てはまる気がするけど……まあいいか」
俺は別に普通だよ。
今現在特に魔法の勉強を深くしているわけでもないし。
特異なのはこの身体である。千夜さんのせいだけど。
……うん。じゃあそろそろいいかな。
杖をくるりと回し、先端を地面に軽く突き当てる。
「――――眠れ」
純然たる言葉。
本当なら呪文とかあった方が、魔法というものは巧く発動するようだけど、今回に限って言えばそれは悪手。
下手に魔法使うとこの部屋の中が不思議の国になってしまうからね。
だから、俺の呪いで押しつぶすことにした。
……物は使いようとはよくいったものだよね!
ま、剥がれることのない呪いだし。うまく付き合っていかないといけないから、こういう使い方もまた例の一つとして……ね。
「さ、行こうかヴェヒター」
「ああ、うん。……マツリが何者なのかは、深く考えないことにするよ」
「うん?……そんなの気にしなくていいよ」
軽くステップを踏みながらヴェヒターの前に躍り出る。
スカートやら髪やらが揺れたけれどそこは気にせず。
「ただのヴェヒターの友達。それだけだろ?」
ちょっとクサいな、この言葉。
……でもまあ、貴重な男の友達だし。
大事にしたいところだよね。
小さく笑いながら、友達に手を差し出す。
向こうも笑みながら手を取ると、一緒に禁書の間を出たのであった。
ところで、手を取ったヴェヒターの顔が赤く染まっていたのはなぜでしょうか。
俺となんか手を取ったところで、性格がこれだし女性を感じることなんてないだろうに……変なことだ。
まあ、いいか。
あまり気にせずにいることにしたのだった。