『妖精全書』
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「意外と広いねー」
「そうだね」
外扉を開けると、中には硝子製の内扉。
これも両開きだけど、それをさらにくぐると、ようやくこの部屋の全容が見て取れる。
構造はラドクリフ・カメラ――円形の部屋だ。”カメラ”とは、丸天井という意味を持つ。
つまり、分かりやすくいってしまえば、外周も天井も円形の部屋……ということだ。
地球でもこの構造を持つ有名な建物があったな。医師のジョン・ラドクリフによって寄付、建造された建物。あれも確か図書館だったっけ。
「何か魔術でも使ってあるのか……?」
この様子を見るに、どうやらヴェヒターも禁書の部屋には初めて入るようだね。
まあ、そうか。名前や噂を聞くだけで厄介そうなことがわかる場所、好き好んでくるのは相当な変人だろう。
俺はまあ、自分が変人っていう自覚は少しだけあるので、普通に行くのですが。
「うーん……別に魔術なり魔法なりは、使われている様子ないけどね」
壷中天などといった逸話もあるので正確なことは分からないが。
この部屋自体が、壷中天の異界……即ち壺の中であるとすれば、外から見た大きさよりも中の容量が多いことも納得はできるが。
「円形ドームの天井。……ほし、ひかり……?いや、月明りか……」
この部屋の内部は、全体的に薄暗い。
ただ、丸天井についている小窓から、青白い……星のような、月のような、どちらにもとれる光が零れてきているため、少し先を見通すくらいはできる。
逆にいえば、それだけしか光源は無いということだ。
手の届く範囲にいるヴェヒターの顔も、ややぼけて見えてしまうほど。この中で本は読めそうにないな。
「図書館じゃなくて、保管室……ってことか」
「月や星には魔力が宿るからね。神聖な力で邪悪を封じ、また遠ざけているんだろう」
その月や星は、今は出ていない筈なのに、どこから持ってきているんだろうか……。
「……あれ」
上をよく見てみると、円形ドームの中心に荘厳な装飾がなされたグラスランプが吊り下げられていた。
魔術で浮いているわけではなく、細い鎖から繋がっているものだ。
ここで不用意に魔法や魔術を使うと大変なことになるからね、当然の処置と呼べるだろう。
さて、そのグラスランプだけど……そこからだけ、少量の魔力を感じた。
少し鼻を鳴らして、香りを嗅いでみると―――。
「夜の……匂い?」
「……ん?どうしたんだい?」
「あそこのグラスランプから、魔力を感じるんだけど」
「魔力……あれは、月の石、か?」
「月の石?―――ああ、そっか」
もちろん万博で有名な、月から持ち帰られた石というわけではないよ。
宝石の一種、ムーンストーンのことだ。
月の力を秘めるといわれ、月の満ち欠けにより形すら変わると言い伝えられるそれは、非常に強い清浄の力を持つ。
影響を与えづらく、受けにくいムーンストーンならば、禁書の部屋で本たちを眠らせる役割を与えられていてもおかしくはない。
……そして、感じた魔力は、そのムーンストーンの力を高め、そして月の光を呼び込む為の魔術、その残滓。
小窓から流れ込む月明りは、グラスランプの中にあるムーンストーンを触媒として集められているのか。
魔術で月明りだけを取り込んでいるから、この部屋にはそれ以外の、例えば太陽などの光は入ってこない。
なるほど、ますます力が石の力が強まっているわけだ。
「ということは、ランタンとかもつけない方がいい感じかな、これ」
余計な光は本たちを目覚めさせてしまうだろうから。
……さて、この禁書の間の部屋の考察はこの程度にしておいて、本を漁るとしますかね!
俺この図書館に来てから本漁ってばかりじゃない?気のせい?気のせいじゃないよね。
―――まあいいか。
「……こっち」
「あ、マツリ?」
心の中に浮かんだイメージ、勘。
それを頼りに、禁書の間を歩いていく。
繋いでいた手が離れ、ふらふらと歩いている俺をヴェヒターが追いかける形になる。
「うわ、すごいな……ソロモン王の小さな鍵の原本五冊に、ソロモン王の鍵。禁忌の薬草が纏められた本に、ラジエルの書、ホノリウス教皇の魔導書……どれもこれも危険な書物ばかりだ」
後ろのヴェヒターから聞き覚えのある名前がたくさん聞こえてきた気がしたが、今は特に意識を向けずに勘に従う。
……ああ、でもまた今度調べに行きたいなぁ。
ソロモンの記した魔導書、かなり興味があるし。
「ここ、かな」
「うわっと……マツリ、急に止まらないでくれるかい?」
「うーん、ごめん」
「うん、ちゃんと聞いている?」
「聞いてるー」
「聞いていないね……。まあ、いいか」
急に止まってもぶつからずにいるあたり、しっかりしているよね。
魔術師の性か、魔導書に目線を奪われつつも俺のことはしっかりと把握していたらしい。
基本的に数歩後を歩いているし、ものすごく紳士だよねー。
……ま、それはさておき。
本棚に並ぶ本たちの背表紙を、左手の人差し指でスーッと横になぞっていく。
ここで大事なのは、目をつぶりながらということだ。
他の要らない五感を閉じ、より集中するためである。
―――小さく、静電気のような感触があった……これだ。
「うん、見つけた」
すぐさま手にとる。
タイトルを見てみると、題名は『妖精全書』と記されていた。
……禁書の棚にある本にしては、普通の題名をしているけれど。
きっとなにか、あるんだろうなぁ。
丁寧に装丁された表紙を開いてみる。
すぐさま、手書きの目次が現れた。ちなみに字はものすごい綺麗。
「あちらさんの名前……?」
そう、目次に記されている名前は、みんなあちらさん……妖精たちの名前だった。
アルファベット五十音順に並んでいるけれど、有名なあちらさんから、ほとんど名前を聞かないようなあちらさんまでいる。
よく見ると、プーカの名前も載っていた。
まああの森にいるプーカなのかは不明だけどね。
プーカという名前は本来種族名になるはずだし。
「さすがに女王と王様の名前はないか」
書いてあったらそれはそれで怒られそう。
普通の人でも妖精を見るための方法はあるけれど、彼らは基本的には人前に姿を見せたがらないから。
仮に見られてもその代償はひどいことになる。
まあ、気分屋でもあるから、ふらっと現れることもあるけどね、あちらさん方。
……現れても、見えるとは限らないけれど。
自分の意思で、見えない人の前にも姿を現すことのできるあちらさんは、意外にも少ないのだ。
なにせ、かなり力がいるからね。
「なに読んでいるんだい?」
「ん、『妖精全書』って本」
「……聞かない名前だな」
あれだけ魔導書の名前をつらつら並べていたヴェヒターが知らないということは、かなりマイナーな本なのだろう。
まあ、目次だけを眺めていても意味ないし、ページを開くとしますかね。
ということで、ページに手を掛けると―――。
「うわっ?」
「おおっと、大丈夫?」
本のページが一斉に開き始めた。