此の夢は
***
「ただいま戻りました」
「む、帰ったか。お帰り、ミーア」
「はい、姉さん」
「むーう……」
「姉さん……?」
学院から歩いて程なくの場所、マツリさんに服を貸した、私たち、親衛騎士の詰め所にまで戻ってきました。
扉を開けて中へ入り、宿直所まで行くと、魔術焜炉が搭載された調理場で、姉さんが腕組みをしていた。
……まあ、詰め所の扉をあけた時点で、何とも言えない焦げ臭いにおいが漂っていたために、腕組みの理由の察せるのですが。
「また失敗しましたね、料理」
「何故……なにがうまくいかないのだ……」
「火加減でしょうね」
姉さんは火力を強くし過ぎなのです。あと放置もしすぎです。つまり家事全般の常識がなさすぎです。
焜炉付けたまま鍛錬しに行ったときは、危うく火事になるところで―――冷汗が止まりませんでした。
鍛錬馬鹿と言いますか……姉さんは自らを鍛えることに熱中しすぎることがあります。
というか、目指した方向に一直線と言いますか……優しく包むことをあきらめたのなら、愚直な猪的思考回路の持ち主なのです。
まあ、私のような毒花に比べればずっとマシですけれどね。
ともあれ、速く女らしくなっていい人のところへお嫁に行ってもらいたいものです。しゃんとすれば、美人なのですから。
「まあ、そのためには家事を教えなくてはいけませんが……」
それは骨が折れそうです。
「うむぅ、何か言ったか?」
「いえ、なにも」
フライパンの上にある卵だった炭を、少々惜しみながら塵箱に捨てて、新しい卵を取り出す。
……卵、結構高いのですけれどね……。
「変わります」
「任せた」
いつも通り。
家事は私が、人と接するのは姉さんが。
いつの間にか出来上がっていた、私たち二人の役割分担。
たった二人だけの家族ですから。自然に協力するようになっていたのです。
当然、役割を偶には交換したりすることもありますが……やはり私は人付き合いは苦手です。
姉さんが料理が苦手なように―――。
「マツリはどうだった?」
フライパンの上で身をほぐされ、スクランブルエッグになっていく卵を見ながら、姉さんが訊ねました。
「―――また、変なことに巻き込まれていました」
「もはや恒例だな……。いや、まあ。最初は私たちのせいなのだが」
ええ、本当に。
私たちが千夜の魔女の潜む森へとマツリさんを送らなかったのなら……あの人は、普通にこのセカイで生きていたはずです。
「罪滅ぼし……などと言ったらあいつは怒るだろうが、せめて支えてやらないとな」
「はい」
「だが、気負うのもよくはないぞ、ミーア」
「……はい」
気負っているつもりは、無いのですけど。
……なんでしょうね。マツリさんが相手だと、何故か調子が崩れます。
私はいつも、他人相手には適当に接しているのですが―――。
「ああ。もう……他人ではないから、ですか」
私たち双子を拾ってくれた学院長とカーミラ様。
私の半身である姉さん。
私の大切な人たち―――マツリさんは、すでにその中に入っているのでしょう。
ふ…とみると、椅子に座った姉さんが小さく笑みを浮かべていました。
「なんですか」
「いや、なにというかなー。人見知りな妹に、仲のいい友達ができて、姉としては嬉しい限りだぞっと」
「五月蠅いですご飯抜きにしますよ」
「いやまてそれは卑怯だろ!?」
口は禍の元です。
つまり自業自得です。
……ふーん、と顔を背けながら心の中でそう思う。
「……あ。でも、マツリさんのあの危機管理意識のなさには、ちょっと苦労しそうです……」
あの娘は本当に―――自分のことをまったくわかっていなさそうですからね。
姉さん以上に自分を知らないとなると……ちょっと骨が折れそうです。
小さな笑みを、自分で浮かべていたことに気付かず―――さくさくとご飯を作ったのでした。
***
「あ、これ。夢だな」
目を開けて、そう呟いた。
入ってきた風景はやや靄がかかっていて……しかし、確実に俺が見たことがない風景であることは確かであった。
明晰夢――ルシッド・ドリームと呼ばれる、意識のある夢。
もちろん、今までこんなものを俺は見たことない。
ただ、俺の頭の中で元気に知識を供給してくれる謎の知識さん(仮称)が、これが夢なんだということを教えてくれていた。
……鼻をすんすん、と動かす。
濃密な魔力の香りがした。
まあ、身体の圧でも感じていたし、魔術か魔法か……それに関連した結果、夢の中にいるんだということはなんとなくわかるのだけど。
「問題は、誰がなんで夢を見せているか、だよねぇ」
―――さってと。
じゃあ、考えていても意味ないし?
信条に従ってその理由を探し出すとしますかねー。
「あら?」
歩き出そうとした瞬間―――不意に景色が切り替わった。
世界が一度完全に解け、全く新しい形へと再構成されていく。
……次に視界に現れた風景は、どこかの家の中であった。
周りを見渡してみようか。
と思ったけど、あらま。首が動かない。
「……」
ついでに言うと、何故か声も出ないのですよ。
金縛りってわけでもなさそうだし……呪いの類って感じでもない。
――――ああ、そうか。
俺は、今誰かの身体の中に、意識だけで存在しているのだろう。
ようは誰か……おそらくはこの夢を見せている何者かと、視線を共有しているのだ。
まあ、それはそれで……なんで身体が動かないのかとか、声が出ないのか、とか。
気になるところは多いんですけどね。
「へぇ。これが”継ぐ子”、なのね」
薄らと景色が歪み、女性の声が聞こえてきた。
視線の先に何かがいるのだろう。でも、俺には見ることはできなかった。
それは夢の中だからなのか、最初から俺には見えない存在なのか。どっちかは分からないけど。
「……?私の声が、聞こえているのかしら」
「―――。――」
身体が何か言葉を発したようだった。
……うーむ、聞き取れない。
何と言っているのかがよくわからないぞ。
困ったなぁ……これでは夢を見せている誰かが、何を伝えたいのか汲み取れない。
なんとなく―――夢もそろそろ終わりそうな気がしているし、何か核心に触れられればいいんだけど。
「そう。姿を消している私に気付くなんて、いい魔法使いになるわね、貴方」
「――!―――」
魔法使い。
声は、確かにそう言った。
「ええ。貴方が逝くまでは、見守るわ。だって私は……」
こつん、と。
真っ白でしなやかな、細い指が額に触れた―――感覚がした。
直後、眠気が襲う……いや、夢の中で眠くなるってどういうことですかね。
単純に考えて、身体の方が眠くなっているんだと思うけど……。
しっとりとした匂いを感じた。魔力―――魔法がつかわれているのだ。
つまりこの急な眠気は、魔法というわけですね。
ああ、困ったな……”誰か”は魔法使いである、という情報しか今のところ手に入っていないんだけど……。
しかし、襲い来る眠気には抗いようがない……もう、すぐにでも意識が途切れそうだ。
いや、結局視線は身体のもの。身体が眠れば俺がどんなに抗っていても強制的に眠ることになるだろう。
―――その前に、なにか……。
「お休み。愛しい子」
ふわり。
銅の髪が、視界の端で揺れた。