呪われし骨
とはいえ色々と歩き回った結果、今日はもう遅い時間となっている。
妖精の森の夜は何かと危険が満載であるため、今日の所は一旦行動を止めて、明日になったら向かおうという事になった。
速めに支払いも終わらせておきたいからね。銀行に寄るという用事があることも日を跨ぐ理由に繋がった。
まあ銀行と言っても実際に俺が行くわけではない。俺の口座が銀行にある訳もなし、代理としてシルラーズさんか双子の騎士にお金を渡して支払ってもらうという感じである。
翌日、すぐにその旨を伝えてその他の用事を済ませれば、俺たちは再び妖精の森の入口へと戻っていた。
「さて、さて。宝石は持ったね、素馨?」
「大丈夫です、しっかりと封をした箱の中に入れてあります」
「よろしい。少しばかり浄化もしたけれど、し過ぎた感じもあるね………変なものが寄ってきたらそのまま依り代としてしまいそうだ」
そうならないうちに、速めにアンダルの呪いを追うとしよう。
素馨を促して森の中へと。今日は晴れだ、森の木々が風で騒めいて、深緑の匂いを届けてくれる。けれど、その中に―――彼の話を聞いたからこそわかる、呪いの残滓がある。
「知っているかどうかで感知できるかどうかも変わる。素馨は聞こえているかな?」
「呪いの残響は、はい。聞こえています。とても弱いですけど」
「随分と時代を隔ててしまったからね。如何に魔女の呪いといえ、本人が死んでから長い時が経っている以上、その効力は弱まっている。もうほとんど、呪いとしての力はないだろう」
その方が良いのだけれど。逆に俺が身に宿している呪いは永遠に続くものだ。決して、消えることは無い。
そんなことはさておき。この呪いについて、素馨にレクチャーしながら進むことにしよう。
「魔女の呪いはアンダルの愛する人間を蝕む、というものだ。そもそも魔女というものが非常に高度に呪術を操る存在だからね、そんな魔女からの直接の呪いとなれば解除することは絶望的だし、どう転んでも厄介なことになる」
「どうして魔女に呪いをかけさせてまでアンダルさんを追放したかったんでしょうか………」
「権力を求めるものは手段を択ばなくなる時もある。素馨も権力者と相対する時は気を付けたほうが良いよ」
まあ、素馨は可愛い弟子だからね。彼女に対して害をなすならば流石に、俺も意志を以てそれらを否定するけれど………そもそも、俺たちが権力者の前に出ること自体がリスクなので、そうはならないように立ち回るだけである。
「結局はそのせいで街自体が危機を迎えているのだから、人の欲というものは、という感じなのだけれどね。欲が人を前に進ませる原動力だから全てを否定するわけじゃないけれど」
でも私利私欲のために魔女に頼るのは駄目でしょう。
魔女は決して人の味方ではない。自分勝手に利用すれば必ず報いがある。
「そんな魔女の呪いを受けたアンダルだけど、あちらさんたちは魔女を嫌っていることが多い、という事は知っているかな?」
「そうなんですか?」
「うん。千夜の魔女は人類の敵対者で、そしてあちらさんや龍たちとも敵対していた。千夜の魔女はあちらさんを殺し、喰らい、呪いを大地に撒き散らした。星の抗体である神は魔女を滅ぼすために生れ出て、その多くが魔獣との戦いで斃れ、大地や自然より生まれたあちらさんもまた、その呪いに蝕まれた。あちらさんにとって千夜の魔女とは多くの同胞を殺した不俱戴天の仇であり、その同族である魔女にもいい印象を抱いているものは少ないんだ。全てが全てを嫌っているわけではないけれど、積極的に呪いをかけるような魔女の事はまあ、好かないだろうね」
レッドキャップのような人に害意を持つあちらさんなら別だけど。
「そんな呪いに塗れた人間に対するあちらさんの反応は、どうなると思う?」
「………敵意を持って襲い掛かる、ですか?」
「あはは、そういうモノもいるけどね。大体は触らず近寄らず、だよ。実を言えば、アンダルが妖精の森に追放されたのは彼自身の安寧のためでもあるんだ」
「………?」
不思議そうな表情を浮かべる素馨の頭を撫でる。君はかつて一人で消えることを選んだ。アンダルもまた、愛したものをこれ以上傷つけないために消えたいと願った。
でも、罪人であったアンダルは自らで自らの死に方を選ぶことは出来ない。そもそもとして、魔女の呪いに侵されたものが自死をすれば、その呪いがどのように暴走するかなど、このカーヴィラの魔術師たちにすら分からなかった。
呪いは死後も残る。寧ろ死してからこそが呪いの本領であろう。
………カーヴィラの領主はそんなアンダルに提案をしたのだろう。呪いを抱えて愛すことも出来ず、想うことも出来ずに生き続けるか、それとも最期の時は一人だけである代わりに、愛していたと微笑んで消えるかを。
果たして、アンダルは後者を選択した。
「魔女の呪いに塗れたアンダルにあちらさんは関わろうとしない。そして妖精の森に満ちる魔力は、彼の呪いを広げることを抑えてくれる。呪いだって魔力によって動く力の一種だ。その力の発生の仕方や理論は様々に噛み合って複雑になってしまうけれど、逆に言えばただ抑えるだけならば、圧倒的な魔力の差があれば成し遂げることは出来る」
呪いを掛けられている本人の死は避けられないけれど。
「アンダルは只の人間だったけど、魔女の呪いを受けていたから、妖精の森の奥地にまでやってこれた………そこで、アルラウネの新芽に出会ったんですね」
「うん。その時の彼が何を思っていたのかまでは分からないけれど―――でも、ただ花を愛でた訳ではないだろうね。彼にとっては最期の歩みの途中だったのだから」
そうして歩いていると、呪いの残り香が強くなっていく。
枯れ落ちそうなアルラウネがいる場所は既に後方に過ぎ去っている。そもそも別のルートで進んでいるため、彼女の領域に足を踏み入れることは無かったのだが。
森を深く、奥へと進み、暫くすると山になっている場所へと辿り着く。広い妖精の森は数多くの地形を有しているが、この山はかなり大きく登るのなら登山と言い換えてもいいほどの道のりだろう。
魔法使いである俺たちは箒代わりの杖に乗ってそれらをスキップ出来てしまうのだが。
「かなり音が強くなってきました。この山の頂上、いえ崖沿いでしょうか」
「そうだね。向かってみよう」
腰掛ける杖の行く先を変えて、崖沿いへと。
かなり濃い匂いは呪いのそれ。随分と長きに渡り風化した呪いだけれど、この周囲の地面や樹々にはこびり付き、未だ脈打っているのがわかる。
杖から降りて、俺はその呪いに触れた。
「………愛を憎むか、古の魔女よ」
ふ、と呟き。そして呪いを弾く。
「先生?」
「ん。アンダルは向こうにいるみたいだね。進もう」
心配そうに俺を見ている素馨に微笑みかけると、呪いの消えた崖を進む。
少しだけ歩を進めると小さな洞窟のようなものが確認できた。本当に人一人が背を預けられるかというような、そんな小さな穴からは、白い骨が覗いている。
「やあ。会いに来たよ、アンダル」
胸元に手を当てるようにして死んでいる、アンダルの骨。その手を静かに取った。
カラカラと音を立てて、骨は崩れようとしていく。この骨は、呪いによって維持されていたのだ。俺が呪いを払った以上、長くは持たず、すぐに朽ちていく。
本来の時の流れに沿って。
けれどね。その前に、君の最期の想いを。アルラウネに、何を託したのか―――それを、教えておくれ。
素馨が掲げた宝石を………彼の崩れ逝く胸元にそっと置いた。